第3章 つかまえてごらん if you can
【5】
火錬家爆破の惨事があった翌日の夜には、王堂軍は岩城国の国境に到着していた。
総勢1万人の大軍勢である。うち戦闘要員である鋼人は足軽、傭兵を含め約6000。そしてその中でも攻撃の中心となる重装鋼人の重装甲騎馬隊の数は200騎であった。
王堂軍の本陣は、国境の曽似川(そにがわ)を見下ろす小高い丘の上に置かれていた。陣幕の中では数人の武将が軍議をおこなっていたが、それはおよそ緊張感に欠けたものだった。
「こちらの策によってすでに火錬家当主は死亡。古参の重臣どもも死んだ」
「加えて間髪をいれぬわが軍の進攻。ふふん、さぞ混乱しておるだろうよ、川猪のものどもは」
「まともに戦の支度もできておるまい。このままやつらの里に進軍し、一気にもみ潰してもよいのではありませぬか、兵斗(へいと)どの」
兵斗とよばれた武将は、蛇のような目でなめるように辺りを見回し、ゆっくりと口を開いた。
「やつらが忍者だということを忘れてはいけませんね。忍者とは、怪しげな術と仕掛けで相手を惑わし、そのスキを衝いてくる輩です。
そんなやつらの里ですよ? 村中、罠だらけだとしてもおかしくない。そんな中にノコノコと入っていくようなことは避けたほうがいい」
兵斗刑部(へいと ぎょうぶ)。
このたびの岩城進攻軍の総大将である。その狡猾で酷薄、陰湿な性格により“魔王の蛇”と呼ばれている。
使者を人間爆弾に仕立て、火錬正義を謀殺したのも、この兵斗の計略であった。
「うむ、それは一理ある。ならばどうするおつもりか。忍者が里や山中での利を捨てて、この川をはさんでの堂々の合戦に応じるとも思えぬが」
「やつらとて自らの村が戦場となるのは避けたいでしょう。堂々かどうかは別として、合戦に応じる形はとるでしょうね。それでも万が一、里から出てこないという事態に備えて、手は打っておきますよ」
兵斗はここでいったん言葉を切り、薄いくちびるの端を嗤いの形に吊り上げ、楽しそうに続けた。
「かき乱してやれば、やつらとて動かざるを得ないでしょ。忍者には忍者ですよ……」
武将たちは息をのんだ。
篝火の光に照らされてできた兵斗の影の中に、ひっそりとうずくまる黒い人影を見たのだ。いつからそこにいたのか。これが兵斗のいう、こちら側の忍者なのか。
「くくくくく……」
兵斗の嗤い声は、静まり返った陣幕の中に不気味に響き渡った。
【6】
まだ夜が明けきらぬ中、重装甲騎馬隊の重装鋼人たちは、粛々と出撃の準備を整えていた。
異国から買い入れたという馬は、他国のものよりもずいぶんと大きい。足も速く体力もケタ違いだ。鋼の鎧で覆われていても、疲れ知らずで動き回る。
馬の装備を整えたのち、小者に手伝わせて自分たちも重い鋼の鎧を身に着ける。
この鋼の鎧は彼らのほぼ全身を覆う。遠距離からの矢や、なまくらな打ち刀の刃では内側まで通らない。重すぎて騎乗以外では思うように動けないことをのぞけば、無敵といっていい。
今回の敵である忍者どもが、どんな卑劣な手を使ってくるのか分からないが、われらの機動力で一気に蹴散らすのみだ。
あちこちで重装鋼人たちが、お互いの兜と兜を打ちつけて気合を入れ始めていた時、彼らの1人が非常に場違いなものを目にしたことに気づいた。
暗い森の中に浮かび上がる白いキツネの面。
火ノ瀬というその重装鋼人は、自分の見たものが信じられず、思わず二度見した。よく見てみると、どうやら少女らしい、ということに気づいた。
見たことのない髪の結い方――頭の両側を結び、そこから髪をたらしていた――をしたその少女は、赤い縁取りをした黒い着物を着ていた。そのため白い面だけが浮かび上がって見えたのだ。
