第5章 カミバンギャー!!
【14】
“Wall of Death”での激突は、ほぼ互角だった。
6対1の戦力差があるにしては、川猪軍は健闘していたといっていい。これには重装甲騎馬隊の壊滅が大きく影響していたのは間違いない。王堂軍の士気は著しく低下していたのだ。
両手に忍者刀を持ち、目の前に立ちふさがる敵を斬りふせながら、明日香はゆっくりと前進していた。
雪と桃も、明日香を中心に左右に分かれて、この混戦の中懸命に戦っているはずだ。
もしかしたら……このまま押し切れるかもしれない。昨日は絶望的に思えたこの戦を、なんとかしのげるかもしれない……。
そう思いたい。だが明日香には、それが楽観的にすぎる、ということがよく分かっていた。
あの王堂軍がこのまま終わるとは思えない。必ず何か手を打ってくるはずだ。
彼らは……まだ本気を出していない。
明日香にはそう感じられて仕方なかった。
突然、明日香の目の前が大きく開けた。
敵味方入り乱れた乱戦の中にぽっかりと口をあけた真空地帯のように、円形の空間が出現したのだ。
これは偶然できたものではない。周囲の王堂軍足軽が壁となり、ここに広い空間を作り出したのだ。
それに気づき身を硬くした明日香の前に、のそりと4つの人影が進み出た。
4人とも明日香よりはるかにでかい。武将級の鋼人だった。
彼らの兜の前立てには見覚えがあった。
今朝、軍師の古旗から教わったのだ。注意すべき武将として。
根田、祖根、室土、矢咬。
“魔王の蛇”の異名をもつ兵斗刑部の配下、“蛇の四天王”と世ばれる猛将たちである。
明日香は瞬時に理解した。
誘いこまれたのだ。人の壁で囲われた、この“闘技場”に。
「お前さえ殺せば、川猪軍は総崩れとなる。火錬の姫よ」
「ふん……総大将のくせに、こんなところまでノコノコと出てきたのが間違いよ」
明日香はとっさに、短い“咆”を放とうとした。
人体にも“固有振動数”は存在する。ただ人体の場合、共振させなくても咆の超振動を当てるだけで、相手を一瞬麻痺させたり、吹き飛ばしたりできるのだ。
「それは――使わせん!」
矢咬はそう叫ぶやいなや、恐るべき速さで槍を突き出してきた。明日香はギリギリでその槍先をかわす。とても咆を放つ余裕はない。
「死ねぇ! 火錬のメギツネ!」
四天王が一斉に襲いかかってきた。明日香は身につけた舞闘の動きで斬撃をかわし、刺突をくぐり抜ける。
彼らはその身のこなしに一瞬、虚を突かれたようだったが、すぐさま身をひるがえし、再び明日香にむかって殺到する。
「休む暇を与えるな! 4人総がかりで仕留めるのだッ!」
暴風のような強烈な斬撃が、次から次へと途切れることなく明日香を襲う。咆を放つどころか、目くらましの煙玉を取り出すスキさえ与えてくれない。
かわしきれずに忍者刀で受けると、それだけで吹き飛ばされてしまう。
次第に敵の刃は明日香の服を、肌をとらえ、斬り裂きはじめた。
【15】
このまま4人全員を相手にはできない。いずれ致命傷を受けることになる。
1人……せめて1人、刺し違えてでも――倒す!
