第7章 抵抗のロード
【22】
ヨンヨ―――――――――ン……
赤い鬼神の奇怪な鳴き声が山中に響き渡る。
王堂軍本陣の武将たちは、完全に浮き足立っていた。
「兵斗殿、もう終わりです。あんな化け物相手に勝てるわけがない。退きましょう。ここは一度、退却するのです」
副将はキレられるのを覚悟の上で、総大将の兵斗にそう進言した。
兵斗刑部は、先ほどから曽似洲を見下ろしたまま、微動だにしない。
「兵斗殿、退かなければ。捲土重来を期して――」
何かが砕ける音がした。
兵斗が望遠鏡を握りつぶし、レンズが砕けたのだ。
兵斗の激情が爆発する――副将は一瞬、身を硬くした。
……が、振り返った兵斗の顔は怒りに歪むどころか、逆に完全に無表情だった。彼は静かな声でこう言った。
「化け物……? 化け物ならわれわれも持っているでしょう……」
副将はすぐに、兵斗が何のことを言っているのか理解した。
「いけません。あれは天宇津攻めのための……天宇津城攻略の秘密兵器です。鉄砲隊を温存していたのとはワケが違います。こんなところで出すべきものでは――」
兵斗は無表情のまま、手にした望遠鏡でいきなり副将の頭を殴りつけた。
そして吹き飛んだ彼には目もくれず、本陣の隅に立つ1人の男にむかって叫んだ。
「ミスターウェンブリー。あなたが売りつけた“あれ”は……あの赤鬼を倒せるか?」
ミスターウェンブリーと呼ばれた、その金髪碧眼の異国人は、葉巻をくわえたまま、のんびりとした口調で答えた。
「Mr.ヘイト、わがウェンブリー&ブリクストン社のS.S.E.――Steam Struggle Engine――は、世界最強デス。壊せないモノ、ありまセン」
兵斗はゆっくりとウェンブリーの方に向きなおり、うっすらと笑いながらこう言った。
「では……起動させてくれ」
【23】
ウェンブリー&ブリクストン社は、いわゆる“武器商人”である。
乱世の真っ只中にあるこの極東の国には、巨大なビジネスチャンスがころがっていた。W&B社は数年前から王堂家と取引を始め、王堂真鋼の台頭とともに莫大な利益をあげたのだ。
近い将来、王堂はこの国を統一するだろう。W&B社はそう予想し、総力をあげて王堂をサポートすることを決めた。
今回、最新兵器であるS.S.E.を投入したのはそのためである。
ミスターウェンブリーことアレックス・ウェンブリーは、W&B社の最新兵器S.S.E.の操作・メンテナンスを指導する立場として、この国にやってきた。
今回の川猪攻めでは、S.S.E.を使う予定はなく、ウェンブリーはオブザーバーとして文字通り、戦闘開始から今まで口をはさまず、ずっと戦いを観察していた。
S.S.E.への火入れを指揮しながらウェンブリーはため息をつく。
――Mr.ヘイトにも困ったものだ。彼は指揮官には向いてないな。
こんな状況でわが社の新兵器を投入するのは本意ではないが、顧客の強い要望とあらばしかたない。拒否するわけにもいかない。
――それにしても……。
ウェンブリーは今日この目で見た、驚くべき光景を思い返していた。
乱戦の中をヒラリヒラリと舞い踊る赤いスカート。激しくゆれるポニーテールとツインテールの髪。なんと美しく、魅力的で力強い戦い方だろう。
武器商人である彼は、本来なら共振を利用した振動兵器や、機械仕掛けをうまくカムフラージュした、あの巨大な赤い機械人形――ウェンブリーは太郎のことをそう考えていた――の方に興味を示すべきである。
だが彼はそれらよりも、あの3人の少女に魅了されていた。
S.S.E.の投入で、この戦いの最終局面がどう変化するかは、彼にも正直わからない。
商人としての立場でいうなら、王堂軍の勝利を期待すべきだろう。
だが――。ウェンブリーは葉巻をくゆらせながら静かに考えこむ。
