第1章 ドキドキの朝
この物語は、とあるものにものすごくインスパイアされておりますが、パロディとは立場を異にするオリジナル小説です。
登場する人名、地名等は当然のことながら架空のものであり、実在するアレとは何の関係もありません。
先にことわっておきますが、アレに興味のない人にはまったく面白くないと思います。
刀や槍といった鋼の武器を使う武人のことを“鋼人(メタル)”と呼び、忍術を使う郷士のことを“忍者(ギミック)”と呼ぶ、そんな世界。
時は戦国。勝てば天国。だが敗れた者には過酷で非情な運命が待っている。
日々勝者が敗者を、強者が弱者を、押しつぶし蹂躙する。国が領地が、生き物のように分裂し、互いを吸収し成長し、そしてまた分裂する。
そういったことが繰り返される毎日。そんな時代。
そして今、獣穏(じゅうおん)5年7月。ここ岩城国にある川猪(かわい)の里にも、そんな時代の荒波が押し寄せ、容赦なくすべてを根こそぎにしようとしていた。
これは、その荒波に果敢に立ち向かった3人の少女の、戦いの物語である――――。
【1】
「明日香(あすか)ちゃん、その“ブーツ”とかいう履物……みぎひだり逆じゃない?」
足の裏をしげしげとながめていた年長の少女にそう言われて、明日香ははじめてその事実に気づいた。
「あれ? あ、ホントだ……。道理でなんか居心地悪いと思った」
明日香をかこむ少女たちがきゃっきゃと一斉に笑う。
「明日香ちゃん、今まで気づいてなかったの?」「それホント? そんなことある?」
つられて明日香も笑ってしまう。
「だって今日はじめて履いたんだもん、ブーツって。異国の履物ってこんな履き心地なんだって、なんか納得しちゃってた」
少女たちの笑い声がひときわ大きくなる。
「明日香ちゃん、やっぱりポンコツだねー」「明日香ちゃんポンコツー」
ポンコツの意味を知らないであろう年少の少女たちも、声をそろえて囃したてる。いつもの風景だ。
もしここに里の大人たちがいたなら、あわてて子供たちを叱りつけたかもしれない。姫さまと呼びなさい、と。明日香はまがりなりにも里の頭領、火錬正義(かれん まさよし)の娘なのだ。
だが当の明日香本人が、そんなことなど何も気にしていないのだから仕方ない。ちゃんづけで呼ばれようと、ポンコツ扱いされようと、終始ニコニコと子供たちとじゃれあっている。
生まれた直後に母が亡くなり、この桜岳院(おうがくいん)に預けられ育った明日香にとって、ここで暮らす子供たちは実の妹も同然なのだった。
川猪の里を囲む山々の中でも、ひときわ高く優雅にそびえたつ桜岳(さくらだけ)。そのふもとに尼寺「桜岳院」は建っている。
明日香たちが子供たちと遊んでいるのはその境内だ。
桜岳院は夫を戦で亡くした里の女たちが出家し、尼僧となって暮らす尼寺である。そしてまたここは、親を亡くした近在の子供たちを女児に限って引き取り育てる、孤児院の役目をもった場所でもあった。
明日香は今朝、堺の港から屋敷に届いたばかりの“異国の服”を身に着けて、それを子供たちに見せに来ていた。
すべすべした袖のない黒い上着。腰を覆っているのは“スカート”と世ばれるフワフワした不思議な赤い布だ。むき出しとなった足――明日香はこれが恥ずかしくて仕方ないのだが――は、ぴったりとしているくせに伸縮性のあるナゾの黒い布につつまれている。
足元はもちろん、先ほどから笑いのネタになっている黒いブーツである。
まわりに群がった少女たちは、初めて見る異国の服に対して興味津々だ。女の子はいつの時代でも、どこの国でも、キレイなものカワイイものに目がないのだ。
と、社殿のむこうからひときわにぎやかな嬌声とともに、明日香と同じ衣装を身に着けた2人の少女が飛び出してきた。年少の女児たちが、歓声をあげながらそれを追う。子犬のようにじゃれあいながら、広い境内の中を走り回りはじめた。
どうやら鬼ごっこをやっているようだが、並の子供にあの2人を捕まえられるわけがない。こと体さばきにおいて、里の誰も――大人も含めて――あの2人には勝てない。明日香はそう思っている。
2人の少女の名前は雪と桃。
まるで双子のようにそっくりな彼女たちは、ここ桜岳院で育ち、数年前に明日香の家――火錬家――に養女として引き取られた。
歳は明日香と2つ違いだから、今年で14歳のはずだが、身体が小さいのでずいぶんと幼くみえる。
雪はその名の通り、雪のように真っ白い肌をした女の子だ。
赤ちゃんのようなプニプニの頬をしているため、里の者たちからは「雪ちゃんまじ赤ちゃん」とよばれ可愛がられている。
桃のほうは雪よりいくぶん活発で、社交的だ。
気配りもきちんとできる子で、明日香の天然な部分を補佐することも多い。笑うとできるえくぼが印象的な娘である。
「雪桃。せっかく着せてもらった服、よごしちゃダメよ」
一応そう声をかけてみたが、2人とも遊びに夢中で聞いちゃいないようだ。
雪も桃も、桜岳院に来るととたんに生き生きとする。
