ミリアーネ・フルクトル
ミリアーネ・フルクトルはただ、事の成り行きを"視て"いた。
この国の王子と騎士見習いが何やら言い争い(と言うには少し物騒だが)をしているのを。
そんな二人を見覚えの無い三人が酷く冷めた目で(一人に至っては欠伸しながら)見ているのを。
カーテンの裏に隠れ、透視魔法を使ってただ"視て"いた。
ミリアーネ・フルクトルはこの国において、自分という存在が異端であると十分に理解していた。だから、今回の浄化の旅が無事に終わった暁には褒美として祖国へ帰る許可を貰おうと思っている。
この国の人達にはとてもお世話になった。例えそれが自分の膨大な魔力と類い稀な魔法の才能をこの国の益とする為だとしても、身一つで何も持たない自分の身の安全と衣食住を保障してくれたのだから。だからこそ、この国の危機に少しでも貢献してから自分の故郷に帰ろうと思っていた。
帰るべきなのだろうと思っていた。だってこの国の人達は、ミリアーネの力は求めてくれたけれど、ミリアーネ自身は求めてくれなかったから。ミリアーネ・フルクトルという存在を受け入れてはくれなかったから。
「いや、実は最初っからこの部屋に居るんだが……」
「は?」
「!!」
暫く意識を外していた部屋の中の人達の視線が自分に向いている事に気付き、ミリアーネは慌てた。
既にかけていた気配消しの魔法の上からもう一度同じ魔法をかけてしまうくらいに慌てた。
一つ大きく深呼吸して隠れていたカーテンから顔だけ出せば、四対の目が此方を見ている。……何故か王子だけは床に伸びているのだが、それは気にしない事にした。
元々人見知り……というか極度の恥ずかしがり屋であるという自覚はあるので、慌てて引っ込めば騎士見習いが自身の紹介をしてくれる。
それに便乗する様な形で挨拶をすれば噛んでしまい、綺麗な女の人にツッコまれてしまった。恥ずかしさから再びカーテンの後ろに隠れて暫く。此方に近付いて来る足音に恐る恐る顔を出せば、先程ツッコんだ女の人が興味津々といった顔で自分を見ていた。
「はじめまして、私はシルティーナと申します。ミリアーネ様とお呼びしても?」
「ぁ、はい。様は、付けなくてもいいです……」
優しい声だ、とミリアーネは思った。そして、聞き覚えがある名前だと。
「あ、あの、貴女様は、"シルティーナ・バルラトナ"様ですか?バルラトナ公爵家のご令嬢さ、ま……」
ヒヤリ、と周りの温度が一、二度下がった気がした。先程まで穏やかな色を宿して自分に向けられていた瞳は、今はただただ冷たい色をしている。
「……ぁ、あの、私、」
何が彼女の怒りに触れたのか分からない。それでも、自分は確かに彼女の触れてはいけない"何か"に触れてしまったのだ。謝らなければと紡いだ言葉は震えていた。
あぁ、だから自分は人と関わるべきでは無かったのだ。無意識に傷付けてしまう。こんな、ただ力だけを持った役立たずなど、一人でひっそりと生きていくべきなのだ。じゃないと、また…………
「ごめんなさい」
「……え?」
不意に聞こえてきた言葉に俯けていた顔を上げれば、シルティーナが困った様な顔をして此方を見ていた。その瞳にはもう、冷たい色はない。
「ミリアーネ様は、私の事を"知らない"のですね」
「え?」
「"シルティーナ・バルラトナ"という名は知っていても、私の事を"知っている"訳ではないのですね」
「……」
「ミリアーネ様、私はシルティーナです。残念ながら、名乗れる家名を2年前に奪われてしまいましたので、今の私は只のシルティーナなのですよ」
「ぁ、私……もしかして、とんでもない失礼を……」
サッと顔から血の気が引く。そうだ。聞いた事がある。"シルティーナ・バルラトナ"という名を持つその人物は、2年前にこの国から追放された者だと。自分が来た時には既にこの国に居なかった彼女の名は、それでもあらゆる所で呟かれていた。そのどれもが彼女の存在を望むモノであり、だからこそミリアーネは何故ここまで望まれている人物が今この国に居ないのか不思議に思ってはいたが、だからと言って態々誰かに聞く程の事でもないと思っていた。この国に居ないのなら自分が関わる事も無いだろうと。ただ、周りの人達の話から"バルラトナ公爵家の長女であり、2年前に国外追放された人"だということだけは理解していた。
けれど、だからこそ、本人を前にした今、不思議でならない。何故彼女はこの国から追放などされたのだろうか、と。
それは、果たして聞いても良いことなのだろうか?"バルラトナ"という家名を出しただけで、あれほどまでに冷めた目をした彼女にそれを聞く事は憚られた。
「ミリアーネ様、貴女はこの国の人間では無いのですね」
「え?」
