You so kind
彼とはパチンコ屋で出会った。
いつまでたっても玉を吐き出さない台に業を煮やして立ち上がったわたしは彼とぶつかりそうになって、正確には彼の臙脂色のマフラーに鼻をこすって、ふわりとよく陽にあてた藁草のような、暖かくて柔らかいにおいが鼻腔をくすぐった。煙草くさくないその空気をもう一度吸い込んで顔をあげると、彼は不思議そうにこちらを見下ろしていて、でもわたしはそんな彼の表情に気がまわらないほど完成された彼の顔に見とれてしまって、もう二回彼のにおいを吸い込んでから、やっと「ごめんなさい」と呟き声のような謝罪をした。それは喧騒にまぎれて自分の耳にさえほとんど届かなかったのだけど、彼はにこりと笑って「だいじょうぶ?」といって、電子音に汚染されたわたしの耳がその一言で浄化され脳みそがくちゃりと溶かされて、恍惚としているあいだに彼はもうすでにわたしの横をすり抜けて通路の奥に消えていった。クラクラとして、手近な台の前に座り込む。喧騒とは違う耳鳴りがした。
結局その日わたしはまったく勝てなかったのだけれど、交換所で缶コーヒーをもらっていると、彼が特殊景品を手にしているのが見えて、「あ」と思わず声がもれて、相変わらず消え入りそうなわたしの声を彼は優しく拾い上げてくれて、それだけでわたしの思考回路は焼き付いてしまってすっかりなにもかもが消えてしまったかのような浮遊感に包まれた。夢で勝手に自分が動いているような高揚のまま、「さっきはごめんなさい」と手にしたコーヒーを彼の手に押し付けた。「そんな、いいよ」という彼に「ブラック飲めないんです。煙草とかも吸えないし、お菓子は太っちゃうし……」と言い訳のようなマシンガントークが勝手に口からこぼれだして、はっと顔をあげると彼は微笑んでいて、「じゃあ、もらおうかな。ありがとう」と缶コーヒーを握ってくれた。白くて細長い指が蔦のようにステンレスの容器に絡みついて、わたしの背中はまるでその指が這ったように疼いた。
会話を終わらせたくないけれど、しつこく自分を売り込むような話もしたくない。彼のズボンからはみ出たYシャツの皺を眺めながらそんなことをおもっていたわたしに、彼は怪訝そうに問いかけた。「もしかして、学生?」当時わたしは、制服の上にオーバーダウンを着てパチンコに通っていた。ダウンの裾からは一目でそれとわかるスカートが覗いていて、彼に軽蔑されたくないという恐怖と、彼には絶対に嘘をつけないという強迫観念のような義務感が同時にわたしの頭を覆いつくして、砂漠の地平線を覗き込んだような一秒の後、ようやく「あの……はい」とわたしは答えた。「そうなんだ、いくつ?」「えっと……」会話が、続いてる。不安は燻っていたけれど、その事実は妙にわたしを冷静にさせて、ちらりと目線だけで交換所の店員に目を向けると、「ああ、そだね」と彼は悪戯っ子のように無垢に笑ってスタスタと歩いていった。
人工的な温もりから放り出されて、鼻や頬が冷たい空気に赤く染まるのがわかった。「16です」店の前に設置されたベンチに座り、コーヒーのプルタブを持ち上げた彼にいうと、「若いなあ。じゃあ高校生か……」と少し大仰に驚いて見せた。まだ明白にではないけれど彼との年齢差を示された気がしたわたしに、彼はすぐに「でも、大人っぽく見えるね」と言い足した。一瞬呼吸が止まって、そして爆発しそうなほどわたしの血液は全身を激しくのた打ち回り、喜びが見えない手で喉を締め付けた。「ありがとうございます。……おいくつなんですか?」「俺?」ちびりとコーヒーに口をつけて答えをじらす彼に、おまえ以外にだれがいるのだ。と心の中で突っ込んで、返答を待った。「21だよ」「じゃあ、五歳も上なのかあ」すぐに口に出してしまった自分を呪う。しかし心の底には、ヘドロの中に砂金を探すような期待がほんの僅かに居座っていた。「まあ、そう考えるとけっこう離れてるね」また彼はコーヒーを傾けた。わたしは嚥下のたびに上下する彼の喉仏に目を奪われていた。
