救われぬ者
「シルティーナ様! どうか私達をお救い下さい!!」
「……」
自分にすがり付いて涙ながらに訴える女性。そして周りを囲む沢山の人、人、人。
先が見えない位に集まった民達にシルティーナは顔を曝して行動していた自分の迂闊さを呪った。
「シルティーナ様、この国に戻って来て下さったのですか!?」
「助けに来て下さったのですよね!!」
「良かった! これで救われる!!」
「……」
口々にシルティーナへの言葉を投げ掛ける民達をシルティーナは1度グルリと見渡し、次いで小さく息をついた。
「雨に降られて困っています。軒先を貸して下さるだけでいいのです。どうかお願いできませんか?」
「え?」
「3日、何も食べていないのです。少しでもいいので何か恵んで下さいませ」
「?」
「せめてコップ1杯の水だけでもくださいませんか。お願いします」
「シルティーナ様?」
「2年前、あなた方はそう言って頭を下げた私の救いを求める手を尽く振り払ったではありませんか」
「それは……」
「なのに今更、自分達が危機に晒されたら助けてくれと嘆くのですか」
「しかしあれは国王様達がっ!!」
「あなた方が誰の命でやったかなどどうでもいいのです。私にとっての真実は、あなた方に見捨てられたと言うこと。それだけです」
「……」
シン、と静まった民達。そんな彼等にもう用は無いと言わんばかりにその間を進み出したシルティーナ。テドラもそんな彼女に戸惑いながらも続いた。
「わ、我々を見捨てるのか!? 俺達は何の力も持たない只の国民なんだぞ!! 国民を守るのが貴族の役目じゃないのか!!」
「そうよ!! 民草だからどうなってもいいって言うの!?」
「……」
「シルティーナ様?」
上がった民達の避難の声にシルティーナの足が止まる。民達を振り返ったシルティーナの瞳には確かな怒りが宿っていた。
「只の少女に成り下がった私を先に見捨てたのはあなた方だろう!! そんなあなた方が今更私に助けを求めるな!!! 力を持たない事を誇示するな! 守って貰える事を当たり前と思うな! 私にはもう、あなた方を守る義務などない!!」
叫んだシルティーナの言葉に民達が怯む。
「こんな国、国民諸とも滅びてしまえばいいんだ!!」
吐き出された彼女の心に皆が唖然としている間にシルティーナは既にその場を去っていた。
ーーー
ー
「アルハルト・ルーランスという男の部屋はどこですか?」
"青の寝台"と看板の下がった宿屋に辿り着いたシルティーナは外套のフードを深く被って受付へと訊ねる。
「お連れの方ですか?」
「はい」
「それを証明できる物はありますか?」
「これを」
証明できる物をと言われてシルティーナは迷わず右手の親指につけている指輪を見せた。
「はい、確かに。アルハルト・ルーランス様のお部屋は2階右手の突き当たりになります」
「ありがとうございます」
受付の人の案内に軽く頭を下げたシルティーナは階段を上がって言われた部屋を目指す。
「シルティーナ様、あの指輪は何なのですか?」
「ギルドでは、その依頼内容によっては命を狙われる事があります。だからパーティーを組んでいる者同士でお揃いの何かを身に付け、こういう宿屋とかではソレを提示した者だけに部屋を教える様に頼むんです。ルラン王国の宿屋では、ソレを提示するまではその人が泊まっているかすら教えて貰えません」
後ろをついて来ていたテドラの問いにシルティーナは足を止めずに答える。
「考えられてるんですね」
「考えないと死にますからね」
「……」
辿り着いた2階右手の突き当たりの部屋。シルティーナはその扉をノックもせずに開け放った。
「シルティーナ様!?」
「クロ!!」
ギョッと声をあげたテドラを総無視でズカズカと部屋に踏みいったシルティーナはベッドで寝ているアルハルトすら無視して部屋の中に呼び掛けた。
「ニャ~~」
シルティーナの呼び掛けに応える様に何処からか現れた一匹の黒猫が彼女の腕に飛び込んで来た。
「……クロッ!!」
その黒猫をギュッと抱き締めたシルティーナは備え付けのソファに黒猫を抱え込んで座る。
「……」
「……シル、ティーナ様?」
それから動かなくなってしまったシルティーナにテドラが戸惑った様に呼び掛けるが彼女は一切反応しない。
「だから言ったんだ、シルティ」
「……お前、」
いつの間に起きていたのか、部屋に着いた時には寝ていたアルハルトがベッドの上で胡座をかいていた。
「この国はお前を傷付ける事しかしない。2年前も、今も。だから俺もクロもこの国に来るのは反対だと言ったんだ」
「……」
「……それで? お前は誰だ?」
無言のシルティーナに溜め息をついたアルハルトがテドラへと視線を向ける。
「あ、えっと、テドラ・バルラトナです」
「あぁ、公爵家の次男坊か。こうなったシルティは暫く復活しないがどうする?」
「どうする、とは……」
「シルティが復活するまで此処に居てもいいし、先に公爵家に帰ってもいい。どうせシルティに用意された宿はお前の実家だろう?場所は把握済みだから、先に帰ってもらっても俺がシルティを送り届けられる」
「……残ります」
「そうか。……おい、シルティ。今からでも遅くないぞ。やめるか?」
「……」
アルハルトの問いにフルフルと首を横に振ったシルティーナにアルハルトは軽く肩を竦めた。
「あの、シルティーナ様は何故この様な状態に?」
「お前、城から此処まで一緒に来たんだろ? 分かんないのか?」
「?」
自分の言葉に首を傾げるテドラにアルハルトは呆れた様に息をついてシルティーナの隣に腰掛ける。
「城から此処まで何があった?」
「何が……僕が謝って、それを拒否されて、そして……民達に囲まれました。助けてくれと」
「それだよ」
「え? 僕の謝罪が……?」
「あー、いや、それじゃない。その後」
「民達に囲まれて助けてくれと言われた事が原因と?」
「あぁ。そうだ」
ポンポン、と宥める様にシルティーナの背を撫でながらアルハルトは頷いた。
「コイツの帰国に喜ぶのは別にいい。すがり付き2年前の謝罪をするのもいい。だが、コイツに救いを求めるのだけはダメだ。それだけは許される事ではない」
静かに話すアルハルトの瞳には、その落ち着いた声音には似つかわしくない激昂が宿っている。
「ずっとコイツに救われていたこの国の人間達は、けれどコイツが救いを求めた時には尽くそれを拒否した。それなのに今更どの面下げてコイツに救いを求める?」
「ニャァ」
アルハルトの言葉に同意するかの様にシルティーナの腕の中に居る黒猫が一声鳴いた。
「2年前、コイツを傷付けるだけ傷付けて、なのにそれすら無かった事にして聖女なんぞの護衛を頼むだけで神経疑うのに、それに加えて救えだと? バカも休み休み言え。"今の"コイツに成るまでにシルティがどれだけのモノを犠牲にし、どれだけの努力を積み重ね、どれだけの傷を負ったと思っている。ただ自身の身可愛さに自分にすがる民達の、その愚かしい姿にコイツがどれだけ傷つくと思ってる? 謝罪も無く只いいように利用しようとしている者達に、コイツの指1本すら貸してやるものか」
終始静かに話したアルハルトだが、テドラにはそれが恐ろしくて堪らなかった。
銀髪の下で鋭く光る琥珀色の瞳は、シルティーナに謝罪したと言ったテドラでさえ、隙あらば食い殺そうとしている猛獣の色をしていた。