(2)召喚ではなく招喚
「さっさと説明しなさい! ここはどこなの」
アカネの声には、ヒトに命令し、従わせることに慣れた者の威厳があった。
彼女から左手側の 少しばかり離れた位置に、一見 二十歳代後半の男が立っていた。なぜか その服装には見覚えがあるような気がしたが、その顔に覚えはない。
髪は くすんだ金色で執事服を着ている、中々整った顔立ちだが ただそれだけだ。妙に存在感が薄い相手を、アカネは『軽薄』と読んだ。実際は疲労によるものだったのだがアカネに分かる筈がない。
その男は 唐突に、足から腰と 腰から頭の角度が鋭角になるほど大きく頭を下げた。
アカネは無言のまま それを見ている。感情の起伏が全く感じられない視線だ。相手の精神状態を観察し分析するつもりだったが、一向に言葉が来ない。仕方ないので、自分から、強い苛立ちを込めて問いかけた。
「聞こえないの。この状況を説明しなさい!」
彼女は、男に対する不信感、不快感を全く隠さなかった。しかし この訳の分からない状況を打開するには この男の持つ知識が不可欠であることも明らかだ。
この状況を造りだしたのは、目の前の 不審者に違いないだろうからだ。そして、それは正しい。
「た、大変失礼致しました」
彼は、額に冷や汗を浮かべて説明を始めた。
何度も召喚術を行使して来たが、このような相手は初めてだった。読心能力が逆に作用して、少女から発せられる 怒り、苛立ち、不信感、不快感などの悪感情がダイレクトに伝わって来るせいで、男の気力を どんどん削ぎ落していく。
――念のために記しておくが、この召喚士は決して無能ではない。むしろ最上級に属する能力の持ち主だ。そうでなければアカネを今の状態で召喚することなど出来る筈がない。
彼はアカネを召喚するために多大な魔力と体力を消耗し、現状は酷い状態、全能力値の半分にも満たない程までもの疲労状態にあったのだ。ただ彼の基礎能力が あまりにも高いため、この状態でも一般的な召喚士よりも高い能力を持っていたことは、とっても不幸なことであり、その事に本人すらも気付いていなかった――
「ここは、貴女のいた世界とは違う世界です。私が貴女を『召喚』致しました」
アカネは言葉が通じることを知った。
「召喚? 私には、あなたなんかに『召し出される』ような覚えはないのだけれど」
この男はテレパシー使いだ。この感触には なぜか覚えがあった。そして、その対処法も知っている。
彼女には これも不可解な事である。
「召喚じゃなくて『招喚』じゃないの? そうでしょ」
言葉の意味を変えて、返事を突き返す。使った用語が正しく認識できるかの確認だ。
アカネは、無自覚に、既定事項を変更することを要求していた。
「は、はい」
そして、最初に実行した者には それを定義する資格である。この召喚士が それを肯定してしまった以上、それは実行される。これも無自覚に行われたモノだ。
男は気付かなかったが、『台座』がそれを感知し一瞬大きく反応した、この状態を、正式に定義したのだ。
アカネが この世界のシステムを知っている筈がない。しかしながら、正しい手順を踏んだそれは その通りに履行された。
この時点で この世界の召喚術は『招喚術』に書き変えられた。これ以降、通常の召喚術は使えなくなったのだ。当然ながら その条件も彼女の状況を参考にした基準になった。
「た、大変失礼致しました」
招喚者は叩頭したまま、この状況の説明を始めた。
これによって、アカネは意味も正しく通じることを確認した。
男は、この現象は 世界転位であることを含め、必要もないのに事細かに説明し、そして「貴女は勇者に選ばれました」と結んだ。
「……」不機嫌を隠そうともしない顔で返事をしないアカネ。
少女の冷たい視線に、あわてて姿勢を正し、一つ咳ばらいをして話を続けようとした。
その時を狙って、発しようとした言葉を断ち切って、アカネは拒否の意思を明確にした。
「イヤよ。勇者なんてまっぴらだわ。さっさと私を元の世界に戻しなさい。私は忙しいの」
あれ。と疑問に思う。私、忙しかったっけ? と。
「……」
今度は、招喚した男が言葉を詰まらせた。まさか、こんなにバッサリと拒否されるとは思ってもいなかったのだ。
彼の心が、また一段階挫けた。
アカネは それを正しく把握し、更なる不信感を心の表面に昇らせたことにより、招喚者は彼女のそれを晴らすため躍起になった。
まさに彼女の思うツボに はまったと言える。
「その点は大丈夫です。こちらで過ごした時間は元の世界には反映されません。安心して任務を遂行してください」
アカネは その言葉尻を捉えて、不機嫌を露にした。
「任務? 王である私にに命令しようっていうの?」
アカネは自分の発した言葉に驚いた。『王』とは どういうことだろう。
彼女の記憶は まだまだ混乱しているようである。
少女に睨まれ返す言葉も出ない。彼の心は、その矜持は どんどん削り落とされでいく。
アカネにより、強引に読心能力を経由して送り込まれて来る悪感情、そして一言一句が鋭い鏃のように、招喚者の心に突き刺さる。そしてヤスリのようにアイデンティティ削り取っていった。
それでも、男は意を決して追加の説明、言い訳を述べる。
「め、命令だなんて とんでもございません。遊びだと思って頂いて結構です。ゲーム、そうゲームのようなモノです」
「……」アカネは氷の瞳を緩めない。
「えっとですね。神の使いとして……邪神を倒して……この世界を平和に……して……頂きたい……のですが……いかがでしょうか」
少女の強い視線に、彼の言葉は尻すぼまりになり、声も徐々に小さくなる。最後は懇願のようになってしまった。
まだ補正の確定もしていない状態なのに ありえない程の圧迫感。招喚者の頭に、人選を誤ったかな。との思いが ふとよぎった。
いや。と心に逆の発想が浮かぶ。これ程の力を持つ者ならば ひょっとしたら敵を打ち滅ぼせるかも知れない。
この少女を何とか説得しなければいけないという 強迫観念が浮かぶ。追い詰められた男は その考えにしがみついた。
読心能力のないアカネは、目の前の 精神的な疲労に蝕まれた(自分自身が追う詰めたことは自覚していない)招喚者の、感情ではなく、態度や表情から その心の葛藤を読み取り、僅かに希望を持たせる言葉をかけた。これは技術、テレパシーで読みとれる感情と 読めない思考との分離だ。
「遊びね……」と。
テレパシー使いに対する対処法だ。自分が なぜこんなことを知っているのか。アカネには その事の方が不可解だったが 発する言葉に淀みはない。