とにかく今は、S.S.E.であの赤い機械人形を撃破するのだ。そしてその後は……あの少女たちを、その戦いを見守ろう。
私はオブザーバーなのだから。
巨大な台車に横たえられたS.S.E.から大量の蒸気が吹き出した。
起動準備が完了したのだ。
【24】
木々をへし折りながら森の中から姿を現したのは、巨大な金属の塊だった。
その塊は不恰好だが、人の形をしていた。
もし明日香たちに異国の動物の知識があったなら、それのフォルムがゴリラに似ていると感じただろう。
にぶい黒色に輝く鋼鉄の装甲に覆われ、ところどころ金属のパイプや歯車、シャフトなどが見え隠れしている。腕は長く、手先は5本指ではなく、2本の大きなツメとなっていた。
小さめの頭部には、人間の目にあたる位置にレンズが備わっており、それがこの鋼鉄の塊をいくぶんか生き物らしく見せていた。
S.S.E.――蒸気格闘機関――“メタ・タロス”。
ギリシャ神話に登場する自動人形“青銅の巨人タロス”を、最新技術で今の世によみがえらせた、W&B社の超兵器。
身長15m。蒸気により動き、操縦は背中の操縦席に直接乗り込んでおこなう。
明日香たち川猪衆は我を忘れて、その巨大なからくり人形を見つめていた。
「あんな……大きなからくりが……動いてる」
思わずそうつぶやいた明日香の後ろで、宇佐はメタ・タロスのそこここから吹き出す蒸気に気づいた。
「聞いたことが……あります。異国では蒸気を使って、どんな重いものでも動かす技術が開発された、と」
その言葉通り、メタ・タロスは胸から派手に蒸気を吹き出すと、巨体をゆらして方向転換した。
その先には――鉄砲隊をつぶし終えた式神、太郎がいた。
太郎も頭をめぐらせ、メタ・タロスを見遣る。
両者の間に、目に見えない火花が散る。
異界太郎 対 メタ・タロス――!
通常の合戦の範疇を超越した、異次元の戦いが始まろうとしていた。
ヨ―――――――――――ン!
太郎の叫び声が合図となり、両者はおたがいに向かって突進した。
速さは太郎の方が圧倒的に速い。あっという間にメタ・タロスとの距離をつめると、その胴体に強烈な拳の一撃を放った。
衝撃にゆれ、わずかに後退するメタ・タロス。だが大したダメージを受けたようには見えない。
メタ・タロスは、その図体に似合わないすばやい動きで太郎の腕をつかむ。2本の鉄のツメが、赤い肌に食いこむ。
「ヨヨ―――――――――――ン!」
太郎は苦しげに身をよじり、その機械の手をもぎ放そうとする。メタ・タロスはまったく動じない。左腕を大きく振りかぶると、太郎の頭を殴りつけた。
この一撃でさすがの太郎もひざから崩れた。頭部からおびただしい血が吹き出す。だが右腕をガッチリとつかまれているため、この間合いから逃げられない。
メタ・タロスは立て続けに太郎に打撃を叩き込む。そのたびに太郎の肉がひしゃげ、血しぶきが飛び散った。
「太郎―――――!」
誰かが思わず式神の名を叫ぶ。その時、明日香は気づいた。
今まで青く光っていた太郎の胸が、いつの間にか赤く点滅しはじめていた。
曽似洲から遠く離れた館の縁側で、古旗真鑑は息も絶えだえにつぶやいた。
「む……無念っ。体調さえ万全で……あったなら……もう少し長く……式神を操れた……ものを……」
古旗は血を吐き、その場に倒れ伏して――意識を失った。
そしてそれと時を同じくして、式神・太郎の姿は赤い霧となり、大気に溶けて消え去った。
【25】
「ああ……っ、古旗殿の式神が……」「太郎が消えた……負けたんだ……」
「川猪の切り札が敗れた……」
川猪衆のあいだに動揺が走る。
さすがに王堂軍の足軽たちのように、戦場から逃げ出す者はいないが、つい今しがたまで勝利を確信していただけに、その反動は大きい。