――バカな。なんでこんなところに子供が……。
そして思い至った。忍者だ。子供とはいえ川猪の忍者に違いない。さっそくなにか仕掛けてきたのか。
「おい、そこのメギツネ。なにをやってやがる」
火ノ瀬の声で事態に気づいた他の鋼人たちも集まってきた。
キツネ面をつけた少女は、数人の鋼人に囲まれても平然と突っ立ったまま、無邪気なふうにこちらを見上げている。
「いたずらでもしてるつもりか」
首根っこを掴もうとした火ノ瀬の手を、少女は軽い身のこなしでよける。指でキツネの形をつくり、笑いを含んだ声でこう言った。
「鬼さんこちら。手の鳴るほうへ」
「この――――」
火ノ瀬はいくぶんムキになって、本気でその少女を捕まえようとした。彼のほかにも数人の鋼人が行く手をさえぎり、手をのばす。
だが捉えられない。少女はまるで踊っているかのようにひらひらと身をかわし、手を触れることもできない。
そんな馬鹿な。鎧を着込んでいるとはいえ、取り囲んでいるのは鋼人だ。精鋭の重装鋼人だ。小娘1人捕えられないなど考えられない。
その時火ノ瀬は背中にかすかな重みを感じた。首をめぐらせ背後を見る。
目の前に白いキツネの面があった。
先ほどの少女とは別のキツネ面が――こちらも少女だ――彼の背中におぶさるように乗っていたのだ。
「――――!」
彼が声をあげる前に、兜を金属のようなもので軽く叩かれた。
キィィイイ―――――――――――――――ンンン……
2本の金属棒が合わさったような形をしたその小さな器具は、鋭く高い音を発して振動した。
「雪ー。音をとらえた。もういいよー」
背中に乗った少女はそう言うと、身をひるがえして森の闇の中に消えた。
はっとして振り返ると、鋼人たちに囲まれていたはずの1人目の少女も姿を消していた。
「い……今のはいったい……何だったんだ……?」
残された鋼人たちは、まさにキツネにつままれたような顔で、呆然とその場に立ちつくしていた。
敵陣から少し離れた森のはずれで、明日香は桃が持ち帰った“振叉”の発する音を聞いていた。
「よし……音は覚えた。ありがとう、雪。桃」
先ほどまで鋼人相手に身軽に動き回っていた2人は、手をつないだまま、黙りこくって微動だにしなかった。
「どうしたの2人とも……。何かあったの?」
雪と桃はいつにない真剣な表情で明日香に問いかけてきた。
「明日香ちゃん、これで助かる?」「え? 助かるって……?」
2人はおずおずと、声をそろえてつぶやいた。
「……桜岳院……」
明日香はつと胸をつかれ、言葉を失った。そして2人を見つめながら微笑み、力強くうなずいてみせた。
「大丈夫。里も桜岳院も……きっと守るから」
3人の少女はしっかりと抱きあうと、次の瞬間、朝もやにまぎれてその姿を消した。
【7】
川猪衆は頭領たちの死を悼む間もなく、迫り来る敵を迎え撃つべく、戦支度を急いでいた。
さらに、残された者たちの中から選ばれた幾人かの古参によって、あわただしく軍議が開かれていた。
まず大前提として、此度の戦に天宇津の援軍はない、ということが改めて確認された。
これは王堂からの最初の通告があった後、天宇津道理と火錬正義の間で取り決められたことである。
『王堂と戦になり、万が一川猪が敗れたならば、王堂軍はそのまま侵攻し、次に天宇津を攻めるはずである。それに十分に備えるため、天宇津はわれらに援軍を出さず、武力を温存されよ』
火錬正義がそう提案したのだ。
川猪衆は自分たちの力だけでこの難局を乗り切らねばならない。
必然、軍議も必要以上に熱をおびたものとなる。
意見は真っ二つに割れ、何時間も論争が続いていた。
