最終章 未来を超えて
【27】
一時おとなしくしていた川猪軍が、メタ・タロスめがけて突撃をかけてきた。
先頭を切っているのは、例のあの双子のような小娘たちだ。
それを見て取った兵斗は、憎々しげにくちびるをゆがめ、
「ふん、来おったかメギツネ2匹。その身軽さを生かして、この操縦席まで駆け上ろうというつもりか。バカめが」
そうはき捨てると、操縦席の天蓋をぴたりと閉めた。中はかなりの暑さになるが、これで外部からの攻撃は遮断できる。
兵斗は、望遠鏡のような装置を覗きこみ、外の様子をうかがう。
「さあ、どこからでもかかってこい、忍者ども。このメタ・タロスが相手になってやる!」
雪と桃を守るように展開し走る川猪衆、盟徒、父兄、そして加身番たち。
彼らの使命は雪桃の護衛と、敵の撹乱だった。
絶対火錬咆を放つため、明日香は呼吸を整え、精神を集中させる必要がある。動きまわるわけにはいかない。
そのため、咆を放つのに欠かせない“音集め”は雪桃の仕事だった。
メタ・タロスに接近する2人。そこにむかって機械の腕が振り下ろされる。
2人はそれを難なくかわし、次の瞬間にはその腕に取り付き、軽い身のこなしで登り始めていた。
メタ・タロスはそれを振り落とそうと、さらに大きく腕を振る。2人とも必死でしがみついているのが見てとれる。
「雪さまぁ! 桃さまぁ!」
メタ・タロスを取り囲む川猪衆のあいだから悲鳴のような声があがる。
その機械の腕が地面スレスレまで下りた時、雪が飛び降りた。転がるようにうまく受け身をとり、すばやく立ち上がる。
落ちたのではなく、腕から上がるのはきびしいと見て、自ら降りたのだ。舞闘の得意な雪ならではの決断だった。
雪はそこからメタ・タロスの背後に回りこみ、背中を登り始めた。
突然の銃声があたりを震わせた。雪はとっさに身を伏せる。戦場に戻ってきた鉄砲隊の残党が撃ったものか。銃声は立て続けに鳴った。
撃ちかけてきた地点にあたりをつけた加身番が、猛禽のごとく襲いかかっていった。
桃もいつの間にかメタ・タロスの肩のあたりまで登っていた。
腕が届かなくなったメタ・タロスは、今度は身体全体を激しく揺らしはじめた。
雪と桃の2人はその揺れをものともせず、ゴテゴテしたメタ・タロスの表面をくるくると小動物のように動き回っていた。
下から見上げている宇佐たちには、何をやっているのかまでは見てとれない。たぶん明日香から指示を受けて、どこかの“音集め”をしているのだろう。
「もういいよー」
そう声がしたかと思うと、上から雪が飛び降りてきた。続いて桃も、あっという間に駆けおりてくる。
2人して顔を見合わせにっこりと笑うと、歓声をあげながら走り出した。
「者ども、退け――――っ!」
宇佐はあわてて号令をかけ、雪桃のあとを追った。
【28】
メギツネ2匹と川猪の忍者どもが、クモの子を散らすように退いてゆく。
――まあいい。ハエどもは集まったところを一網打尽にしてやればいい。
兵斗刑部は、操縦席後部にある望遠鏡から後方をのぞいた。
戦場に残っている王堂軍の足軽たちが、続々とメタ・タロスの後ろに集結してきていた。
ざっと見渡したところ、2000人近くはいるように見えた。
こんなに減ってしまった、とは考えなかった。まだこんなに残っているじゃないか。兵斗はそう考えた。
これならまだ十分な戦力になる。しっかりこのメタ・タロスの後ろについてこい。
兵斗はメタ・タロスをゆっくりと前進させた。
狙うは真正面で仁王立ちになっているあの女、火錬の娘だ。
兵斗は追い詰められた獲物をいたぶることに無上の喜びを感じる男だった。その残忍な気性を抑えきれず、“スピーカー”のスイッチを入れた。
「王堂軍に歯向かう愚かな女よ。聞こえるか。われこそは王堂軍総大将、兵斗刑部なり」
周囲に彼の音声が響きわたる。
「火錬のメギツネ。きさまはまたあのおかしな技を使ってくるつもりだろうが、無駄なことだ。このメタ・タロスの巨体を、あれで破壊することなどできはしない」
これはミスター・ウェンブリーの意見だ。間違いはなかろう。
「それに、鎧が素肌に密着していた騎馬隊の重装鋼人とちがって、ここの操縦席には空間がある。いくら外装を振動させても、中にいる私には何の影響もない。このメタ・タロスを止めることなどできはしないのだ。
