1 移民の歌
「ワン! ツー! スリー! フォー!」
少女の掛け声と、ドラムスティックを打ち鳴らす音が響いた。
ドジャーン!
続いて、ギターコードの爆音がスピーカーから飛び出した。
日本のとある住宅地の町中に建つ甲石高校。特に突出した特色も、目立った欠点もなく、近隣住民からも至って普通な学校と認識されている。成金やセレブになる当てもない庶民が通う典型的な学校だった。
ここ数日、校庭の一角で毎日のように轟く騒乱を除いては。
部活動や下校の生徒がまばらに行き交う、校門に程近い校舎脇で、二人の女子生徒がバンドの演奏をしていた。
一人はエレクトリック・ギターをアンプに繋ぎ、もう一人はドラムセットに座って速いテンポの曲を演奏していた。マイクはなく、二人はともにヴォーカルの声を張り上げていた。校舎の窓から引かれた電源に唯一繋がれていたアンプスピーカーの横には、段ボールに“メンバー大募集中!”と書かれた、派手な手描きの看板が立てられている。
メンバーも機材も不足しているのは一目瞭然のロックバンドだった。
ギターの少女は、高校生にしては低めの背と、低めの発育度の体形。それでも小さい身体を気力でカバーするかのように、ギターもピックを持つ腕も大きく振り回しながら、声を限りに歌っていた。赤毛をヘッドバンギングで力任せに振り乱す合間に見える顔は、どことなく外国人の顔つきで、口には八重歯が覗いていた。
一方ドラムの少女は、一目で外国人と分かる外見で、金髪のショートカットに吊り上がり気味の青い目をしていた。犬の耳のようにぴょこんと左右が立ち上がっている髪を振り乱し、フットペダルを間断なく踏み鳴らしながら両手でドラムを叩き続ける少女は、その運動量に見合った陸上選手のような体格をしていた。全力疾走のごとき手足の運動をものともせず、快活なヴォーカルを迸しらせた。
『一晩中ロックンロールだ!』
少女たちの熱いテンションに反比例するかのように、観客の反応は至って冷めていた。というか、観客は一人もいなかった。
演奏しているのは歌詞が英語の洋楽ハードロック。彼女たちが生まれる前の時代の曲だが、スタンダードとして今日でも広く知れ渡っている。ただしそれは洋楽が母国語である国の話で、日本の、それも人生十数年の高校生の間では、ふた昔以上前の洋楽なんて知っている者はあまりいなかった。
演奏も決して下手ではないが、他の生徒を遠ざけているのは、馴染みのない選曲に加え、力任せで音響も近所迷惑も全く顧みない音量、マイクがないので常に全力で、ともすれば喚いているようにしか聞こえないヴォーカル、そして何よりも気楽にほどほどにが身上とされているご時勢において、熱血すぎるパフォーマンスであった。
そんなわけで、二人の演奏に足を止める生徒はめったにおらず、通り掛かる生徒はみんな遠巻きに過ぎていくのみだった。というより、二人から目を逸らして足早に過ぎる生徒のほうが多かった。募金の呼びかけの光景によく似ていた。
「叫んでくれー! 甲石――!」
ドラムの少女がメロイック・サインを突き上げて呼びかけた。
空を飛んでいるカラスが一声鳴いたのが唯一のレスポンスだった。
めげずに二人は歌と演奏を続け、フル・コーラスまで曲を終えたところでそろって想像上の観客に挨拶した。
「サンキュー!」
あいにく現実では観客は相変わらず一人もいなかった。
「そこの少年! バンドで熱くロックしないか! 男ならボールズ・トゥ・ザ・ウォールだろー!」
ドラムの少女がビシッと指を突き出し、不運にも目が合った通りすがりの男子生徒に呼びかけた。唐突に勧誘を受けた男子生徒は、引きつった愛想笑いを浮かべながら小さく首を振り、足早に逃げ出していった。
「この根性なしー! ボールズはついてんのかコラー!」
「アンナぁ、客を脅迫しちゃダメだよ」
アンナと呼ばれたドラムの少女は眼を吊り上げて男子生徒が逃げ去ったほうに向かって叫んだ。その剣幕は、確かに初対面の人間なら関わり合いになりたくないと思わせる迫力である。そのままメタルのアルバムジャケットになりそうな形相だった。もちろん、デスが付くほうの。
「ったく、どいつもこいつもロック魂のある奴はいねえのかよ・・・」
「まあまあ、もうちょっと他の曲やってみようよ」
「・・・ん、しょーがねえ、リア、もう少しソフトなやつにすっか。いい? ワン、ツー、スリー、フォー」
アンナが再びカウントを取った。リアと呼ばれたギターの少女は慌ててピックを構え直し、アンナの歌い出しに合わせて弾きだした。今度はさっきの曲よりもう少しポップス寄りで、爽快な“一般向け”の曲だった。やはり洋楽。
『君の望む通りに そうして欲しいだろ・・・』
観客というか通行人に引かれない程度にヘッドバンギングも控えめにして、二人はコーラスで合わせて歌った。今度はなんとなく、さっきより通行人が避けて通る距離が小さくなった気がする。
と、やがて歌い終えたところで、ぱちぱちぱち、と小さな音が聞こえてきた。
「わあ、なんだか楽しそうですねえ」
見ると、横のほうで少女が一人、無邪気な笑顔で拍手を送っていた。浅黒い肌に、長いウェーブのかかった銀髪という、国籍不明の外見をしていた。
よく見ると、肌は浅黒いというより、どっちかというと土気色で、血色が悪いという感じの印象を受ける。
だがそんなことより、苦節数日間にして初めての好意的な観客に、リアとアンナは満面の笑みで挨拶を返した。
「ありがとう――!」「サンキュ―――!」
リアはピースサイン、アンナはメロイックサインを揚げて。
「わたしの好きな曲ですう」
不健康そうな顔色に似合わない天真爛漫な声で、少女は続けた。その雰囲気はまさに頭の内外にお花畑が浮かぶようだった。
リアは目にも止まらぬスピードで少女に詰め寄り、本題をまくし立てた。
「おー! やっぱり始めはメロディアス・ロックからだよね! ねえねえ、よかったら一緒に、わたしたちとバンドやってみない?」
「ふぇ? え、でもぉ、わたし楽器とかぜんぜんやったことないですしぃ」
ドラムデッキから降りてスティックを腰に差したアンナもやって来て、少女に至近距離で話しかけた。
「まあまあ、細かいことは気にすんなって! ロックは楽しくやんのが一番さ! 気楽にやろうじゃねえか! な?」
これはつまり、“この際もう素人でもいいから入ってくれ! 頼む!”という末期的勧誘なのだが、幸い無邪気な少女は困惑のあまり気づかなかった。
「えー、えーと・・・」
「オレはアンナ! そっちはリアだ! よろしくな!」
とりあえず逃げられないように、アンナは少女の肩をがっしりと掴まえた。
「え、あ、わたし、メラニーです。メラニー・アッシュ」
「メルか、よろしくな!」