火錬家を卑怯な手でだまし討ちにした王堂を許すわけにはいかない。王堂を迎え撃つ。そこに異をとなえる者はいない。
論争の原因となったのは、軍師である古旗が、気を失う前に残した「Wall of Death」という言葉だった。
“Wall of Death”とはその昔、異国より伝わった戦法だといわれている。
敵味方に別れ、壁のように一直線にならび、そのまま突進して激突するという肉弾戦である。
忍者には最も不向きであると思われるその戦法を、古旗が指示したことで大論争になっているのだった。
亡き頭領、正義の『われらは新たなる鋼人である』という信念は信念として、実際のところ、われらは忍者なのだ。
敵の裏をかいてこそ忍者。武力で圧倒的に勝る敵に対して、なんの仕掛けもせず、正面からぶつかる戦法などもってのほかである。
いや、軍師である古旗殿の指示である。何か深い考えがあってのことに違いない。その指示に従うべきである。それに「なんの仕掛けもしない」とは限らないではないか。
両者の主張は平行線をたどり、このまま朝をむかえるかと思われたその矢先、論争は突然終わりをつげた。
古旗真鑑が意識を取り戻したのだ。
彼は周囲がとめるのも聞かず、傷だらけの身体を畳に横たえたまま、軍議に参加した。
そして、そこで語られた王堂の使者のあの一言が、場の空気を一変させた。
『忍者ごときが、われら鋼人を相手にして勝ち目があるとでも思っておられるのか?』
軍議の場にいた全員が押し黙った。ほかでもない、怒りのためだ。
先ほどまで「忍者とは敵の裏をかくもの」と主張していた者たちも、怒りを奥歯でかみ殺している。
彼らとて自らを卑下しているわけではないのだ。忍者たちは皆、1対1で戦えば、鋼人になど負けはしないと思っている。それはもう信念といっていい。
“Wall of Death”に異をとなえる者たちは、ただ冷静に第三者の目で、状況を分析しているだけなのだ。
全員が怒りの感情でひとつになったのを見て、古旗は途切れ途切れながら、力のこもった口調で訴える。
だからこそここで“Wall of Death”なのだ、と。
罠や仕掛けに頼らず、忍者の誇りをもって、武力で鋼人とぶつかるのだ。そしてこの戦いで、我らが忍者も鋼人も超えた“新たなる鋼人”であることを――亡き火錬正義の信念を――天下に知らしめるのだ。
この言葉は全員の心を震わせた。
そこここで「応」という声があがる。すでに武者震いをしている者もいた。軍議の流れは、ようやくひとつにまとまろうとしていた。
それでもやはり用心深い者たちの声がわずかにあがる。
数の差は大丈夫なのか。特にやつらの主力である重装甲騎馬隊を抑えこめるのか、と。
古旗は傷だらけの顔に、凄みのある笑いを浮かべて言った。
「騎馬隊の対処は火錬の姫さまにおまかせしてある。あのかたは自分のなすべきことをよく分かっているはずだ。すでにその準備のため動かれているであろうよ」
ここで一同ははじめて、当主の跡を継ぐはずの明日香の姿が見えないことに気づいた。
そもそも、いくら次期頭領となるべき立場の者とはいえ、女が軍議に加わることなどかつてなかったため、誰も気にとめなかったのだ。
「攻撃の中核となる騎馬隊さえ潰せば、数の差などたいした問題ではない。鍵となるのは、その火錬の姫が代々受け継ぐ“力”……。そしてその力を、最大限に生かす戦法こそが――“Wall of Death”よ……」
古旗の不敵な笑みをもって、長かった軍議は終わりを告げた。
夜が白々と明けはじめていた。
獣穏(じゅうおん)5年7月5日。
のちに“曽似洲(そにす)の決戦”と呼ばれることになる戦いが……始まろうとしていた――――。
【つづく】