第6章 DETA! 式神太郎
【19】
曽似洲で鉄砲隊が攻撃をはじめた、ちょうどその頃。
王堂軍の別働隊である安地半兵衛と彼が率いる7人の忍者たちは、目的地を見下ろす山の斜面にたどり着いていた。
木々の隙間から古い寺院が見えている。それこそが桜岳院だった。
「いくら男たちが戦いに出払っているとはいえ……こんなに容易に潜入できるとは……ふん、川猪の里とはこんなものか」
安地はそう嘲ると、後ろに控えているはずの配下に声をかけた。
「あの尼寺には女子供しかいない。が、その女たち――尼僧――の何人かは元“くの一”だ。そこだけは気をつけろ。やることは単純だ。皆殺しにして火をかける。それだけだ。わかったな」
返事がなかった。
「――――?」
振り返ってみたが、配下の姿が見えない。気配さえ消えている。
バカな。やつら一体どこに――。
その時、誰かが安地の耳にささやいた。
「やらせねぇよ……」
安地は驚愕に目を見開き、あわてて振り返る。が、誰もいない。
「だ……誰だっ! 何者だ――!」
答えはまたもや彼の耳元でささやかれた。
「あんたが襲おうとしてた尼寺の、寺男だよ……」
安地は腰の忍者刀を、目にも留まらぬ速さで声のした方へ抜き払った。並の忍者ならば、胴を真っ二つにされていたはずの斬撃だった。
だが声の主はいつの間にか安地の背後に回りこみ、彼の腕と首を押さえこんでいた。
「桜岳院にいる女子供を皆殺しにして、火をかける? んなこたぁ、ないないない……」
桜岳院の寺男、森蔵はそうささやくと、安地の首を易々とへし折った。
王堂軍が放った忍者を始末し終えたあと、森蔵は生い茂る藪の方に声をかけた。
「いるんだろ、みよ。松。出てこいよ」
ほんの少し間があったのち、藪の中から忍者装束に身をつつんだ2人の長身の美少女が姿を現した。
“みよ”と“松”と呼ばれたこの2人は、桜岳院で育ち、現在は他国の大名に仕える“くの一”である。
「お前ら勝手にこいつの――」と、森蔵は安地の死体を足で蹴る。「手下どもを始末したろ。わかってんだぞ」
そう言われて、みよと松はにっこりと微笑む。
「“盛千”もトシだからさ、7人も相手にするのは大変だろうなって思って、手伝ってあげたんじゃない。感謝してよ」
「ふん、なに言ってやがる。お前らに手を貸してもらうほど、落ちぶれちゃいねぇよ」
そう言いながらも、森蔵はかすかに笑みをうかべている。
「お前たち、いいのかよ。こんなところに出張ってきて。主は許可なんかしないだろ」
「桜岳院があぶないんじゃあ、来るしかないでしょ」
「……まあいいや。よくやったよ。腕をあげたな、2人とも」
森蔵はどこかまぶしげに2人を見、桜岳院の方を振り返って続けた。
「どうだ。せっかくだから寄っていくか。喜ぶぞ、みんな」
みよと松は、かすかに首を振る。
「今はそんなことしてる場合じゃないしね。またいつか遊びにくるよ」
「藤彩尼(とうさいに)様にも会っていかないのか」
藤彩尼とは桜岳院の庵主である。
みよや松だけでなく、明日香や雪、桃を育てた尼僧の長であり、凄腕といわれた元くの一なのだ。
「うん……。藤彩尼様は……元気?」
「すこしふっくらされたが、まだまだお元気だ。いつだって現役復帰できるぞ」
そう聞いて2人のくの一は、少し嬉しそうな笑顔をみせた。
「……明日香ちゃんと、雪桃は……大丈夫だよね?」
去り際、みよ松は少し心配そうに森蔵にそう尋ねた。
森蔵は曽似洲の方角に目をむけると、先ほどまでとは打って変わって、真剣な顔でつぶやいた。
「大丈夫だ……あの子たちは俺の教え子だからな……」
【20】
はるか彼方から風にのって、鉄砲の音が聞こえてきた。
「鉄砲隊の……お出ましか。予想より……少しばかり遅かったな……」
川猪の軍師、古旗真鑑は、包帯だらけの身体を床から起こして、そうつぶやいた。
王堂軍自慢の鉄砲隊は、いつ出てくるか。それが一番の問題だった。
緒戦に――戦いの最初に――出てこられると、正直なところヤバかった。
“Wall of Death”で重装甲騎馬隊を誘い出し、明日香の奥義“絶対火錬咆”で仕留める……という策が根底から覆ってしまうからだ。
だが古旗には十分な勝算があった。緒戦に鉄砲隊は出ないと読んだポイントは4つ。
1つ。重装甲騎馬隊は、王堂軍の総大将である兵斗刑部の発案で生まれたものである。
2つ。異国から最新の火縄銃を大量に購入し、組織された王堂軍の鉄砲隊は、当主・王堂真鋼本人の指揮により結成されたものである。
3つ。此度の川猪攻めはあくまで前哨戦であり、王堂軍にとっては、この後にひかえた天宇津攻めこそが本命であり、重要な戦である。