さらに勝手に略称を付けると、アンナはメラニーと名乗った少女に有無を言わせず握手し、ぶんぶんと力強く振った。
「ああああまり揺すらないでくださいいい」
腕を振られるのにつられてメラニーは頭もカクンカクンと揺さぶられながら目を白黒させた。本当に目が白黒に点滅しているように見えた。
いけない、このままじゃまた引かれてしまうかもしれない。苦節数日間で初めて獲得した貴重なファン(※リアの希望的観測)を逃すまいと、リアはアンナの握手を放させ、会話の話題を振った。
「メルちゃんさあ、どんな曲やりたい? やっぱりポップなやつ? それともバラードとか? あ、始めは簡単なのがいいよね」
リアも勝手に略称で呼び出した。というか、すでにバンド加入を前提に話が進められていた。いたいけな少女への気遣いは、加入者獲得チャンスの焦りに捻じ伏せられていた。
「えー、歌うのは好きですけどお・・・」
ようやくメラニーは本人に無断で加入が進められていることを察し、声にちょっと困惑のトーンが入り始めた。
「おー、ヴォーカル専門か! だーいじょーぶ、ヴォーカルのついでに練習すれば楽器もすぐに上達するさ! いざとなったらピストルズなんか素人のまんまステージ上がってたし、シド・バレットやベズなんかステージでうろついてただけだし!」
それはいてもいなくても同じなんじゃないの、とリアが心の中で突っ込みを入れた、その時。
「ちょっと、あなた達?」
背後から鋭い声が聞こえた。その声にドキリとして、アンナとリアはメラニーに並べ立てていた甘言を中断した。
振り向くと、声に劣らず鋭い目付きを、四角レンズの眼鏡の下から光らせた女子生徒が立っていた。低身長のリアにとっては上からの視線も相まって、威圧するようなオーラを漂わせている。背後に“ゴゴゴゴ”と文字が浮かびそうだ。
「おお、こっちにもファンが! いやー、今日は大盛況だな! ちょっと待ってろ、メルの話が済んだら、すぐに演奏続けるから」
どう見ても好意的とは思えない視線は見なかったことにし、アンナがファンサービスの営業スマイルを浮かべた。
「何だか知らないけど、演奏はよそでやってもらえないかしら」
ぴたり、とアンナの笑顔が凍りついた。
「・・・・・・え・・・? アンコールは・・・?」
「知らないわよ。うちの部室の前で演奏しないでちょうだい。それからそこの勝手に使ってる電源も外して」
女子生徒は電源コードを通すため数センチ開けられている校舎の窓をぴしっと指差した。その間も顔はアンナとリアに向けられたまま、冷徹な表情は微塵も崩さなかった。長いストレートの黒髪が、冗談の通じない雰囲気をさらに際立たせていた。冷たい視線は炎の少女チャーリーさえも消火しそうだった。
「まあカタいこと言うなよ、どこぞの集会禁止条例じゃあるまいしさ。あんたまさか集会の取り締まりじゃないだろ」
「わたしはここの部員よ。科学部部長のエレノア・ランバート」
エレノアと名乗った女子生徒は変わらず冷徹な表情を向けていた。ということは、この人も外国人なんだ。顔はそんなに日本人と変わらなそうだけど、背とか胸とかはけっこうあるし、とリアはエレノアの外見を上から下までちらちらと観察した。白衣とかすごく似合いそう、『グレムリン2』の人みたいに。
「無断で電源を使わないでちょうだい。ノイズでうちの機械に悪影響でも出たら困るし。それにひっきりなしに騒音を聞かされて迷惑してるわ」
「そ、騒音はないよ! ちゃんとした曲だよ!」
「そーだっ! ロックンロールは騒音公害じゃねえ! ていうかうるさいったって、誰もいないじゃねえか!」
それは観客も誰もいないってことなんだよね、とリアはひとりごちた。まあこの部室にも誰もいなかったから、電源をこっそり引っ張ってこれたんだけど。
リアとアンナの抗議にも表情を変えず、エレノアは続けた。
「部室で改造・・・もとい、実験に飼ってる動物がいるのよ。四六時中あなたたちのメチャクチャな曲を聞かされて、『28日後』みたいに凶暴化したら困るわ」
「なんか改造のほうが不穏な感じがするけど、そんなことないよ」
言いながらもリアは、もしかしてこの人を怒らせると捕まって監禁されて、その実験台とやらにされちゃうんじゃないか、という気がした。『狂気のスラッシュ感染』のジャケットが脳裏によぎった。
エレノアのビクともしない眼光に気圧されて、アンナも少し腰が引けた態度になった。
「なあ、頼むよ、分かった、音量なら下げるからさ、ここで演奏させてくれよ。ここ人通りが多いんだからさ」
「アコースティック・ドラムの音量をどう下げるつもりなのかしら? それに人通りが何人いようと、あなたたちの曲を聞いてる人間はゼロじゃないの」
「ゼ、ゼロじゃないよぉ! 今日はメルちゃんが来てくれたもんね!」
これまでエレノアの威圧とアンナたちの剣幕に固まっていたメラニーは、急に矛先を向けられて目をパチパチさせた。
「え・・・いつもは、ゼロ・・・なんですか・・・?」
しまった、余計なことを言った。
「い、いや、メルちゃんが一緒に歌ってくれたら、もっと客も増えるよ、きっと! そういうわけだからさ、ね? ここでライブ続けさせてくれない? 新メンバーにも練習させてあげたいしさ」
場所使用申請のどさくさにさりげなく新メンバー引き入れの下地も固めて、リアはエレノアをなだめに掛かった。メラニーの袖もしっかりと握りながら。
しかし、エレノアの表情は微動だにしなかった。
「メンバーも機材も揃ってないのにライブですらないじゃない。それに言ったとおり、電源を勝手に使わせるわけにはいかないわ」
「いいじゃんかケチ! ていうかいちいち傷つくこと言うなよ!」
バンドの現状を看破されたアンナはしょげながら抗議した。心なしか髪の立ち上がりもうなだれているように見える。
「そーだよ、何ならエレノアさんもいっしょにバンドやろうよ。きっと楽しいよ、SF風ステージとかさ」
リアは気が動転してエレノアまで勧誘しだした。さらにエレノアの視線が冷たさを増した。実験台のモルモットでも見るかのような冷徹な目だった。「かわいそうだけど明日の朝には標本棚に並ぶ運命なのね」って感じの。
「わあ、SFですかあ、楽しそうですねえ」
お花畑の雰囲気に戻ったメラニーも空気を読めないことにかけては同じだった。リアに掴まれた袖をジリジリと引き剥がしにかかっていたが。
「他所に行ってくれないのなら、強制退去してもらうわよ」
言うなりエレノアは眼鏡をギラリとさせて、制服のポケットからスマホを取り出した。まずい、どこか通報するのか。リアは何となく、警察とかを呼ぶのではなく、超兵器を携行した特殊部隊が現れ、光線を浴びせられて気絶させられたあげく、ハイテク檻に閉じ込められてモニターで監視されるところを想像した。