明日香にとってもここは大切な場所だが、雪桃にはそれ以上に強い思い入れがあるようだ。
「姫さま……ちょっと訊いてもいい……?」
おずおずと声をかけてきたのは、桜岳院にいる少女たちの中でも最も年長の子だった。
「なに? 寧どん。何か気になることでもあるの?」
明日香にそう促されて、寧は意を決したように口を開いた。
「魔王ってよばれてる厭土(えんど)の大名が……里に攻めてくるって……本当?」
【2】
明日香は一瞬、返答につまった。その噂は彼女も耳にしていたのだ。
厭土国の大名、魔王と渾名される王堂真鋼(おうどう まさかね)が、岩城国を治める天宇津道理(あめうず みちさと)を攻める、と。
その手始めとして、天宇津に力を貸しているこの川猪の里を滅ぼそうとしているのだ、と。
最近の里の大人たちは、寄ると触るとその話ばかりしている。噂は広まり続け、寧のような少女の耳にも嫌でも入ることになるのだ。
王堂真鋼は、ここ数年で急激に力をつけ、近隣の大名を次々に攻め滅ぼし、勢力を拡大している戦国大名である。
そのあまりに苛烈で徹底したやり方のせいで、魔王と呼ばれ恐れられているのだ。
王堂軍の鋼人は勇猛果敢なことで知られ、特に“重装鋼人(ヘビーメタル)”と名づけられた重装甲騎馬隊は、戦国最強といわれている。
そんな恐ろしい軍勢がこの里に攻めてくるかもしれない、などという噂を聞くことは、年端のいかぬ少女にとっては、心がつぶれるくらい不安なことだろう、と明日香は思う。
できれば言下に否定し、安心させてやりたかった。
が、明日香がそれをためらってしまったのは、そういった動きが現に見られるからなのだ。
実は今このとき、その王堂からの使者が火錬の屋敷で父・正義と会っているはずなのだ。
会談の内容は明日香にもわからない。さすがにそんなこと教えてもらえはしない。異国の服を着て桜岳院の子供たちに見せにきたのも、実のところ体よく屋敷を追い出されたにすぎないのだ。
だが父も、重臣たちも朝からずっと気難しい顔をしてピリピリしていた。和やかな会談であろうはずがない――――。
明日香のそんな心のうち――明確な不安は、寧に伝わってしまったようだ。彼女の顔がみるみる泣きそうに歪みはじめる。
――しまった。だめ。これ以上この子を不安にさせちゃダメだ――――
明日香が必死に言葉をさがしていると、背後からのんびりした男の声がかかった。
「なんだ姫さま。寧を泣かしてんのか? ずいぶんひどいなぁ」
声の主は寺男の森蔵(もりぞう)だった。
いつからそこにいたのか、山菜を盛ったカゴをかかえて明日香の後ろに立っていた。突然のことできょとんとしている明日香と寧を尻目に、おどけた声で続ける。
「寧、心配なんかすることないぞ。そんなやつらが攻めてきたって平気だ。この里はな、この桜岳院はな、俺と姫さまで守るから。マジ撃退するから。それにここは無敵の忍者の里だぞ。それが攻め滅ぼされる? んなこと、ないないないない」
寧は少しばかり目をしばたたかせて、やがてわずかに笑みをみせた。
軽口めいた物言いと滑稽な動作。ヘタをすると安請け合いと取られかねないところを、森蔵は適度な力強さと勢いのある断言で、とにもかくにも相手の不安をひとまず取り除いてみせたのだ。
「ほら、チビ姫たちのところへ行ってろ。さあ、お前たちも」
そう言って森蔵は、明日香を囲んでいた子供たちを雪桃のもとへ押しやった。笑顔で走っていく寧と子供たちを見送りながら、明日香はかすかな苦笑とともにそっとため息をついた。
ああいった対応は、自分にはまだできない。さすが“盛千(もりせん)”だ。
森蔵は寺男である。男子禁制の桜岳院での居住を許された唯一の男性だ。
寺男とは僧ではなく、寺院の雑務をおこなう下男のことだが、森蔵を下男扱いする者は、ここには1人もいない。
桜岳院の子供たちにとって森蔵は、忍術を教えてくれる先生でもあるのだ。
本人いわく、昔は里でも名うての忍者だったとのこと。それがケガのせいで一線を退かねばならなくなったのだ、と。
ここで育った者は、その武勇伝をイヤになるほど聞かされているのだが、実際のところどれもウソくさく、そのせいで“盛千”などどいう渾名をつけられてしまっている。
ちなみに盛千とは、一のことを千ほどに話を盛って話す、という意味だ。
「子供のころには考えなくてもいいことってのがある、そう思わないか?」
先ほどとは打って変わって、静かな口調で森蔵は明日香に話しかけてきた。思わず森蔵の顔を見上げる。
森蔵ははしゃぎまわる子供たちに視線を向けたまま、話を続ける。
「さっき寧に言ったことはな、ちょっとウソがまじってる。この桜岳院は確かに俺が守る。どんなことがあっても、な。だが俺にはそこまでが精一杯だ。いいか、この里を守るのは――」
ここで森蔵は明日香に向きなおり、その顔を正面から見据えて言った。
「この里を守るのは俺じゃない。姫さま、あんただ」
明日香が言葉を失った、その一瞬あと――――
どこからか地響きのような爆発音が……聞こえてきた。
【つづく】