片や逃げ腰になっていた王堂軍は、わずかに息を吹きかえした。少なくとも戦場からの離脱に歯止めはかかったようだ。
どこからか高笑いが聞こえてきた。
どこか狂気の匂いがする、精神の失調を感じさせる笑い声だった。
その笑い声の主は、メタ・タロスの背中、操縦席に座っていた。
「見たか! 思い知ったか、忍者ども! 忍者風情が王堂に勝てると思ったか、愚か者どもが! ぎゃははははははは」
宇佐が小さく「兵斗刑部……」とつぶやくのが聞こえた。
あれが兵斗……王堂軍の総大将。明日香は改めてその男を見た。
目は血走ってつり上がり、口元からはよだれが垂れていた。どう見てもまともではない。
明日香は背筋が寒くなった。この男はすでに総大将という立場など関係なくなっているのだ。総大将としての判断で動いているのではなく、自らのうっぷんを、私怨を晴らすために動いている。明日香にはそう見えた。
「でかい赤鬼はくたばった! 次は――」
兵斗がそう叫ぶと、メタ・タロスはゆっくりと明日香たちの方へ向き直った。
「川猪の3匹のメギツネども! お前たちだっ!」
メタ・タロスは地響きをたてて、こちらへ歩き出した。
ウェンブリーは丘の上の本陣から、その様子をじっと観察していた。
Mr.ヘイトは見事だった。数週間前に1度、レクチャーを受けただけのはずなのに、あそこまでメタ・タロスを操れるとは。
ついでウェンブリーは3人の少女に目をやり、自問自答する。
彼女たちはメタ・タロスとどう戦うのだろう。
わかりきったことだ。あの共振兵器を使うしかない。だが――。
「あれほどの巨大な鋼鉄のボディを共振で破壊するのは……不可能だ」
少なくともかなりの時間、振動を与え続けなければならないはずだ。そんなことは不可能だと言わざるをえない。
――さあ、どうするのだ。あの少女たちは……。
【26】
「お逃げください、明日香様、雪様、桃様。あやつの――兵斗の狙いはあなたがた3人です」
宇佐は血相をかえて明日香たちに、戦場からの離脱をうながした。
まわりを囲む川猪衆や盟徒、父兄たちも真剣な顔をしてうなずく。
明日香はくちびるを引き結び、メタ・タロスをにらみすえたまま言った。
「そうはいきません。私たちがここで逃げてしまったら、川猪は負けです。王堂軍は息を吹き返し、再び軍勢を取りまとめ、里に攻め入ってくるでしょう。そんなこと絶対にさせるわけにはいきません」
明日香の横で雪と桃は大きくうなずいている。この子たちの決意にゆるぎはない。
だが宇佐はさらに言いつのる。こういった助言こそが、古参である彼の役目なのだ。
「里にて……仕掛けをめぐらせ罠をかけ、待ち伏せ、奇襲をくり返す。そういう戦い方もあります、明日香様。われら忍者本来の……戦い方です」
しばし明日香と宇佐の視線が絡みあう。そして明日香は微笑んだ。
「宇佐さん、これは里を守るための戦いです。里を犠牲にして勝利したところで何にもなりません。それに私たちは“新たなる鋼人”として戦うはずでしょう。曽似洲というこの合戦の場で、堂々と」
宇佐は思わず瞠目し、明日香を見つめた。
その背後に、亡き殿・火錬正義の姿を見たのだ。
――この方はまさに……火錬正義の娘よ……。
ふと涙ぐみそうになるのを咳払いでごまかし、宇佐は大きくうなずいた。
「わかりました、姫さま。ですが、あのデカブツを……どう攻めるおつもりか?」
明日香は表情を引きしめる。
「手はひとつしかありません。絶対火錬咆です」
予想はしていた。確かに宇佐も、それしかないとは思う。だがしかし――。
「無理です、姫さま。あんな巨大な鋼の塊を相手にするなど……あなたのノドがもちません!」
「あの鋼の塊は人の形をしています。それならば――勝機はある」
明日香は、この話はここで終わりだと言わんばかりに、きっぱりとそう言い切った。
【つづく】