しかし現れたのは特殊部隊ではなかった。
「リア・パーカー! アンナ・ブレット! 今日こそ公序良俗に反する退廃的な活動をやめていただきますわよ!」
唐突に甲高い声が響き、ずざざざ、と地面から煙を上げながら、正義のヒーローよろしく登場ポーズをとって女子生徒が現れた。
「学園の平和と正義を乱す者は、このわたくしが赦しません!」
威圧的な態度も露に、ビシイ、と女子生徒はリアたちを指差し、一方的に宣言した。
彼女の後方には、薄笑いを浮かべたポニーテールに眼鏡の女子生徒と、気弱そうにそわそわしている小柄な男子生徒が付き従っていた。
「うげっ、PMRC! よりによって面倒なの呼びやがって!」
「私じゃないわよ」
現れた三人組にアンナは顔をしかめてエレノアを非難したが、エレノアはスマホを手にしたまま呆気にとられていた。
三人組は甲石高校の風起委員会にして、通称――訂正、人は誰も呼ばないので、自称――“PMRC”という名の校内パトロール隊だった。校則の容赦ない取り締まりと、有無を言わせぬ権力執行によって、不良生徒には恐れられ、一般生徒にも煙たがられていた。
ちなみに、PMRCとは『風紀規定委員会』の直訳で、Public Morals Regulating Committeeの略である。何となくそのほうが権威っぽい響きがするというだけの理由で、わざわざ一語足した上に英語で名乗っていた。本人たち以外は誰もそう呼ばないのだが、アンナだけは何となくムカつきが増すからという理由でPMRCと呼んでいた。
「性懲りもなく反社会的な集会を続けていますわね! 風紀委員長にして時期生徒会長、この白菊霧乃が、今日こそ学園の品格を堕落させる不良分子を排除いたします!」
霧乃と名乗ったリーダー格の女子が再び高らかに宣言した。風紀委員長なのは事実だが、時期生徒会長のほうは勝手にそう思っているだけである。もっとも本人の脳内では周知の事実で、風紀取り締まりを職務以上に熱心に行っているのも、会長選挙運動の一環というわけだった。
霧乃の執行宣言に続いて、ポニーテールの女子生徒、副委員長の倉内久里子が高飛車な態度ありありの笑みを浮かべた。
「抵抗は無駄よ。おとなしく従いなさい。さもないと機材没収するよ」
この久里子が風紀副委員長の座に就いているのは、自らの権力拡大と没収品のネコババのためというのがもっぱらの噂だった。真偽はともかく、めぼしい標的を見つけて来ては委員長の霧乃をけしかけ、風紀委員権限を行使する手腕は、密かに影のフィクサーと呼ばれるにふさわしかった。
「あ、あの、解散してもらえませんか、音が大きいですし」
一方、他の二人と比べて不釣合いなほど腰の低い男子生徒、黒間光がおそるおそる頼んできた。彼も一応は風紀委員なのだが、気の弱さから霧乃の校内パトロールに駆り出され、専ら違反生徒への注意執行係(またの名を“生贄”)として利用されていた。もっともそんな時にも、ガタガタ震えながら涙目で「すみませんお願いしますやめて下さい」と懇願する姿に、注意された相手は同情心、あるいは保護者愛から、その場で引き下がってしまうのだった。
そんな光を一般生徒は“委員長のM奴隷”と呼び、今日もその評判に恥じない虐待を霧乃から受けていた。
「光! 声も態度も小さい! そんな猫の鳴くような声でこの恥知らずどもの根性を矯正できると思ってるの! もっとガツンと言っておやりなさい! ネット投稿されて百万ヒットするぐらいに!」
「うう、そんなこと言われても・・・」
相手陣営の内輪もめに乗じて、言われっぱなしだったアンナとリアは反撃を開始した。
「うるさいバカタレ! お前以上の恥知らずがいるかよ! オレたちにばっかり毎日毎日突っかかってくんな!」
「そーだよ、わたしたち校則違反なんかしてないよ」
「“反社会的集会”というのは当たってるんじゃないの」
横からエレノアが冷ややかに混ぜかえした。
「え、これって何かの集会だったんですか? 入場料とか要るんですか?」
未だ事態が把握できないメラニーがキョロキョロし始めた。とはいえ、唐突なPMRCの登場と異様なハイテンションに対しては、正常な反応と言えた。
「入場料はバンドの加入サインだよ、メルちゃん」
リアはメラニーの混乱に乗じて、肩をポンと叩いて引き込み工作を再開した。
「リア・パーカー! 罪のない生徒を悪の道に引き込むのはおやめなさい! そっちのあなたも、手遅れになる前に反社会カルトから脱出するのよ!」
「ふぇ、わ、わたしは関係ないんですよう」
「オレたちはカルトなんかじゃねえっつってんだろ! マスコミ受け狙いならクジラ漁船に当たり屋でもしてろよ」
「この白菊霧乃が金やちやほやされるために風紀取締りをしてると思っているんですの――っ! PMRCの存在は秩序を守るため! 甲石高校を守るため! あなた方とは動機の『格』が違うんですのよ!」
「ネット受けしたいのかしたくないのか、どっちなのよ」
風紀委員にまで突っ込みの対象を広げたエレノアに、副委員長の久里子が照準を向けた。
「そっちのあなたは科学部部長のランバートさんだったかしら? PMRCの活動方針に文句でも? 科学部にもいろいろと良からぬ噂を耳にしているわよ、大量破壊兵器を隠し持っているとか」
「私は科学部だけど、そんな噂は事実無根よ。いつから風紀委員会はでっち上げの情報を流して、自分で治安を紊乱するようになったのかしら」
冤罪事件ってこんなふうに起きるんだな、とリアは刺々しいやりとりを聞きながら思った。そういう自分も別の冤罪事件の渦中なのだが。
「勝手に違反とか反社会的とか言われたって知らないよ、バンドやってるだけだもん」
「オレたちのロックが気に入らないのか? 金髪だからか? 外人が洋楽やるのが違法集会だってのか? 非国民だとでも? 差別じゃねえか! おーい、差別だー! 差別屋がいるぞー! ヘイトスピーチがいますよ――!」
アンナがわーわーと周囲に叫び散らした。赤毛と金髪が体制側に反旗を翻した。
「そういう方針なら、苦情を訴えるわよ。風紀委員会は外国人サークルに風評被害を与えているって」
エレノアも加勢して反撃に追い討ちをかけた。
「え、えっと、差別はよくないですっ」
ようやく自分も巻き添えにされている気がしてきたメラニーも、とりあえず加勢した。実際のところ、長い銀髪に褐色の肌の彼女は、この場において外見はかなり目立っていた。
正義の主張にケチをつけられた霧乃は、しかし怯まずに告発のポーズを続けた。
「ごまかすのはおやめなさい! 国籍のせいなどではないわ! 個人の主義や主張は勝手! 許せないのはわたくし達の秩序を公然と侮辱したこと! 他の生徒に迷惑をかけないようにきちっと排除しなさい、光!」
「うう、怖いとこだけ僕にばっかり・・・」