4つ。総大将の兵斗刑部は、自分勝手でプライドが高く、非常に短気であり、一度キレると手がつけられなくなる。
以上の4点から導き出された結論は――
『王堂軍の鉄砲隊は、本命の天宇津攻めにそなえて温存される。が、戦いの中盤以降、戦況が王堂に不利であるならば、なりふり構わず投入されるだろう』
――というものだった。
そしてその推測は、見事に的中したのだ。
ようやく……私の出番だ……。陰陽師としての……私の力を……使う時がきた……。
古旗は傷だらけの身体を引きずるようにして、庭に面した縁側まで出た。
大きくひとつ息をつき、右手の中指を噛み切る。流れ出た血で左の手のひらに文字のようなものを書き、その手を空にむけて突き出し、叫んだ。
「わが使役する式神、“太郎”よ! 召喚に応じ異界よりいでよ! 鬼神招来急急如律令!」
晴れた空に、突然雷鳴がとどろいた。
【21】
文字通りの青天の霹靂に、戦場は一瞬凍りついた。
雷鳴に続いて地鳴り、そして震動があたりをふるわせる。川猪、王堂両軍の兵は騒然とし、うろたえた。
王堂軍総大将・兵斗刑部は、動揺する武将たちを大声でどなりつけた。
「うろたえるな、バカ者! これはやつらの妖術、いや単なる忍術だっ! 目くらましの類よ。そんなものに踊らされるでないわ!」
「し、しかし兵斗殿、あれを……あれをご覧なされ……!」
言われて兵斗は、眼下の河原を見た。
地面が――河原の石と川の水が渦を巻いていた。
端から端まで5丈――約15m――はあろうかという、巨大な渦だった。
渦の中心にあいた穴は、稲妻を放ちながら次第に大きくなってゆく。
「な……なんだ、あれは……?」
次の瞬間、穴のまわりの土砂が大きく吹き上がり、中から炎をまとった何かが飛び出してきた。
望遠鏡を使うまでもなかった。“それ”は巨大だった。
見た者は皆、自分の目を疑っただろう。
身の丈3丈半――約10m――はありそうな、赤い肌をした巨人。いや、鬼神といったほうがいいかもしれない。“それ”の頭からは、銀色に輝く2本の巨大なツノが生えていたのだ。そしてその胸の中心、心臓があるべき場所は青く光り輝いていた。
「お……鬼だ……赤鬼だ……」「赤い鬼神だぁあああっ!」
兵たちは恐れおののき、われ先にとその場から逃げ出した。
これぞ古旗真鑑の式神、“太郎”である。
式神とは陰陽師が使役する鬼神のことである。求めに応じて異界より現れ、主の指示に従い、役目をはたすのだ。
「ヨ―――――――――ン!」
太郎は不気味な声で雄叫びをあげると、王堂軍鉄砲隊めがけて突進した。
鉄砲隊の兵たちはあわてふためき、鉄砲を放り出して、クモの子を散らすように逃げ出した。
中には勇敢にも太郎にむけて撃ちかける者もいたが、彼にはまったく効かず、巨大な腕のひと振りで軽々と吹き飛ばされた。
「ヨヨ――――――――ン!」
太郎は四つん這いの格好で地響きをたてて駆け回り、次々と鉄砲隊を粉砕していった。
この式神・太郎の出現は、決定的な打撃を王堂軍に与えた。
ここまで数の優位さだけでなんとか踏みとどまっていた王堂軍は、このことで総崩れとなった。そこここで戦場に背をむけ離脱していく者たちが見られた。
明日香はあっけにとられながら、戦況が一気に勝利に傾いていく様をながめていた。
「明日香様、勝てます。この戦、あと一押しで勝てますぞ!」
気づくと古参の宇佐が、彼女のかたわらで興奮して叫んでいた。
いつの間にか雪と桃も、加身番とともに明日香のまわりに集まってきていた。
明日香は雪桃の姿をみて言葉を失った。
2人ともひどい有様だった。衣装は裂け、手足や顔には血がにじみ、泥だらけになっていた。
「雪……桃も……なんて姿に……」
そう言う明日香に桃は「明日香ちゃんだっておんなじだよ」と返す。
つい頬がゆるみそうになる。
ダメだダメだ。明日香は懸命に気を引き締めようとした。ここで緩んでしまうと、緊張の反動と疲労で、きっともう身体が動かなくなる。座り込んだまま立ち上がれなくなる。
戦いはまだ終わったわけではない。ここから敵の総大将――兵斗刑部とかいうイヤなやつらしい――を追いつめるのだ。
「みんな、気をゆるめてはダメです! 生き残って家に帰るまでが合戦です! これから敵の総大将を――」
明日香は、味方を鼓舞するためのせっかくの演説を、最後まで言い切ることができなかった。
前方の森――曽似洲の対岸、敵本陣のすぐ下にある森――で、何か大きな音がしたのだ。
木々がへし折れる音、重いものが動いているかのような地響き。
「あれは……なに……?」
身構えた明日香たちは、大木が軽々と吹き飛ぶのを見た。
そして――森の中から“それ”が姿を現した。
【つづく】