四書目『無関心』
4月9日。13時40分。
僕は、病院のロビーにいた。
僕は、病院のロビーが大嫌いだ。なんせ、病気を持つ人間の集まり場みたいなものだから。風邪やインフルエンザを移されたら堪ったもんじゃない。
しかし、そんな大嫌いな所にいる理由。
それは、僕が15年間生きてきた中で、史上最も短く、それでいてこれから先の人生を揺るがす大問題を起こした張本人だからだ。
僕が轢いた少女は息を引き取り、静かに目を閉じたまま。
この世から居なくなってしまったのだ。
なぜだか、家族のような人影や友達といった人達も、誰もこの場には居なかった。
情報が行き渡ってないのか。
それとも、家族がいないのか。
どちらにしても、少女にとっては最低で最悪な死に方だったろう。
誰にも、悲しまれず。誰にも、哀れとおもわれずに。
しかし、悲しまれずに死んだということは。
都合よく考えてしまえば、これ以上にない喜びなのかもしれない。
誰も悲しませたくないだなんて、気持ちの悪い中身のない言葉を平然と公言できるやつだけにとってだが。
『愛の反対は愛されないことではなく無関心である』
そんなことを謳った人がいた。
確かにそうだ。愛されないということは。それは要するに『愛されない』ということが、もしかすると愛情表現なのかもしれない。
恥ずかしい、妬ましい、羨ましい。理由はなんだってあるが、それはそれで、人を愛しているとは違うが『想っている』ことであるのにはなんら変わりはないのだ。
しかし、無関心となると。それはもう、なにものでもない。
居ても居なくても一緒。相手へ感情がないというか、思わないというか。
その言葉は的を射ていると思う。
だから、少女はもしかするとそういうことなのかもしれない。
愛されずにではなく、無関心に育てられた。いや、勝手に育った。
そして、勝手に死んだ。
と、勝手に僕はあるかわからない事実を頭の中で思い描いた。
失礼か。流石に。
そんなことを想っていると、医者に声をかけられた。
「親族の方?ですよね」「いいえ。ちがいますよ」
何を思ってそんなことを言ったのだろうか。
「そうですか、それじゃあもうあとはこちらがどうにかするので、あとは大丈夫ですよ」
「わかりました」
そう言って直ぐにロビーを出た。
思えば、なぜ僕はあのときなにも聞かれなかったのだろうか。
あのばしょにいて破損した自転車。僕のからだの擦り傷。そんなもの見れば犯人は僕だってわかるのに。
そんなことに、まるで無関心かのようになにもなかった。
僕はこれからどうしたらいいんだろうか。自首か?やはり。
僕は大人しく駅前の交番に向かうことにした。
学校にもいかずに何をしているんだろうか。
このまま本当に逮捕されてしまうのか。
なぜか、震えてきてしまった。
僕が悪いのに、僕が命を奪ったのだ。当然の報いなのだ。
しかし、頭ではそう考えても体はそうはいかなくて。
気がつけば、駅とは反対の路を走っていた。