外国人の女子生徒四人の痛い視線を浴びながら、光がおずおずと進み出た。いつも通り上目使いでビクビクしながら。
「何だコラ、ボーリョクを振るうのか! おい科学部、録画してネットで公開してやれ! 『実録!PMRCの暴虐!』」
「それは居直りクレーマーの態度でしょ」
「と言いつつしっかりスマホ構えてるし」
端からはどう見ても暴力被害者なほうの光が弁明を始めた。四人からは慎重に距離を取っている。
「あ、あの、みなさん、委員長もああ言ってますし。外国人差別なんかしませんから。今どき外国人なんて大勢いますし、金髪とか肌の色とかで誰も珍しがったりしませんから。この学校でも白い人とか黒い人とかいろんな色の人とか大勢いますから」
確かにその通りだった。
二十一世紀。
少子化による人口減少の対策として、日本は移民の受け入れ政策を打ち出し、入国のハードルを引き下げた。その結果、外国出身の住民は大きく増加し、もはやどっちを向いても外国人がいるのは当たり前の風景になったのだった。
まずは労働力として、経済難民が大勢やって来た。大量の貧乏人が街に溢れたことで治安の悪化が懸念されたが、実際のところは大して犯罪も増えず、密入国業者が商売替えをしたぐらいだった。たいていの場合、犯罪よりも普通の労働のほうが実入りが良かった。何しろ犯罪には固定給も残業手当もないのだ。ちなみに給料を払わないブラック企業はといえば、人手不足でとっくの昔に外国企業に吸収されていた。
犯罪といえば、外国で手配中の逃亡犯もいるにはいたが、彼らは潜伏のために日本に来たので、社会的には目立たなかった。
外国人排斥運動も初めの頃はあったが、労働人口の不足からすぐに下火になった。ビラ配りのバイトにさえ外国人しか集まらない有様だったのだ。ネットは最後まで右翼の溜まり場となっていたが、これまた外国人のサクラを雇った疑惑から炎上合戦となって自滅し、何ら実社会には影響を及ぼさなかった。つまるところ移民を排斥したがる者は、移民よりも役立たずなだけなのだった。
そんなわけで、社会の変化といえば外国料理の店が増えたぐらいで、人種差別なんかとっくの昔に時代遅れになろうとしていた折、移民の二世も増え始め、当然の帰結として学校においても外国人の生徒は数を増していった。髪の染色を禁止していた校則は早々に廃止された。英語の授業は未だに続いていたが、体育や家庭科と同様に一般教養扱いになり、わざわざ勉強して成績を上げる生徒はいなかった。
こうして外国人がありふれた存在となった社会で、もはや外国人として肩身が狭いのは逃亡してきた手配犯ぐらいだと思われた日本。
しかし、政府も識者も、誰も予想していなかった。
日本へ逃れて来たのは、犯罪者だけではなかったことを。
かくして、人種間の軋轢なんて起きるはずもない時代、人種とは無関係の軋轢が、甲石高校の一角で勃発していたのだった。それは新時代でも代わり映えしない、昔ながらの権力と大衆の対立だった。
自らの規範に従わない者を容赦なく弾圧する風紀委員会、自称PMRCと、成り行きでまとめて告発された四人の女子生徒は、機動隊とデモ隊のごとく睨み合った。
「騒音テロリストの二人! 風紀取締条例第六四二条第三項補足一の定めるところにより、ただちにその大量破壊兵器の撤去と解散を命じます! 他の二人も、違反生徒に加担した件で、取り調べさせていただきますわ!」
風紀委員長の霧乃が一方的に通告した。ちなみにこの条例を暗記している者は他に一人もいなかった。
「それと他にも違反品を持ってないか、身体検査と部室の捜索もね」
副委員長の久里子がニヤつきながら付け加えた。久里子には男女問わず、尋問相手の身体検査と、一部は拉致監禁と拷問にかけるらしいという噂も囁かれていた。被害者第一号は光というのがもっぱらの評判である。
「オレたちはテロリストなんかじゃねえ! 勝手なこと言うな!」
「そーだよ、ムチャクチャだよ」
バンドの二人、アンナとリアが理不尽な告発に抗議した。
「風紀委員にそんな権限はないはずだけど」
“部室の捜索”という言葉に眉をひそめた、科学部部長のエレノアも反論した。
「身体検査なんてやですう、わたしは関係ないんですよぉ」
巻き添えで共犯と間違われたメラニーも無実を主張した。
「これも有害な活動から健全な社会を守るためですわ! わたくしが時期生徒会長になった暁には、青少年健全育成校則を制定いたします! そのために障害となる分子は今のうちから排除しておかなくてはいけませんわ!」
「本当にムチャクチャだな」
「このままじゃ埒が明かないわね。先生か誰かを呼んだほうがいいんじゃないかしら」
「あっ、は、はいっ、先生を呼んで来ます!」
エレノアの提案に、この場から離れる口実ができた風紀委員の光は、言うが早いかぴゅーっと駆け出して行った。
「あっ! 光! 待ちなさーい! 第三者を介入させるんじゃありません!」
「やっぱ委員会としてマズいのは自覚してたんじゃない」リアが苦笑いした。
「・・・まあいいわ。とにかく! そのような不健全な活動、このわたくしが許しませんわ!」
「開き直んなよ!」
「素直に退去しないなら、今日はムリヤリにでも排除させていただきます! ラグビー部の皆さん、出番ですよ!」
おもむろに霧乃は振り返ると、後方に向かって呼びかけ、指をパチンと鳴らした。と、今まで後ろのほうで控えていた男子生徒が十数人、ぞろぞろと歩いて来て、霧乃の後ろ数歩のところで立ち止まった。皆ギャング映画の用心棒のように屈強な体格で、並んで立つだけで威圧感があり好感度のない集団だった。目が合っただけで子供が泣きそうだ。
「手荒な真似はしたくありませんが、やむを得ません。おとなしく引き下がらないというのなら、この方たちがお相手ですのよ」
「おい、大丈夫なのかよ、こんなことして」
ラグビー部の男子生徒が一人、心配そうに小声で霧乃に尋ねた。
「風紀委員長権限で許可いたしますわ。彼女たちの調教・・・もとい懲罰に協力していただければ、約束通りあなた方の謹慎は取り消します」
「本当だろうな・・・」
ラグビー部は数日前に、部室でPMRCに18禁本を発見された容疑で謹慎処分を言い渡されていた。本人たちは誰も思い当たる節がなく、あれはPMRCのでっち上げだと意見が一致したが、理由のほうはそれ以上にさっぱり分からなかった。今にしてみれば、こういう訳だったのか。
「さあ、学園の秩序を乱すそこの四人を拘束なさい! ただし、なるべく清純に!」
「無茶言うなよ・・・」
屈強な男たちが寄ってたかって少女を押さえつける絵面というのはどう見ても高校生には放送禁止の場面なのだが、ともあれいちばん清純にうるさい風紀委員からの承認は出た。いつものPMRCなら即刻絞首刑にでもしそうな行為なのに。
