クロイツというモノ
響いた声はシルティーナのものだ。
右も左も分からない"闇"の中、その声だけがはっきりと聞こえた。
「赦される事のない業を知れ。我は裁きを下す者」
シルティーナの言葉が終わった瞬間、広がっていた"闇"がルフハナ村の真上へと集まり、掌サイズの球体へと成る。
「悔い改めなさい」
シルティーナが上げていた右手を降り下ろす。
その動きにあわせて"闇"の球体がルフハナ村へと降りて行き、村に到達するその直前で弾けた。
弾けた"闇"の欠片達はまるで生き物の様に村の中を進んで行く。
進んだその先、村を闊歩している魔物達と対峙したその瞬間、それはただの"闇"から黒い炎へと姿を変え魔物達へと襲いかかった。
黒炎に触れた魔物は瞬く間に燃え上がり塵も残さずに燃え尽きる。
この世のものとは思えない叫び声を上げて次々に焼かれて行く魔物達。
村のあちらこちらから上がっていたその声は、ものの数分もしない内になくなっていた。
「ぃ、一体何が……?」
全てを覆っていた"闇"が無くなり急に明るくなった視界に目を眇めながら、それでも一部始終を見ていたミリアーネが困惑気味に呟く。
「あれがシルティとクロの複合魔法だ。……よっと、」
黒炎から逃れた魔物達を魔法と剣を使って斬り伏せながらアルハルトが説明する。
「闇と炎と風属性を使った複合魔法で、闇と炎属性はクロが。風属性はシルティが担当してる」
「闇と炎と風属性…………けど、クロイツ様は……あれは、いったい……」
村の中の魔物の一掃が済んだのだろう。黒炎は再び"闇"へとなり、ルフハナ村の真上へと集まり始めていた。
「あれがクロの本当の姿だ」
「え?」
「あいつは"闇"そのものなのさ。人の心の深淵に在り、あらゆるモノの対極に在り、全てのモノが本能的に恐れる。一寸の光も射し込まぬ絶望であり、全てを包み込む安寧でもある。それがあいつ。シルティの使い魔のクロイツだ」
「"闇"そのもの……」
「あいつには"形"がない。だから何にでも成れる。人にも馬にも猫にも鳥にも。けれど、だからこそ、何にも成れない。憐れだろう?」
スッと目を細めたアルハルトが再び掌サイズの球体に戻った"闇"を見る。
「あいつが生み出す炎は全てを焼き尽くす。命があろうが無かろうが、正義であろうが悪であろうが、正しかろうが間違っていようが、綺麗であろうが汚かろうが、そんな些細な事は関係ない。ただ触れたもの全てを"無かった事"にしてしまう。クロが何かの"形"をとっている時、その威力はある程度抑制されている。山賊達の時もそうだっただろう? あの時クロの黒炎は山賊達を"焼いた"だけで"消し去って"はいなかった。それに俺やお前、聖女様達には傷ひとつつけなかった。あれはクロがそういう風に調整してたからだ。けれどあいつが本来の"闇"に戻った時、その抑制は無くなる。見境なく、無秩序に、最大限の威力で黒炎は襲いかかってくる。それをコントロールするのがシルティだ」
"闇"の球体は伸縮を繰り返し少しずつ"形"をとっていっていた。
「見境なく広がっていく"闇"を風を使って抑え、魔物以外に被害が出ないように風で黒炎の行き先と威力を調整する。莫大な量の"闇"を抑えるのと、黒炎の調整に多大な魔力と集中力、そして魔力コントロールが必要になるからな。それを終えたシルティは決まって、」
「あ、」
グラリ、と揺れた体が重力に従い倒れて行く。
シルティーナの体が地面に触れるその直前、未だ"形"をとりきれていない"闇"が彼女の体と地面の間に滑り込んだ。
「決まって気を失う」
そう息を吐いたアルハルトが視認出来る範囲での最後の魔物を斬り伏せて二人へと近づく。
「ほらクロ、シルティを渡せ」
「……」
「その姿じゃどうしようもないだろうが。シルティ渡して早く"形"をとれ。まだ終わった訳じゃねぇんだから」
「……」
"闇"が"形"をとっておらずとも分かる位に仕方なしにアルハルトへとシルティーナを渡した。
「さて、と。ティル!!」
「はい、主様」
「魔物の討ち漏らしが居ないか確認してくれ」
「了解致しました」
"風刃の牢"を解いたティルティンクルがアルハルトの言葉に風を伴ってルフハナ村へと向かう。
シルティーナを地面に寝かせたアルハルトは次いでミリアーネへと視線を向けた。
「ミリアーネ様は光属性の魔法で村に結界を張って貰えるか?」
「あ、は、はい」
頷いたミリアーネが魔法を発動するのを確認したアルハルトは再び闇"へと視線を戻す。
「おし、だいぶ"人の形"に近づいてきたな」
「主様、魔物は残っておりませんでした。殲滅は完了しております」
人の輪郭へとなってきているクロイツに満足そうに頷いたアルハルトにルフハナ村へと赴いていたティルティンクルが戻ってきて報告する。
「よし。なら、お前がちゃんと"形"をとれたらシルティ起こして聖女様に浄化をしてもらうか。急げよ」
「言われずとも……」
低く、直接頭に響く様な声が"闇"から発せられた。
「声が出せる様になったんなら後少しだな。……と言う事だから聖女様、浄化に備えといてくれな」
「じょう、か……」