明日香が悲壮な覚悟を決めた――その時。
四天王の動きが突然止まった。
4人とも唖然として、人囲いの彼方を凝視している。
「――――?」
明日香もその視線の先を追い、そして見た。
密集した兵たちの頭を踏みつけ、跳ぶようにこちらに向かってくる4つの白い人影を。
彼らは敵の囲いを軽々と飛び越えると、明日香を守るように四天王の前に立ちはだかった。
「加身番(かみばん)!」
明日香は思わずその名を叫んでいた。
4人の白い守り神、加身番。
彼らは元は王堂真鋼に仕えていた鋼人である。王堂の冷酷非道なやり口に反発し批判したことで、斬首されそうになったため、王堂のもとから離脱したのだ。
火錬正義はそんな彼らを受け入れ、食客として遇したのである。
こうして彼らは、平時には里人たちに武術を指南するなどして客としてすごし、大事が起きた際には、火錬の姫たちを守護する役目を担うこととなった。
彼ら4人は「我らは一度死んだ身である」として、日頃から白い死に装束を着用し、マゲも結わず、顔も亡者のごとく白塗りにしている。
“大斬り”“小斬り”と呼ばれる2人は、長大な大太刀であらゆる物を斬り裂く。
“坊”と呼ばれる僧形の男は、十文字槍で神速の突きを繰り出す。
“青”と呼ばれる男は、大太鼓のバチのような2本の鉄の棒で敵を粉砕する。
その加身番が、明日香の危機に駆けつけたのだ。
あと一歩のところで明日香を仕留めそこなった四天王は、いまいましげに白い乱入者たちを睨みつける。
「あぁ? なんだ貴様ら。われら“蛇の四天王”とやろうと言うのか?」
加身番の1人、“坊”はその問いかけに舌を出して応え、くるりと後ろを向いてみせた。その真っ白な後頭部には墨で黒々と、こう書かれていた。
『南無阿弥陀仏』。
他の加身番たちはニヤニヤ笑いながら、黙ってそれを眺めている。
完全に挑発していた。そして単純な四天王たちは、あっさりとその挑発に乗った。
「こ……この、傾奇者どもがぁあああ! ごるぁあああ!」
わめき声をあげながら突っ込んできた四天王の懐に、白い影が飛び込む。白刃が閃き、激しい金属音が響き渡った。
次の瞬間――四天王は死体となって転がっていた。
明日香は思わず息をのむ。
一撃――。あれほどの豪剣、豪槍をふるう相手を、4人ともたった一撃で……。
なんという速さ、なんという技量だろう。明日香は戦慄すると同時に魅了される。すごい。この人たちは本当に凄い。
この人たちに背後を守ってもらえるなら、怖いものなど何もない。
「加身番のみなさん、ありがとう。でも、私のことはもういいから雪と桃のところへ行ってください。お願いします」
“青”と“坊”が黙ってうなずき左右に散った。
残った“大斬り”“小斬り”とともに、明日香は敵本陣をめざして歩きはじめた。
【16】
望遠鏡を覗く兵斗刑部の手は震えていた。
恐怖や動揺のためではない。激しい怒りのためである。
「……鉄……出せ……」
「は――? 兵斗殿、今、なんと……?」
兵斗の声があまりにも小さく、か細かったため、脇に控えた副将でさえ、つい聞きもらした。
振り返った兵斗の目は血走り、そのあまりの形相に、副将は一瞬絶句する。
兵斗はくいしばった歯の隙間から、一語一語しぼり出すように言った。
「鉄・砲・隊・を・出せ……」
「て……鉄砲隊を? し、しかし兵斗殿、あれは此度は温存し、次の天宇津攻めに用いる――」
副将は最後まで言い終えることができなかった。兵斗が手にした望遠鏡を、彼の喉元に突きつけたからだ。
「……っく。へ……兵斗どの……」
「つべこべ、言わずに、鉄砲隊を出せッ!」
兵斗はそう叫ぶと、返事を待たずに再び背をむけ、望遠鏡のレンズを睨みつけた。
【17】
桃は右手に手裏剣、左手に忍者刀を持ち、戦場をひらりひらりと舞うように動きまわっていた。
足軽相手には、なるべく手足を狙う。戦闘不能にするか、戦意を削ぐことができればそれでいい。とどめは刺さない。
足軽は根っからの鋼人ではなく、そのほとんどが半農の者だ。傷を負えば絶命するまで戦うことなく、そのまま戦場を離脱する者も多いのだ。
ちらりと遠い彼方――雪がいるはずの戦場の反対側――に目をやった。
河原に唯一突き出ている大きな岩の上で、赤い色が動くのが見えた。
雪だ。またあんな危ないことをして。今回は珍しく矢も鉄砲玉も飛んでこないからいいけど……でなきゃ、格好の的だ。
桃はついつい明日香と雪の心配をしてしまう。これはいつものことだった。
特に雪とは、歳も同じ、桜岳院に引き取られた時期も同じ、ついでに背の高さもほぼ同じ、ということで、普段から仲がよかった。
楽しい時も、つらい時も、寂しい時も、いつも一緒だった。
雪もこの戦場で共に戦っていると思うと心強かった。
雪も明日香ちゃんもがんばってる。私ももっと戦おう。まだまだ敵の数は多い――。
どこか遠くで、立て続けに何かが破裂するような音がした。
目の前にいた盟徒たちが、はじかれるように倒れこんだ。
――鉄砲!
桃はとっさに身を伏せた。
こんな混戦の中で鉄砲を使うなんて……味方にだって当たって――
はっとした。脳裏に、岩の上に立つ赤いスカートがよぎった。
雪――――!