「傷も付けないようにね。取り押さえるだけよ。私以外の・・・じゃなかった、必要以上の暴行はするんじゃないわよ」
どこからともなく手錠を取り出した久里子が眼鏡をキラリとさせながら言った。なぜか手錠は人数分用意してあった。
「そういうわけだ、すまんな」
本当に気が進まない様子で、男子生徒が一人進み出た。
「ちょ、おい待った、乱暴はよせ」
「助けてー! 襲われる――! 誰か――!」リアがわざとらしく周囲に聞こえるよう叫んだ。
進み出た男子生徒は、どうすりゃいいんだ、という顔で霧乃を振り返った。
問答無用、と霧乃は顎で合図した。
「くそ、しょうがない・・・おい、みんな」
早く片付けたい、としぶしぶ他の男子たちも前に出始めた。
「わ、わたしは無関係よ」
「私もですよう」
エレノアとメラニーは後ずさりした。
「言い訳無用! 無駄な抵抗はおやめなさい!」
ラグビー部員の壁の後ろから霧乃が投降を呼びかけた。
「な、なあ、あんな奴の言いなりになんかなることないって。仲間喧嘩はやめようぜ」
アンナはPMRCの被害者同士として説得してみた。
「やめて! 触んないで!」
まだギターを肩から下げたままのリアは、迫り来る男子から身を引いて拒絶した。屈強な体格の男子から逃れるリアは、人一倍小さい身体のせいもあって、ますます手出しに罪悪感を覚えさせた。身体を捻ったせいで、ギターのボディとネックが振れ動いた。
困った男子生徒は、リアの身体に直接触れまいと、ギターを押さえることにした。飛んできたギターネックをガードした拍子に、手がネックを掴んだ。
「やめてってば!」
ギターを掴まれたリアは、本気で怒りの目を向けた。
「おい、待て、それ以上は・・・」
アンナが言いかけた。男子生徒とリアを交互に見ながら、その言葉は二人ともに向けられていた。
「頼むよ、おい・・・」
リアのギターネックを掴んだ男子が、さらにボディのほうにももう片手を伸ばした、その瞬間。
「ギターに触らないで―――――!」
リアが絶叫し、姿が消えた。
その頃光は、息せき切って校舎に駆け込み、いちばん最初に見つけた教師を捕まえて、慌てふためきながら事の次第をしどろもどろに説明していた。
「と、とにかく(ゼイゼイ)、大変なんです、委員長たちと(ゼイゼイ)、校門のそばで、バンドの人たちと、科学部の部長さんと(ゼイゼイ)、あともう一人、黒くて白い人が、委員長がやめてって言っても聞いてくれなくて(ハァハァ)、ああでもほかの二人は関係ないって言ってて、そしたら二人が差別だって言って、倉内さんは身体検査をするって(ハァハァ)、それで先生を呼ばなきゃって、そ、それで、お願いです、来てください!」
「・・・とりあえず、いつも通りモメてるってことらしいな」
光の必死の説明を生暖かい目で聞いていた中年の教師は答えた。
「お、お願いします、なんとかしてくださいっ!」
目を潤ませて懇願する光を、教師はひとまず落ち着かせにかかった。
「分かった分かった。それで場所はどこだ」
「校門のそばの、科学部の前ですっ」
それだけ言い終えた光は、今度は一目散に元来た事件現場の方向へ駆け出し、廊下の端まで来たところで振り向いて足踏みしながら「先生、早く、はやく!」と気もそぞろに呼びかけてきた。
「バンド・・・? またあいつらか」
教師、橋澤清石は、やれやれと光の後を歩き出した。
リアのギターを掴んでいた男子生徒は、リアが叫ぶのをその目で見ていた。だが叫びが途切れると同時、瞬きもしない間に、目の前のリアの姿が忽然と消え、手に持ったギターだけが視界に残っていた。ギターのストラップさえも首に掛かった形のまま宙に浮いていた。
まるでリアの姿だけが画像編集で消されたかのように。
と、その瞬間、男子生徒は首筋にちくりと痛みを感じ、急激に意識が遠のいていくのをぼんやりと感じていた。
リアが男子生徒の背後から首筋に噛み付いていた。一瞬のうちにギターを首から外し、男子生徒の背後に回って、背の高い相手の肩の高さまで飛びついた姿勢で。リアの両手は男子生徒の肩と頭を掴んでいたが、胸と両足は相手の背中に乗っているのではなく、宙に浮かんでいた。その場の全員が何が起きたのか分からず凍りついたまま、血を飲み込むコクンコクンという音だけがかすかに聞こえていた。
やがて男子生徒は意識を失い、手にしていたギターを取り落とした。ギターが地面に触れようとしたその瞬間、再びリアの姿がギターの背後に一瞬で現れた。膝をついて屈み、両手でそれぞれギターのネックとボディを支えた姿勢で。同時にギターの落下はぴたりと止まり、時間が止まったかのようにその場に静止した。
周囲で見守る全員も同じように動かない中、膝をついたリアの正面で、男子生徒はくずおれて地面にどさりと倒れこんだ。
ギターを受け止めた姿勢のリアは、閉じた口から二本の牙が伸びていた。口の両端からは血の筋が下顎まで続いていた。その血の色にも劣らず、両目の瞳が紅く染まり、ギター越しに正面の他の男子たちに向けられていた。
リアはギターを持ち、紅い目を正面の男子に向けたまま立ち上がった。キッと視線が鋭くなったかと思うと、再びリアの姿が消え、ギターが宙に浮いた。一瞬の間、ギターが宙に浮いている間に、平手打ちの音がパチンパチンと響き、またリアの姿がギターを支えて現れた。
いちばん近くにいた男子二人が突然頬に痛みを覚え、手のひらの赤い痕が現れた。平手打ちを食らった二人は、痛みというより、突然のショックに驚いてよろめき、悲鳴を上げて後ずさった。
ギターの背後で鋭い眼光を湛えていたリアは、数秒後に「あいたたた」と表情を崩し、平手打ちのせいで自分も赤くなった右手をヒラヒラと振った。
ラグビー部員たちの後ろにいてよく見えなかった霧乃が沈黙を破った。
「何ですの? どうしたんですの?」
一方、しっかりとリアの姿を目撃した久里子は、呆然と呟いた。
「吸血鬼・・・・・・」
その一言にリアはハッと我に返り、周囲の文字通り怪物を見る目に気付いて、どうしよう、とアンナのほうを向いた。
アンナは笑ってごまかすことにした。
「わはは、すげーだろ、これが本当のギター殺人事件ってやつだよ。ほら、イフ・ユー・ウォント・ブラッド・・・」
拳を振ってレスポンスを促してみたが、誰もその後を継がなかった。その場の凍り付いた雰囲気がさらに寒くなった気がした。
「ふ、ふ、ふざけんな! ありえない! そんなわけない! ああああんた達、早くそいつらをとっ捕まえて!」
顔面蒼白の久里子が裏返った声で命じると、今目にしたものを忘れるかのように、男子生徒数人が弾かれたようにアンナに向かっていった。
たちまちアンナは取り囲まれ、両腕をそれぞれ男子一人づつにがっしりと押さえ込まれてしまった。