わかるか、メギツネ。この先、お前たちを待つものは敗北! そして滅亡! それだけだ。それがお前たちの未来なのだよ! さあ、蹴散らしてくれるわ、忍者ども!」
スピーカーをオフにすると、兵斗は望遠鏡を通して前方を睨みつけながら、ひとり短く嗤った。
非常に気分がよかった。
【29】
地響きをたてて、まっすぐこちらを目指してくるメタ・タロスを見すえながら、明日香は不思議と落ち着いていた。
指先をキツネのかたちにした腕を、顔の前で斜め十字に組み、じっとその時がくるのを待つ。
これから放つ絶対火錬咆が、あの鋼鉄のからくり人形を見事倒したならば、王堂軍は今度こそ敗走し、川猪軍が勝つだろう。
もし咆が通用せず、あれを倒しそこねたら……。
もうこちらに打つ手はない。立て続けに最大限の絶対火錬咆を放つことはできないのだ。
士気の低下したところに王堂軍が襲いかかり、川猪軍は敗走を余儀なくされることになる。負けるのだ。
どちらにしろ、これが――正真正銘、最後の戦いとなる。
つい今しがた、兵斗刑部は言った。
敗北そして滅亡が、私たちを待つ未来だと。
確かに目の前にせまる巨大な壁を――あの黒い鋼でできた死の壁を――乗り越えられないと、私たち川猪衆の未来はそうなってしまうだろう。
ならば――超える。
その未来を超えてやる。
川猪衆は明日香の前をあけ、そのまわりを守るように囲っている。
明日香の両隣では、雪と桃が同じ構えをとって仁王立ちしていた。
3人の少女は、かわるがわる顔を見合わせる。
状況は騎馬隊を壊滅させた時とほぼ同じだ。だが今回は雪も桃も真剣な顔をくずさない。
鋼鉄の巨体が、ゆっくりと射程に近づいてくる。明日香は呼吸を整え、大きく息を吸いこんだ。
放つ、最後の絶対火錬咆――――!
明日香のノドから力強い歌声にも似た音がほとばしり、振動する壁が音速で疾る。
長く長くのびる声。まだ止まない。明日香は声を放ち続ける。
メタ・タロスの操縦席で、兵斗はかすかな振動を感じた。
それは長く続いたが、彼をかこむ鋼鉄の装甲は何の変化もおこさない。
「みたかメギツネ。そんなもの、このメタ・タロスには効かぬわ!」
兵斗のカン高い嗤い声が、せまい操縦席に響く。
鋼鉄のからくり人形は、かすかに震えているようだったが、大きな変化がおきたようには見えなかった。
明日香の声は時々息継ぎをはさみながら、まだ続いている。
宇佐はじっと待っていたが、さすがに耐え切れなくなった。
このままでは……姫さまの喉が……もたない――!
「明日香様――もう……もうおやめくださいっ! あなたの喉がもう――」
その宇佐の訴えをかき消すように、明日香の隣に立つ雪が叫んだ。
「最大――――!」
それに呼応するように桃も叫ぶ。
「大胆――――!」
3人の少女は一体となって、迫り来る巨大な敵に立ち向かっていた。
だが――。宇佐はくちびるを噛みしめる。ここまでだ。
ここまで明日香が頑張っても、あの鋼鉄の巨人はびくともしない。これ以上はもう無理だ。川猪の命運は……つきた……。
「うわははははははは! さあ、蹴散らせ! 叩きつぶせメタ・タロス! あそこで突っ立ったまま、無駄なことを続けているあのメギツネどもを――」
うかれて叫び続けている兵斗の耳が、かすかな異音を――とらえた。
それは、突然だった。
何かがはじける音がした。
次の瞬間、メタ・タロスの脇腹のあたりから、突然蒸気が吹き出した。
次に首のあたりから、そして背中のあたりからも、次々と大量の蒸気が吹き出した。
メタ・タロスの動きが次第ににぶっていく。断末魔の痙攣のようにガクガクと揺れはじめる。
なにが起きたのか理解できないまま、揺れる操縦席で兵斗はパニックをおこしていた。
「なんだ……? なんだ、この揺れは? この“メーター”の針はなぜ動かない? この“レバー”に、なぜメタ・タロスは反応しない――?」
兵斗は操作盤にこぶしを叩きつけ、大声で叫んでいた。
「何をやったんだっ……火錬のクソメギツネぇえええええっ!」
いまや身体のいたるところから蒸気が吹き出しはじめたメタ・タロスは、そのうちにヒザからゆっくりと崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
宇佐は自分の見たものが信じられなかった。
あの鋼鉄の巨人が……動きを止めた。明日香様の絶対火錬咆が……破壊した……?