「この国の人間ならば、私に向かってシルティーナ・バルラトナか、などとは聞きませんもの」
「……」
「少し、お話ししませんか?私の事と、そして貴女の事を」
「私の……?」
「はい。貴女がどうしてこの国に来たのか、どうしてこんな国に手を貸すのか、貴女という人物の事を私は知りたいのです」
「何故、ですか?」
「……」
私の問いにシルティーナが目を細め、そして獰猛に笑った。
「いざという時に迷わない為に」
「……」
その言葉と笑顔に何故か深く納得した。彼女は、この国を救う気など更々無いのだと。そして、それでも聖女様の護衛を引き受けたのは、そこに何かしらの理由があるからなのだと。
そして、同時に思った。
彼女なら、と。
「ぁ、あの、私、実は……」
カーテンに隠れたまま、シルティーナにだけその姿が見える様に被っていたフードを脱いだ。
「!!」
「エルフ、なんです……」
人間ものより長く尖った耳に白と水色の混ざった髪。黄金色の瞳と白い肌。それが、"エルフ"と呼ばれる種族の特徴だった。
そして、それがミリアーネ・フルクトルがこの国において異端である所以でもあった。
「…………エルフ、ですか。実際に見たのは初めてです」
感動したようにシルティーナは呟いた。
「……」
そう、そして人間は言うのだ。エルフは魔法に秀でた種族だったな、と。どうか力を貸してくれ、と。いつも、そうだった。
「……綺麗、ですね」
「え?」
「綺麗です」
「きれ、い……?」
彼女の言っている言葉が上手く理解できない。
今、彼女は何と言っただろう?自分がエルフと分かった、その感想を……そう、"綺麗"と言ったのだ。
"エルフ"という種族が持ちうる力ではなく、ミリアーネ自身を見て、そして言ったのだ。綺麗だと。
そんなこと、初めてだった。人間達と関わる様になって初めて、ミリアーネは自分に対するただ素直な称賛を貰ったのだ。
「……っ、」
潤んだ目元を隠す為に再びフードを被ったミリアーネは落ち着く為に二度三度と深呼吸をした。
「……私達エルフは、ここから南にずっと行ったリゾルダ島で幾つかの群れに分かれて生きています。……私は、自分の群れの者に酷い事をしてしまって……そ、それで、……」
逃げて来たのだ。自分の犯した罪と対峙するのが怖くて、逃げて来た。
逃げた先の人間達の国で自分の力はどうやらとても利用価値のあるモノだと知り、あらゆる所で利用され、騙され、そして最後に辿り着いたのがこの国だった。
この国でもやはり、身の安全と衣食住を引き替えに力を使わされ、それでも魔法以外に取り柄のない私は従うしか生きる術が無かったのだ。
そうしてこの国で過ごした一年間。魔物という脅威に立ち向かう様に王命を受けたその時にふと、これが終わったら帰ろうと思ったのだ。
結局、自分の生まれ育ったあの場所以外に"エルフ"ではない"只のミリアーネ"を認めてくれる所は無かったのだ。
「……だけど、貴女は私を誉めてくれました」
例えそれが外見に向けられた称賛であったとしても、それでもその言葉は確かに、エルフではない彼女に向けられたモノだったから。
「だから……ぃ、いざという時に私の存在が邪魔になる様でしたら迷いなく切り捨てて下さい」
「……分かりました」
私の言葉にシルティーナはにっこりと笑って答えた。そしてクルリと背を向けると、私達の話が終わるまで待っていた人達の中の二人に呼び掛ける。
「クロ、アル。終わったよ。彼女は"大丈夫"」
「そうか」
「分かった」
シルティーナの言葉に頷いた二人が近寄って来て挨拶をしてくれた。アルハルトとクロイツと名乗った二人はミリアーネがエルフと知っても特に何も言わなかった。ただ、そうかと。それだけ。
そしてクロイツに至っては自分も人外だとあっけらかんと言ってのけたのだ。
「……使い魔、ですか。初めて見ます」
「我もエルフは初めて見るな」
「……その姿が本来の姿では無いのですね」
「ほぅ、分かるのか。如何にも。だが此処で我の本当の姿を見せる事は叶わない。何れその機会もあるだろう」
そう言ったクロイツがアルハルトに呼ばれて後ろへ下がる。
「ミリアーネ様、」
代わってシルティーナが再びミリアーネの前にやって来た。
「後程お話ししたい事があります。この顔合わせが終わりましたら少しお時間を頂けますか?」
「ぁ、はい、大丈夫です」
「ありがとうございます」
そう言って笑ったシルティーナにミリアーネも自然と笑顔になる。
「貴女様は笑顔の方が似合いますよ」
シルティーナのその言葉にミリアーネはまた笑ったのだった。
彼女なら、と思ったのだ。彼女なら、ミリアーネ自身を見てくれる信じてもいい人かもしれないと、そう思ったのだ……
感想によりご意見頂きましたので、一部文を変更しました。