「こ、こいつは普通の女だよな、やっぱり」
「おとなしくしてろよ? 頼むからおとなしくしてろよ? 冬のナマズみたいにおとなしくしてろよ?」
さっきのは幻覚だ、と半ば言い聞かせるように呟きながら、それでも男子生徒たちはアンナと、さっき倒れた男子と、その前で牙を生やして立ち尽くすリアを交互に見回していた。
「おいやめろ! 触るな! 離せ! ぶっ飛ばすぞこの!」
アンナはジタバタしながら、まだ自由な脚を突き出し、正面にいた男子にキックをかました。蹴られた男子は仰向けに転がり、次いで右手を捕まえていた男子もアンナに振りほどかれて、突き飛ばされた。
「こ、こいつ、なんて力だ!」
「この凶暴女め! やっちまえ!」
突き飛ばされた男子二人の声を合図に、遠巻きに見ていた男子数人もわらわらとアンナに飛びかかり始めた。一方リアのほうは、すっかり慌てふためいた表情に戻り、ギターをかばうようにオロオロと右往左往していたが、さっきの異様な出来事のためにリアに向かってくる者はいなかった。
そうこうしているうちにアンナは再び組み伏せられ、数人の男子が折り重なって下敷きにされていた。普通の女子ならケガでも心配されてしかるべき体勢だが、それでもアンナは男子生徒の山の下からくぐもった罵声を上げていた。
「くっそー、どきやがれーっ・・・どこ触ってんだこの・・・いい加減に・・・」
男子の一人が、この状態でも一向にアンナがおとなしくする様子がないのに驚いたそのとき、
「放せって・・・言ってんだろおおおお――――っ!」
一際高くアンナが叫ぶのと同時に、男子の山が吹っ飛ばされた。
合計で数百キロはあろうかという男子数人が、文字通り宙を飛んで四方に落下していった。そして人の山があった場所に、人影が立ち上がっていた。
今度は霧乃もはっきりと見た。
「な、何・・・ですの・・・」
そこに立っていたのは、アンナの制服を着ていたが、人ではなかった。その姿を見た久里子が、驚愕に目を見開きながら呟いた。
「狼・・・男・・・じゃなくて、女・・・?」
制服を着ているものには、獣のように毛がびっしり生え、尖った鉤爪の手と、人間の膝とは違う、逆方向に曲がった関節のある脚があった。顔からは顎が突き出し、上顎の先には黒い鼻と、その周囲には長い髭が数本生えていた。剥き出した歯には上下から尖った牙が伸びていた。側頭部はすっかり毛に覆われて耳が見えなくなり、その代わりに頭の上には尖った獣の耳がピンと立っていた。
だがその獣は紛れもなくアンナだった。制服だけでなく、生える場所が増えた金髪や、鋭い眼の中の青い瞳はアンナと同じだった。頭に現れた獣耳も、アンナの髪の跳ね上がりと同じ場所にあった。制服の腰にはドラムスティックも差さっている。
「オレはもうキレたぞ」
そしてアンナの声で獣人は言った。
不幸にして吹っ飛ばされず、獣人アンナの足元に残っていた男子は、狼に睨まれた兎のように恐怖に震え上がったまま、アンナに首元の襟を掴まれた。
獣人アンナは片手で軽々と男子を持ち上げると、ふん、と脚を踏ん張り、大きく腕を振りぬいて男子を投げ飛ばした。男子生徒は空の彼方へ悲鳴を上げながら飛んでいって見えなくなった。
「てめえら、全員失せやがれ!」
「化けもんだぁ――!」
アンナの一喝に、近くで腰を抜かしていた男子生徒数人は、脱兎のごとく散り散りに逃げていった。
その場に残ったのは、まだ離れて待機していた男子生徒数人と、霧乃、久里子、そして目を丸くして一部始終を見ていたメラニーとエレノアだった。全員があまりのことに言葉も出せず、立ち尽くしていた。久里子と男子生徒の何人かはガタガタと震えていた。
その全員に驚きと恐怖の眼差しで見つめられながら、紅い目に牙を生やしたリアと、獣人の姿のアンナは気まずそうに顔を見合わせた。
「やっちゃったね」
「やっちまったな」
「この子たち・・・まさか・・・」
「人じゃ・・・ないんですか・・・?」
唖然として事態を見守っていたエレノアとメラニーが、ようやく言葉を発した。エレノアもこの衝撃には驚きの表情を隠せないでいた。
「な、何なのよ何なのよあんた達は! こんな非常識ってありえない! なに、この化け物たちはあんたの仲間なの? あんたんとこの実験の産物なの? フランケンシュタインなの? ドクター・モローなの?」
完全にパニックになりながら、この異常事態に強引にオチをつけたいかのように、久里子は始めに因縁をつけたエレノアに詰め寄った。
「わ、わたしは初めから無関係だって言ってるでしょう」
久里子の剣幕にたじろぎながら、エレノアは否定した。
「あ、あなたも仲間なんですの。わたくしの学園にこれ以上神を冒涜する生徒がいるんですの」
一方霧乃のほうは何とか正気に踏みとどまって、メラニーに詰め寄り始めた。
「だから、わたしも関係ないんですよう」
自分に聞かれても困ると、メラニーは迫り来る霧乃に後ずさった。
久里子の八つ当たり気味の糾弾はまだ続いていた。
「あんた達のせいね! そうに決まってる! こんなふざけた事ができるのは科学部だけよ! こいつらと結託してあたし達を笑いものに!」
「やめて、ラグビー部と結託して乗り込んできたのはあんた達のほうでしょう」
完全にキレた久里子の言葉に、エレノアは異常な事態の最中でもだんだんとイラついてきた。その間にも久里子はタガの外れた糾弾を続けながらずんずんと近づいてきた。
「とぼけないで! 日頃の怪しい実験と生徒の噂、ネタは上がってる! 疑われて当然よ!」
さすがにいたたまれなくなって、リアが横から口を挟んだ。
「あー、えと、その人は本当に無関係だよ。わたしたち実験の産物なんかじゃないよ」
「あんたらは黙ってて! 怪物の言葉なんか聞く耳持たない! それともこいつに洗脳されてるの?」
だめだこりゃ。
「すっとぼけてごまかそうったって、そうはいかないんだから!」
久里子はとうとうエレノアの目の前にまで近寄ると、まだスマホを持っていたほうの手をねじり上げ、もう片方の手はエレノアの顔に掴みかかった。
「ちょっ、やめて、眼鏡が」
エレノアは久里子の手から逃れようと顔を背け、はずみでスマホのどこかが押された。スマホに何が起きたかとエレノアが顔を向けた拍子に、久里子の手が当たって眼鏡が落ちた。
『*&%#@¥+ $*?』
エレノアのスマホから何か聴いたこともない、妙な音声が聞こえた。
「また何か変な・・・」
エレノアに掴みかかっていた久里子は、そのまま絶句した。
眼鏡が外れたエレノアの目が白く光っていた。太陽や周囲の反射ではなく、LEDライトのようにはっきりと二つの瞳が光を放っていた。その光る両目は愕然とした久里子の顔を見つめ返していた。
