第3話 腰蓑
俺は警官から逃げる為にセントポーリアの民家が密集する街道をひたすら走った。俺は息を切らして、身体から汗を垂らしながらも一心不乱に走る。
人の気配がする度に俺は物陰に隠れ、そして駆け抜ける。もう、大丈夫だろうと俺は後ろを振り向いて誰もいないことを確認する。どうやら警官を撒いたようだ。
「ぬしよ。先程は危ない所であったな?」
俺はしゃがんだ状態で息を切らし、肩で呼吸をしていたら、女性の声が聞こえてきた。俺はとっさに声に反応して顔を上げる。
するとそこには可愛らしく微笑むアイリがいた。あれ、おかしいよな。さっきまで、俺は全力で走っていたんだぞ? どうやってアイリは俺についてきたのだろうか。
「いつの間に俺についてきてたんだ!?」
「ぬしよ。忘れておらぬか。わっちはぬしがつけておる腕輪に宿っておるのじゃぞ。腕輪がある所にあらわれるのは当然のことじゃろ?」
「ああ、そうかよ。そんなことはどうでもいいよ。その前に文句が言いたいわ。いや、言わせろよ」
「まぁまぁ、ぬしさま、落ち着きなされ。先程のことじゃな? わかっておる。ぬしはこう言いたいのじゃな。アイリのような可愛らしい女子とあのようなやり取りができて嬉しかったぜとな。そうじゃろ?」
「ふざけるな! お前の所為で警官に逮捕されそうになったわ!!」
俺は揶揄われたことがかなり頭にきてそう怒鳴った。しかし、アイリは微笑むだけで一向に意に介していないように見える。腹立たしいが、その笑顔は可愛らしい。その笑顔だけで許してしまっている俺がいることがどこか虚しい。
「おっと、ぬしよ。そんなことを言っておる場合か?そっちの方向から誰かがくるのじゃ」
顔を近づけるなよ。アイリが俺の耳元で囁いている。すごい、照れくさい。しかし、アイリの話を聞いた俺は彼女を無理矢理に離して、慌てて物陰に隠れる。そして、民家の物陰に隠れながら俺は辺りを伺う。
「誰もいないし。誰もこないぞ?」
俺が見るとアイリがニヤニヤと笑ってやがる。まさか、こいつは…
「おまえ、まさか騙したのか?」
「騙したとは人聞きの悪いのう。あれは可愛らしい軽い冗談じゃ。本当は誰もおらんかったわ。しかし、ぬしの慌てようといったら、ほんに可愛らしいのう」
そう言うアイリの顔は無邪気で愛らしい。でも、揶揄われてた当人(俺)としては胸中が複雑だ。何か仕返しができないだろうかとそんなことを考えていると。
「ぬしよ。後ろから人が…」
「おい、俺を馬鹿にしているのか?同じ手が2度も通用するかよ!」
「ぬしよ。さっきはすまなんだ。じゃが、今度は本当なんじゃ」
「そうやって、俺をまたからかう気だな。引っかかるかよ!」
俺はアイリの指差す方角を見ないで怒鳴り返した。そう何度も笑われてたまるか。そう思っていたら、急に後ろから低くて大きな声が聞こえてきた。
「女の子と裸の男!?その子に何をする気だ!そこの変態男!!」
俺が後ろを振り返るとそこには大柄な正義感の強そうな顔つきの男がいた。その男は俺を見るなり、こちらに向かって駆けてくる。ちくしょう。こんな、巨漢に捕まったら、ナニされるかわからないわ。
「またかよ。逃げるしかないな!」
「逃げるな! 全裸の変態男が!!」
待てと言われて誰が待つんだ。警官からも逃げれる俊足なこの俺に一般人がついてこれるかい? そんなアホなことを心で思いながらしばらく走っていたら、大柄な男を引き離して、撒くことができた。
しかし、走ってばかりで、身体がキツいわ。まだ呼吸が戻らない。俺がしゃがみ込んで肩を大きく動かして呼吸を整えているとまたどこからかアイリがきた。
