(1)目覚め
鼻をくすぐる心地良い香り。
アカネは目覚めてはいたが、瞼は閉じたままにしていた。
記憶の混乱を自覚していた彼女は、俯いたまま周囲を探りつつ、その整理に努めた。
ここは屋外のようだ。
この香りは野草の発するモノに違いない。香りの元である植物は何だろう。周りで羽音が聞こえるが、それは何という昆虫だろうか。
野宿した覚えはないのだが……。
土の匂いがしないのは、いつも使っているモノと明らかに違う肌触りの、布のようなモノ、それに寝転がっているせいだ。すぐ傍で 強い木の匂いと、それに微かに混ざっている潮風、背中に当たる日光が暖かい。
柔らかく優しい風が彼女の頬を撫で、それが ふわりと背中あたりの 髪の位置を変えた。それが彼女に更なる違和感を与えた。
仰向けになって、瞼を開くと そこには彼女が予想した通りの景色があった。
頭の方向、すぐ先に見えるのは かなり年を経た、緑がかった濃い灰色をした樹皮の壁。枝はかなり高い位置に ひとかたまりになっており、その左側の端、まばらな枝葉の間をすり抜けた陽の光が眩しい。それを遮るため、目の前に手の平をかざした その時、また違和感を感じて眉をひそめた。
しかし、この気持ちの良い環境に、違和感など無視して このまま二度寝してしまおうかという誘惑にかられるアカネであった。その一方で、四肢に力を込める準備をしている自身を客観的に見ていた。
彼女は さっきからの違和感とは別に、何かの気配を感じ取っていたのだ。
上を向いた彼女の右端、視界に入らない所に何かがある。
アカネからは見えないが、そこには緻密な模様が刻まれている『円形の台座』があり、それは青味がかっや光を放っていたが、その光は徐々に減じつつあった。
それとは逆方向、彼女の左側に突然ヒトの気配が現れた。
アカネは目を閉じて ゆっくり息を吐き、静かに次の場面転換を待つ。
不審者の気配が動かないので、身体を起こして周囲を見回した。
ヒトの気配は ひとまず無視する。この時、彼女は台座の存在にも気付いたが、これも無視した。なぜなら これらは 考えて分かるモノではないからだ。危険でさえなければ、今は どうでも良い。そう瞬時に判断したからだ。彼女は そんなムダなことはしない。
アカネの見知らぬ風景がひろがっていた。誘拐されたのだろうか、と最初は思ったが、どうも 様子がおかしい。
眠っていたのは予想通り、大樹の根元だ。
この樹の辺りだけに数本の高木があり、その周りを多くの低木が囲むように密集している。それらの木々の周辺と、その外縁を、これも取り囲むように、地面が見えないほどの草が茂り、花が咲き昆虫が生きている。
座ったままでも 低い木々の先に地平線が見えた。ここは 小高い丘の上のようだ。
そして、この草の絨毯の外には、特筆すべきモノが何もなかった。
ただただ 所々に岩塊を含む荒れた地面だけが続いていた。かろうじて砂漠未満の状態、まるで死にかけているような大地だ。
自然に風化したとは とても考えられない。何らか人為的な力によって損壊されたモノに違いない。
背後の樹の方を向くと、遠景に陽光を反射する緩い円弧が見える。海のようだ。
あまり長居はしたくない環境だ、と感じた彼女の思いに反対する者はいないだろう。
しかし、このままでは埒があかない。