久里子が恐怖に目を見開いている前で、今度はエレノアの全身が光り始めた。しかし今度は、エレノアの身体ではなく、身体の周囲を細く青白い光の筋が飛び交っているのだった。エレノアの腕を掴んでいた自分の右手も光の筋の中でチリチリとした感触がして、久里子は慌てて手を離して数歩後ずさった。
そのうちエレノアの全身を包んでいた光の中に別のものが見え始めた。ショベルカーや組立工場で見るような、油圧シリンダーや関節ギアが組み合わさった、建設重機のような機械だった。やがて光が薄れると、そこに立っていたのは、黄色いボディカラーのロボットだった。
今度はリアとアンナが目を丸くする番だった。呆気にとられたまま、エレノアがロボットに変身するのを見ていた。
ロボットの頭部のフレームに囲まれて、光る目のエレノアの頭が突き出ていた。
「見られたか。消すしかないわね」
そう言うエレノアは、先ほど久里子に反論したときの冷徹な表情に戻っていた。呆然と立ち尽くす久里子を光る目で見下ろし、ロボットスーツの内部で何かを操作した。
ロボットの左肩から円筒形の部品が上に飛び出し、サーボ音を立てて向きをあちこちに変えると、不意に久里子のほうを向いて止まった。
ぴしゅん。
円筒の先から火の玉が飛びだした。火の玉は久里子の頭から数ミリのところを掠めて、その先の地面に命中した。
地面は盛大な音と共に爆発し、数メートルの高さにキノコ雲が上がった。
久里子は自分のすぐ横を飛んでいった火の玉の後を追ってギクシャクと振り向いた。ぱらぱらと土の破片が降る中、黒い煙を上げてクレーターが口を開けていた。
「あ・・・あぁ・・・?」
がくがく震えながら、クリスは再びエレノアに向き直った。
「あら、照準が。仕方ないわね、『殲滅モード』」
表情ひとつ変えずにエレノアはさらにロボットを操作した。
ロボットの両肩にさらに7つの砲台が現れた。全ての砲台が一斉にグルンと久里子のほうを向いた。
「いいぃやああああぁ――!」
泣き叫びながら久里子は砲台の狙いをかわそうとメチャクチャに走りだした。久里子のでたらめな動きを追って8機の砲台は首を振り回し、四方八方に発射しはじめた。
たちまち辺り一帯は火の玉が飛び交う戦場と化し、アンナは地面に突っ伏した。リアはギターを抱えて、瞬間移動しながらキャーキャーと逃げ回った。数人残っていた男子生徒たちも一人残らず一目散に逃げていった。あちこちの地面や建物からドカン、ボカンと火の手が上がった。
この阿鼻叫喚の中でメラニーだけはポカンと立ち尽くし、行き交う砲弾を眺めていた。
「わぁ、花火大会みたいですねえ。副委員長さんもネズミ花火みたい」
そんなメラニーの背後で霧乃は縮こまり、必死に砲弾から身を隠していた。
「なにを呑気なこと言ってるんですの――! な、何なんですのあなた達は! いったいこれは何なんですのー! どーなっているんですのーっ!」
半狂乱で霧乃はメラニーの長い髪にしがみつき、何とかしてというようにぶんぶんと揺さぶった。
「そ、そんなに引っ張られたら・・・」
すぽん。
不意に霧乃は握りしめていた両手が宙を泳ぎ、バランスを失って尻餅をついた。両手を見ると、メラニーの銀髪を握ったままだ。地面に座った自分の両手に銀髪の塊がぶら下がっている。
「え・・・なんですの、カツラ・・・?」
銀髪の塊をまじまじと見ながら霧乃が呟いた。
「カツラじゃないですよぉ」
メラニーの声がした。銀髪の塊の中から。ウェーブがかった髪の隙間に、褐色の肌と目と口が覗いていた。
自分の両手の間から顔がこっちを見ている。
「ひっ!」
驚いた霧乃はメラニーの銀髪を取り落とし、尻餅の姿勢のまま後ずさった。地面に転がったメラニーの髪、いや頭は、霧乃に向かって気まずそうに「えへー」と笑いかけた。
「ぎゃああああああ――――!」
絶叫した霧乃は地面のメラニーの頭を凝視して蒼白になっていたが、ふとその向こうに人影が立っているのに気がついた。
女子生徒の制服を着たその人影には、肩から上の頭がなかった。
と、立っているその人影は、とてとてとメラニーの頭に歩み寄り、しゃがみ込んで地面の頭を両手で持ち上げ、立ち上がると、すとん、と肩の上に頭を着地させた。
こちらを向いた身体の上に、向こう向きの頭が乗っている。
するとメラニーの身体はふたたび両手で頭を押さえ、ぐるん、と横にひねった。メラニーの頭はぐるりと百八十度回転し、こちらのほうを向いた。
「だいじょうぶ、なんでもないです、なんでもありませんよお」
メラニーは無邪気な笑顔を浮かべ、両手をパタパタと振りながら言った。上下逆さまの顔で。
「あ・・・わ・・・わ・・・わ・・・」
霧乃はもう悲鳴も出てこなかった。メラニーの上下逆さまの顔に釘付けの目は、徐々に焦点が合わなくなっていった。やがて地面に座り込んだままのスカートにジワジワと濡れた染みが広がりだした。
一方、盲滅法に逃げ回っていた久里子は奇跡的に砲弾の嵐をかわし続け、今やエレノアの射程距離外へ逃れようとしていた。
それを見つけたエレノアはまた操作スイッチを動かすと、今度はロボットの右腕がジャキンと変形し、アンテナのように並んだ突起が飛び出した。さらにロボット頭部のフレームに透明スクリーンが張られ、宇宙服のヘルメットのようにエレノアの頭を取り囲むと、スクリーンに直線パターンと文字が現れ始めた。
やがてスクリーンの模様は照準の形をとり、エレノアの光る右目を中心に位置を固定した。ロボットは遠く逃げていく久里子に右手を向け、突起の先端にバチバチと電撃を放つ光球が膨らみだした。
「光子フェイザー狙撃モード、エネルギー充填・・・」
「いいかげんにしろこのバカ――ッ!」
いきなりロボットの後頭部に獣人アンナの飛び蹴りが炸裂した。衝撃によろめいたロボットの右手が宙を薙いだ瞬間、ズビュン、とレーザー光線が先端から放たれ、校庭の端から反対側までを一直線に切り裂いた。
レーザーが通過した後にはオレンジ色に加熱してガラス化した土が煙を上げていた。レーザーの通り道にあった不運な樹が一本、斜めにズルズルと滑り落ちていた。着地したアンナはレーザーの威力を目の当たりにし、冷汗に顔を引きつらせた。
エレノアが体勢を立て直すと、ロボットが重々しい機械音を立ててアンナのほうに体を向けた。
「邪魔をする気」
「当たり前だバカヤロー! 何考えてんだお前! ていうか何なんだよそれ!」
アンナはエレノアのロボットスーツに鉤爪の尖った指を向けて叫んだ。
「うわ、っとっとっ」
アンナの後方数歩のところで、すぐ横をレーザーが通過した衝撃でよろめいたメラニーがふらついていた。アンナとエレノアが声に気付いてそちらを向くと、バランスを取ろうと両手を水平に伸ばしてよろよろと動く身体の上で、上下逆さまのメラニーの頭がぐらぐらと揺れていた。続いて、ころん、と頭が転げ落ちたかと思うと、首のないメラニーの身体がさっと動き、落下した頭をぱしっとナイスキャッチした。