桃が例の岩の方に目をむけた瞬間、次の一斉射の発射音が鳴り響いた。桃の視界の隅で、赤いスカートが岩の上からころげ落ちた。
雪が……撃たれた……?
わずかな時間、桃の動きも思考も止まった。まったくの無防備のままで。
いきなりの衝撃でわれに返った時には、敵の傭兵に組み伏せられていた。忍者刀で相手を斬り払う寸前、両方の耳のあたりを強く叩かれた。
返り血をあびて身をおこした桃は、すぐに異変に気づいた。
――耳が……聞こえない……?
さっき受けた耳への打撃のせいだろうか。両方の耳がほとんど聞こえなくなっていた。
桃は青ざめる。
こういった乱戦の中では、音は非常に重要だ。視界外の敵の気配を察知するのは、音によるところが大きい。その音が断たれてしまうと、状況を3次元的にとらえることが難しくなるのだ。
たぶんこれは一時的な障害だろう。
だが今は鉄砲を撃ちかけられているのだ。その発射音が聞こえないのは致命的といえた。
桃は懸命に自分を落ち着けようとした。
雪の安否は不明。自らは耳が聞こえず絶体絶命……。
こんな絶望的な気持ちになったのは、生まれて初めてだった。
だが臨機応変の対応力なら、3人の少女の中では桃がもっとも高いのだ。
……やるしかない。逃げるわけにはいかない。これは自分の戦いだから。雪ならきっと大丈夫。そう信じて、私は自分のやるべきことをやるだけだ。
桃はゆっくりと顔を上げ、迫り来る敵兵にむかって、凄みのある笑顔をみせた。
【18】
最初の鉄砲の音が鳴り響いた時、雪は手裏剣を放つのに夢中で、わずかに反応が遅れた。そのため、岩から飛び降りる寸前に2度目の斉射を受けてしまったのだ。
幸い、鉄砲玉は左腕をかすめただけですんだが、そのせいで1丈――約3m――もある岩の上から落ちてしまった。撃たれたショックのせいか、受け身をとることもできず、地面に叩きつけられた。
雪はしばらくの間、息ができなかった。
手も足も、しびれたように動かない。ぼんやりする頭を振り、懸命に意識をクリアにしようとした。
ようやく目をあけると、こちらに走り寄ってくる敵の姿が見えた。
突きかかってきた槍先をギリギリでかわす。通常ならその柄を蹴って跳び、相手のアゴを蹴り上げるところだ。
だがまだ身体が言うことをきかなかった。よろけながら必死で間合いをとる。全身の筋肉がきしみ、鉄砲玉がかすめた傷から血がしたたり落ちる。
背後から別の槍が突いてきた。かわしきれずにスカートが切り裂かれる。
裂けた赤い生地が腕にからみつく。
雪は手裏剣を投げて相手の動きを止めようとするが、狙いが定まらない。
大きく地を蹴ってこの場から逃れることもできず、地面を転げまわって槍をかわすのが精一杯だった。
気がつくと敵兵は乱戦の中、いつの間にか川猪の兵に倒され姿を消していた。
生き延びた……。
なかば呆然としながらも、なんとか立とうとしたが、思わずよろけて尻餅をついてしまった。
落ち着いて。落ち着いて。雪は懸命に自分に言いきかせる。
大丈夫、どこも骨は折れてない。頭はまだ少しフラつくし左腕からは血が流れているけど、大きな影響はなさそうだ。
――やれる。私はまだ舞える。
明日香も桃も、この戦場で必死に戦っているのに、自分だけがこんなことで退くわけにはいかない。
それに――と、雪は歯をくいしばる。
桜岳院を守るためにも、負けるわけにはいかない。
この曽似洲の戦いで雪たちが敗れてしまうと、王堂軍はそのまま川猪の里になだれ込み、すべてを蹂躙するだろう。そして破壊と略奪の嵐は、桜岳院にも吹き荒れることになる。
そんなことさせない。絶対させない。
正直なことを言うと、雪には川猪の里を守るために戦っているという意識は薄い。
里のためではない。桜岳院のためだ。桜岳院のみんなを守るために戦っているのだ。
そう言うと、里の大人たちは眉をひそめるかもしれない。
でもきっと桃と明日香ちゃんは分かってくれる。
雪はきしむ自分の足を大きく一つ叩くと、鉄砲隊を潰すために、前にむかって歩きはじめた。
【つづく】