「ぬしよ。なにをそんなに息を荒くしておるのじゃ? 可愛いわっちを見て興奮しておるのか?」
アイリは小首を傾げながら俺を覗き込んできた。こいつの仕草は可愛い。それは認めてやる。だが、その言い方は本当にムカつく。この俺をわざと煽ってやがるな。俺は走り疲れていたので息を切らしながら返事をする。
「お前が原因だ! わざとらしく聞くな!」
「わっちが親切に教えてやったというのにぬしは…」
「うるさいな。それよりも休憩させてくれ」
俺はそう言って、座り込んだ。疲れたな。休憩だ。休憩。…あれ? アイリの奴が本当に静かでおとなしい。
今までは、何かしらアイリの方からこちらにうるさくコミュニケーションを取りにきていたが、まったく話しかけてこない。おかしくないか。そう思ってアイリを見てみると彼女はただ静かに微笑んでいた。
「俺ばかりを見て、どうした? 俺の顔になにかついているのか?」
「気にするな。それよりもぬしよ。ずっと気になっておったのじゃが、なぜにぬしは裸なのじゃ?」
おい、おい、俺の問いかけは無視かよ。そしてこちらに質問をするのか。本当に良い性格している。俺は呆れながらも彼女の質問に答える。
「無職で何年も働かずにゴロゴロしていたら姉貴が家を勝手に売り飛ばしやがって俺は衣服すらない! そこに警察が来て追いかけられて逃げているわけだ」
「つまり、ぬしは無職で家族のすねをかじっていたが、とうとう厄介払いをされたと。そして仕舞には衣服もない状態の所を警官に見られて追われている。なるほど、ぬしの状況は本当に同情する余地もないのう」
俺の話を聞いたアイリはこちらを小馬鹿にしたように笑ってやがった。アイリめ、その言葉は俺の心を抉っているぞ。傷ついたわ。
「うるさい! そんなこと今は関係ないだろ!? ひとまず、警察に追われないようにすることはあとで考えるからさ。ちょっと、静かにしてくれないか。俺はすごく疲れているから休憩させてくれ」
「黙らぬ。つまり、ぬしは変質者としてもう追われたくないと言うことじゃな?」
「そうだな」
疲れた。もう、アイリの言葉に返事をするだけで碌に考えたくもない。俺がそう思って、肩を落として座っていると。
「ならば、これならどうじゃ?」
「え? ちょっと、キャー」
急に足下から生えてきた植物が俺の大切な場所にからまってくる。気持ち悪いわ。もぞもぞ、動いている。
「どうじゃ? なかなか、立派な服であろう?」
立派な服だって? 何のことだと思いながら視線を下げる。するとそこには原始人がつけているような腰蓑があった。
「下腹部が見えるから警察に追われたのであろう?」
「アイリ様、あなたは精霊などではありませんね。女神様だったんですね?」
「え、そんな、反応がくるなんて予想外じゃった…」
アイリに感謝だ。ありがとう。これで警官から追われなくなるかも知れない。嬉しいぜ。しかし、果たして、腰蓑を着ていても本当に警官に追われないのだろうか。
だって、上半身は裸のままだし。どう見ても腰蓑をつけている不審者だ。これは調査をする必要があるな。
「よし、早速、これで警察に捕まらないか調べる為に警官を探してくるわ」
「ぬしよ。待つのじゃ! わっちが作ったそれは永続的じゃないぞ? …あやつ、わっちの話を聞いておらん。もう、わっちは知らぬ」
アイリが何か話しかけてきたな。なんだろうか。きっと、彼女なりのエールを俺に送っているに違いない。俺はそう思い、駆け出す。
どこに警官がいるのだろうか。そう考えていたが、これは以外に簡単に見つけることができた。なぜならば、交番の前に行けば確実に出会うことができるからだ。