これにはアンナも、エレノアさえも口をあんぐりして固まった。メラニーは両手でキャッチした頭をバスケットボールのように右手に抱えなおすと、左手でVサインを出して「えへへー」と得意そうに笑った。じつに屈託のない笑顔の少女だった。首から上がなく、その首が右脇にあることを除いては。
掲げたVサインの左手から親指がぽろりと外れて落ちた。
「あ、あれ」
メラニーは落ちた指を拾おうと屈んだが、視線と体の動く向きが合わずにかくんかくんと手足はあらぬ方向を探っていた。そうこうしているうちにまた別の指が外れてしまった。
アンナとエレノアが唖然として見守る中、今度はエレノアの後ろから「うわーん!」と少女の泣き声がこだました。
エレノアがふたたびロボットを回して声の主を見ると、まだギターを両手で抱えていたリアが、泣き叫びながらこちらによたよたと近づいてきていた。
「あたしのギターがぁ――――!」
よく見ると、垂れ下がったギターのストラップが焦げて2本に切れていた。砲弾かレーザーが命中したらしいが、それだけではなく、リアの右足にも黒く焦げた火傷ができていた。だがリアは足の火傷も意に介さず、エレノアが見守る前で、火傷の黒い跡は徐々に小さくなっていき、ついには健康な肌色に戻って見えなくなった。
アンナはリアに走り寄ると、肩に手を回して慰めにかかった。
「お、おお、無事でよかったな」
「無事じゃないぃ――! あたしのギターぁ――!」
「わ、悪かったわ」
「修理で直りますよ、きっと」
ぴたりとリアは泣くのを止め、前方のエレノアとメラニーの姿をまじまじと眺め、何がどうなっているのかを認識しようとした。エレノアがロボット兵器に変身して、なぜかメラニーの首が外れて喋っていて、さらにひどいことにギターが壊れて。
「うん、直るよね、きっと」
とりあえず今はギターを心配することにした。
メラニーは指を拾おうとした姿勢で、バランスを崩してよたよたとリアたちのほうへ近づいてきた。そのとき。
「先生っ、こっちです、こっち・・・あっ! ど、どうしたんですかっ、これは?」
ようやく教師を連れて戻ってきた光が、現場の光景を見て驚きに打たれた。小走りにオロオロする歩調をさらに速め、爆撃現場さながらの校庭をご主人様目掛けて駆けていった。
「委員長―っ! どこですかぁー! 何が起きたんですかぁー! あっ、委員長! 無事ですかっ?」
光は地面にへたり込んでいた霧乃の姿を見つけると、燃えている炎や地面の穴を飛び越えながら走り寄った。
「い、委員長! どうしたんですか?」
「ぁ・・・ぅ・・・ぁ・・・」
霧乃は半泣きで呻きながらガタガタと震えていた。いつもなら不良生徒どころかマフィアの殺し屋に対峙しても怯むことすらなさそうな委員長が、度を失うほど怯えるなんて、いったい何事かと、光は霧乃の視線を追った。
吸血鬼のリアと、獣人のアンナと、ロボットスーツのエレノアと、首を抱えたメラニーが光を見返していた。
光はその光景をしばらく見つめて、
ぱったり。
仰向けに卒倒して気絶した。
「・・・まあ、正常な反応ね」
エレノアが目を回した光を冷ややかに評したとき、別の声が響いた。
「やっぱり、またお前らか」
見ると、光を追って現場に到着した教師の橋澤が、惨事に顔をしかめて立っていた。アンナたちの異様な姿にも、周囲の惨劇にも驚いた様子はなく、むしろ始末が大変だという表情だった。
「げっ、センセ?」
「先生!」
“またお前ら”の二人、アンナとリアが橋澤の登場にドキリと身をすくませた。
「まったく。今日はいくらなんでもハデ過ぎだぞ。それにそっちの二人は? 同類まで増えたのか」
阿鼻叫喚の光景を“ハデ過ぎ”の一言で片付けた橋澤に、凶悪な外見に不釣合いなほど慌てたリアとアンナが釈明した。
「ち、違うんです、わたしたちじゃないです!」
「そーです! みーんなこいつのせいなんです!」
ジロリと橋澤の視線がエレノアのほうに向いた。エレノアも幾分取り乱して釈明した。
「いえ、風紀委員が急に襲ってきて。事故なんです」
「わ、わたしは関係ないんですよお」
同類にされて責任を問われるかと思ったメラニーも弁解しだした。
「巻き添えなんです!」
「被害者なんです!」
「無実です」
「通りすがりなんですう」
「善良な市民です」
「一般人です!」
「エキストラですう」
「モブキャラです!」
「もういい!」
収拾がつかなくなった場を打ち切り、橋澤が親指で後方の校舎を指し示した。
「お前ら四人とも、さっさと指導室に・・・」
しかし周囲が騒がしくなってきたのに気付いて、橋澤は後ろを見回した。乱闘や悲鳴や爆発の騒ぎで、いつのまにか人だかりが集まってきていたのだ。燃えている地面が何かに引火したらしく、どこかで小さな爆発が起き、人だかりからどよめきが上がった。
リアとアンナは大勢からの視線に気付いて青くなった。今の自分たちの姿がバレたことと、そのせいで橋澤から受けるだろう説教のことで。エレノアはスクリーンの中から光る目を人だかりのあちこちに走らせていたが、まさかこれだけの人数を消そうと考えてるんじゃ、とリアは思った。幸いロボットの武器はどこも動き出さなかったが、その姿は衆目に晒されたままだった。メラニーも抱えたままの首からきょろきょろと人だかりを見回していたが、やがて四人とも無言で橋澤のほうに視線を向けた。
どうしよう、これ。
橋澤もどうすりゃいいんだという表情を返していたが、そのとき一人の生徒がおずおずと四人のほうへ歩み寄った。
「あ・・・あの・・・」
四人は強張った表情でその生徒のほうへ顔を向けた。
「これ、バンドの演出なの? すごいね。なに? CG? 特撮?」
「へっ」
我に返って四人は、改めて自分たちの姿を見渡した。
ギターを持ったヴァンパイアの牙の少女。
ドラムスティックを持った獣耳のアニマル少女。
ロボットスーツに光る目のSF少女。
アンデッドのように自分の首を腕に抱えた少女。
背後でドカンと、火柱が2本、ステージパイロのようにきれいに上がった。
「イ、イエーイ!」
ハッとしてリアは、渾身の作り笑いを浮かべてピースサインを突き上げた。
「イエー!」
アンナも続いてやけくその笑顔でメロイックサインを突き上げた。
「いえーい」
メラニーもつられてピースサインを揚げた。左手に2本だけ残った指で。
「・・・・・・」
エレノアは無言だったが、人だかりの中から携帯のカメラが向いているのに気付くと、そちらに向かってアクション映画のポスターのようにロボットスーツでポーズを取った。
やがて他の何人かの生徒も携帯で四人の姿を撮影し始めた。