しかしあの化け物は、見た目どこも壊れてはいない……。明日香様はいったい、どうやって……?
宇佐は思わず振り返って明日香を見る。
彼女は荒い息をつき、頬を紅潮させ、無言でその場に立っていた。目は鋭さをたたえたまま、前を見据えている。
明日香はメタ・タロスの鋼鉄の装甲を、その内部の機関すべてを、破壊するつもりなど最初からなかった。
メタ・タロスは人の形をしている。
人の形ならば、“血”を全身に送る“血管”に相当する部分が必ずあるはずだ。全身をバラバラにしなくても、大きな血管さえ絶てば人は死ぬ。
明日香はそう考えた。
メタ・タロスの“血管”、それは装甲のそこここから見え隠れする、真鍮製の“蒸気パイプ”だった。
そして明日香は直感でそれを見抜いたのだ。
明日香が絶対火錬咆で共振させ破壊したのは、メタ・タロスの巨大な身体――鋼鉄の装甲におおわれた全身――ではない。
小さな細い部品、真鍮のパイプだったのだ。
ウェンブリーは興奮を隠そうともせず、独り言を口走っていた。
「なんという……なんという少女だ。なんという声だ。そしてあのたたずまい……。もはや女王の風格さえ感じられるではないか。すばらしい。実にすばらしい……」
自社の最新兵器が、たった3人の少女たちによって動けなくされた事実は、たしかに重大なことだ。それはそれできちんと報告する必要はある。
だが今の彼には、そんなことは些細なことでしかなかった。
あの3人の少女を、いつかわが国に招待したい。
退却の号令が飛びかい、騒然とする本陣の中で、ウェンブリーはうっとりとそんなことを夢想していた。
【30】
総大将自らがあやつる最後の切り札、メタ・タロスの敗北に、王堂軍は恐慌をきたし、すべての兵がいっせいに逃げ出した。脇目も振らず、一目散に逃げてゆく。完全なる敗走だった。
「か……勝った……。われらが……あの王堂軍に完勝した……」
宇佐は震えがとまらなかった。明日香を見た。この戦を勝利に導いた、わが軍の総大将を。
「あ、明日香様。勝どきです……。皆に勝どきを……」
そう言われて、明日香はようやくわれに返ったようだった。ひとつうなずくと、指をキツネの形にした手を高くかかげ、声のかぎり叫んだ。
「者ども……キツネをあげよ!」
川猪衆、盟徒、父兄、加身番、すべての者たちがキツネ指の手をかかげ、勝どきをあげる。
「オ――――――ッ! キツネだォオ―――――――――――ッ!」
明日香は、今まで押さえてきた感情が急にあふれてきて、それが思わず口をついて出た。
「今日ここに……新たなる鋼人が生まれた! われらは――われらこそは――新たなる鋼人だ!」
おお、という皆の声がそれに応じる。
「われらは――」「新たなる鋼人!」
「われらは!」「新たなる鋼人!」
地鳴りのようなその雄叫びは、いつまでも曽似洲の空に響き渡っていた。
倒れたままのメタ・タロスの操縦席から兵斗刑部が這い出し、そのまま逃走したのが目撃されていた。
が、明日香は追いかけて討ち取ることを命じなかった。
もう十分だ。6000もの軍勢相手に勝利し、撃退できたことだけで、今は十分だった。
王堂に変事が起きないかぎり、これからもその侵攻は続くだろう。
いつでも来い、というつもりはない。戦いは本意ではないのだ。
が、ふりかかる火の粉は払う。全力で。
明日香はふと、おとといの朝――もうずいぶんと遠い昔のような気がする――、堺の商人とともに館を訪れた異国人のことを思い出した。
その時、教えてもらったのだ。異国の言葉を少しばかり。
雪と桃に耳打ちした。2人ともくすぐったそうに笑いながらうなずく。
そして、もうほとんど姿が見えなくなった王堂軍の、敗走する兵たちの背中にむかって、“またね”という意味の異国の言葉を、3人で声をそろえて叫んだ。
「See you――――!」
【 完 】