セントポーリアの2丁目6番地の交差点前にルーセント通り前交番がある。俺は交番につくやいなや警官に見つかる様に腰を振って歩き出す。腰蓑を履いているから恥ずかしくないよね。
「警部、あそこに腰蓑をつけた変人がいます。しかも、踊ってます!!」
「暖かい、季節になったから、そんな奴もいるだろ。全裸で猥褻物を露出するくらいクレイジーな奴でもないと逮捕できないぞ?」
腰蓑だと捕まらないんだ。こんなダンスをして挑発しても捕まらない。そうなると俺もこれで天道様のもとを堂々と歩けるんだ。そんなことを感慨深げにしていると。急に下半身が肌寒くなってきた。なぜだろうか。
「警部、警部。見てください」
「何だ?」
「すっぽん、すっぽんぽんになりましたよ。あの腰蓑野郎が!」
警官が俺を指を差して叫びだす。どうしてだ。ふと俺は警官が見ている視線の先を追う。ない。ないぞ!! そこにはあるべきものがなった。そう腰蓑がなかったのだ。
「…仕事が増えたか。捕まえてこい。新人」
「わかりました。そこの裸男! 公然わいせつ罪で御用だ」
警官が交番から駆けてくるのが見える。このままでは逮捕されてしまう。ここで逮捕されると先程の踊りと相まって『春の怪異 腰蓑では抑えれなかった衝動を全裸で体現する男の腰フリダンス(無職)』と新聞のトップニュースになってしまう。逃げなくては…
「ぬしよ。また、警官に追われておるのか?」
突如としてあらわれたアイリが俺にそう話しかけてきた。
「腰蓑が消えたぞ!? アイリ、どうなってるんだ?」
「ぬしよ。わっちの話を最後まできちんと聞くのじゃ。あの腰蓑に使っている植物は精霊界から召還しているのじゃ」
「え? 植物の成長を加速させて動かしてるんじゃなかったの? それは置いておくとして、召還しててもなくならないだろ?」
「落ち着け、ぬしよ。わっちはぬしに伝えたかったことは時間がたてばなくなるといくとだ」
なんてことだ。もっと早くそれを言ってくれと叫びたい衝動にかられたが、俺が彼女の話を聞かないで駆け出したのがそもそもの原因なのでアイリを罵倒などできない。
「なにを全裸で美少女に話しかけているんだ! 羨ましい。もとい、けしからん。公然わいせつ罪で逮捕だ!」
「今、羨ましいっていったよな!? お前は本当に警官か!!」
「き、気のせいだ。俺も、裸になって煩わしい社会のしがらみから開放されたいなんて思ってないわ!」
「口に出していってる! こいつは絶対にそう思ってるよ」
本当にこいつは警官なのだろうか。この警官の方が俺よりも危険だ。こんな変態が警官とは世も末だ。そとて全裸になりたいだと頭がイカレてるにもほどがあるわ。こんなやつに捕まってられるか。そう思って俺は駆け出す。
「外で全裸になりたいなんて思っているやつは頭がイカレてるぜ!」
「ぬしよ。認めたくないかもしれんが。ぬしはその体現者じゃぞ?」
アイリの視線が哀れみに満ちているのは気のせいだろう。俺はそう思うことで自らの心を奮い起こすことにした。うん、捕まって堪るか。
「そこの全裸の男! 逃げるな。刑務所で露出も良いものだぞ?」
「刑務所であいつは露出してるのか! とんだ変態だ。ちくしょう。俺はあんな変態とは違うぞ」
「同じじゃよ」
俺に並走しながらそんなことを言わないでくれ。俺の弱った心が折れてしまう。
「そんな瞳で見ないで! 違うんだ。俺は絶対に違う。信じてくれ。…ちくしょう。絶対に捕まるもんか!!」
セントポーリアの街道を駆け抜けながら俺は叫ぶ。その声は夕暮れの街中にやけに虚しく響き渡り、哀愁に満ちていた。そして、今日は夕日が眩しくて泣ける一日であった。俺が働ける様になる道のりはまだまだ長いようだった。