どこか不機嫌そうなクロイツの声音に笑って答えたアルハルトが背後で終始唖然としていたアカリへと視線を向ければ、呆然と呟かれる。
「そう、浄化。この土地から穢れを取り除くんだ。それがあんたの仕事だろ」
「わたし、の……仕事……」
「……聖女様?」
譫言の様に自分の言葉を繰り返すアカリにアルハルトが首を傾げる。
「……わた、し、は…………なぃ…………」
「うん? 何だって?」
ポツリと落とされた言葉を聞き取れなかったアルハルトがアカリへと近づき、その言葉を拾う為に俯いているアカリの顔の位置に合わせて身を屈めた。
「……で……ない。…………できない! 出来ないっ!! 出来る訳がないじゃない!!」
「は?」
「無理よ!! だって私は…………こんなの、知らないし、浄化なんてやったこともないしっ! ま、魔法だって、ちょっとした傷を治すくらいのしか使った事ないし、こんな……」
「…………こんな、何だよ?」
泣き叫ぶ様に言ったアカリ向けられたアルハルトの声音は酷く平淡で冷たかった。
「あんたは"聖女"だ。あんた自身もその肩書きを背負って今回の旅に出たんだろ? それを今更、無理だのやったことがないだの、うだうだうだうだ喚くな」
「旅に出ろって言ったのは王様よ!! 私が言い出したんじゃないわっ!! それに、こんなに危険だなんて知らなかったのよ!!」
「誰かに示された道であったとしても、それを進むと決めたのはあんただろう。それを人のせいにするな」
「な、なによ……」
「それに、"この世界"ではこの位の"危険"は日常だ。魔物こそ極々希にしか出ねぇが、この前の様な山賊も盗賊も海賊も普通にいて、国同士の争いも絶え間なく続いている。それを今更……この世界に来て2年以上経っているというのに、そんな戯言……」
「だ、だって、私は王都から出たことないし……そもそも私はこの世界の人間じゃないしっ!! なのに、何で私がこんな危ない目に遭ってまでこの世界の人達を助けないといけないのよっ!?」
「なら今すぐにでも殺してやろうか、聖女様」
「ヒィ!!」
漂って来たのは冷たすぎる殺気。
琥珀色の瞳は剣呑な光を宿している。
「俺としちゃぁ、別にこんな国がどうなろうが知ったこっちゃない。寧ろ滅べばいいとすら思うね。けれど、だ。あんたは忘れちゃいけねぇだろ? あんたが今、ここに居られるのはこの世界の……この国の者達のお陰だということを」
「そ、それは……分かってるわよっ!! だから私も喜んで引き受けたのよ! けど、だけど……」
「けど、だけど、だって、でも……あなたはそればかりですね、聖女様」
「シルティ」
その声音に僅かな疲弊を滲ませて、それでもしっかりと自分の足で立ったシルティーナが"人の形"をとったクロイツを従えてアカリの前へと進み出た。
「何度も言うようですが、私達は"聖女"の護衛の依頼を請けたのであなたを守っています。"穢れを浄化してこの国を救う旅をする聖女様の護衛"が私達の依頼内容です。つまり、"穢れの浄化が出来ない役立たずのただの甘ったれた異世界人の護衛"はしません。ここであなたが穢れの浄化を放棄して逃げ出した場合、その後のあなたの身の安全は私達の預かり知らぬところです。まぁ、異世界がどれだけ平和な所かは知りませんが、あなたの話を聞く限り、争いとは無縁の所で育ったのでしょうし、こんな血生臭く、暴力的で、無秩序な場所は合わないのでしょう。どうぞ、お逃げください」
「ぇ?」
「けど、だけど、だって、でも、と。言い訳ばかりを口にして逃げればよろしい。アルと同じで、私もこんな国滅べばいいと思っているので、私達は一向に構いませんよ。私達が請け負ったのはあくまで聖女の"護衛"であって、逃げる聖女を追いかけて無理矢理にでも浄化させる事ではありませんので、もし国王に責を問われたとて、負う責任などありもしません。こんな滅びるしかない国、とっとと出ていくだけです」
淡々と。ただただ言葉を紡ぐシルティーナは、無感情だからこそ恐ろしく見える。
「シルティーナ様! それは余りにも無責任では!?」
「無責任? 一体どこがですか、テドラ様?」
「一度請けた依頼を放棄なさる気ですか!?」
「放棄? 私達が? それは違いますよ。先に放棄するのは聖女様の方です。彼女が"聖女"を放棄したならば、の話をしているのですよ」
「アカリが俺達を……この国を裏切る訳がないだろう!!」
叫んだフラクトにシルティーナは心底呆れた視線を向けた。
彼は、今までの会話を聞いていなかったのだろうか?
こんな近くで交わされていた会話が聞こえていなかったのだろうか?
それとも、脳内変換が素晴らしいのだろうか?
どちらにしろいい医者を紹介してあげた方がいいかもしれないと、シルティーナは半ば本気で思った。
「アカリ! さぁ、君の素晴らしい力を見せてくれ!!」
「ぁ、えっと、私……わたし、は…………っ!!」
「アカリ!?」
「あぁーあ。とどめ刺したな、王子様」
シルティーナ達に背を向けて森へと逃げていくアカリをシルティーナはただただ無表情に見ていた。