「じゃ、俺はこれで。ごちそうさま」逆さにした缶から最後の一口を啜って、彼は背を向けた。わたしはというと「あ、はい、いえ」だの言語中枢が壊れたのかと錯覚するほど思考もままならなくて、ただ彼にまだ見つめているということを悟られたくなくてとりあえず反対の方向に歩き出す。曲がり角で振り返ってみると彼はもういなくて、うなじに目があれば彼の姿が見れたのに。と気持ち悪い想像をした。
■
彼はあの後どうしたのだろう。教室でそんなことを考える。そも彼は普段なにをしているのだろう。わたしは彼に学生という身分を明らかにしたのに彼はわたしに何も情報をくれていない。しっているのは年齢だけでしかもその年齢もわたしが聞いたから教えてくれただけで彼から自発的に口にしたわけではない。
もしかしたら彼はわたしのことを煩わしく思ったかもしれない。だから必要以上のことを語らなかった。十分に考えられる。不安の種が脳髄に根を伸ばしてそれはあっという間に芽吹き始めた。鮮烈に焼きついた彼が頭の中でフラッシュバックしその動作の一つ一つが刻銘にまぶたに蘇る。もしかしたら彼は普段から笑顔を浮かべている聖人君子のような人間で、彼の周りの女の子はわたしと同じように彼に貢いでいるのかもしれない。もしかしたらわたしは彼に、彼の周りに群がる男を消費するような類の女だ思われたかもしれない。もしかしたら彼は店にでてすぐにわたしが家に向かって帰ることを期待していたかもしれない。もしかしたら彼は、たとえそれが年齢という些細なことでも、人に自分のことを話すを嫌う人種なのかもしれない。ああどうしようこのままだと急速に生長する不安が頭部から出てくるかもしれない。バカか。そんなことはありえない。
いや、しかし。「まあ、そう考えるとけっこう離れてるね」妄想の彼がコーヒーを仰いだ。「まあ、そう考えるとけっこう」彼の姿がまき戻されて再び声を紡ぎだす。「まあ、そう考える」どう考えると。だろう。「そう」つまり、具体的な年齢差というものを考えると、けっこう離れている。いやしかし。「でも、大人っぽく見えるね」彼が微笑む。不覚にも足先から脳天まで稲妻が駆けて頭蓋骨の中で乱反射した。うるさい音楽よりも静かに深く、雷はわたしの脳内を犯し不安草は焼き尽くされた。そうだ。彼はわたしに大人っぽく見えるといった。ということはやはり年齢差は彼にとって些細なことでわたしは彼にとって十分許容範囲だったのだ。
頬が緩む。口角に力を入れると、流行のアヒル口完成。でもわたしはそんなの嫌い。
「莉子ちゃんなんかいいことあったの?」
「いや、ちょっと思い出し笑いしただけだよ」
わたしは常時アヒル口で男の子に媚ってるあなたとは違うの気安く話しかけないで河野さん。
「真由こそなんかうれしそうだね」「あ、わかるー? こないだ……」わかるのはあなたが自分の話を聞いてほしいためだけにわたしに話しかけたってことだけだよ。あと周りの男の子に聞かせたいからって喚きたてるような大声で話すのはやめてほしいな。
「……で、その曲すごい歌いたくなっちゃって、カラオケ行きたい気分なのー」
「あーいいね、わたしも行きたーい」行きたくなーい。もしかしたらもしかしたら彼と会えるかもしれないパチンコにいって、でも毎日入り浸ってるって思われるのはいやだから店の前でちょっと通りかかった振りをしよう。「あ、やあ」「あ、こんにちは」「今日いまから?」「いや、通りかかっただけなんです」「そうなんだ、こないだはコーヒーありがとね」ああ会いたい。すごい会いたい。だから河野さんあなたは黙ってくれないかな。意味深に男の子のほうに目配せして、カラオケ誘ってほしいんだよねでもわたしは絶対そんなことに時間を浪費したくないのやめてもらえない。
「おーおれもカラオケ行きたかったんだよね!」あーあ。「お? おお?」「行きますか!」「行きませう!」「おれもいくー」「いいねー」わらわらと人が集まってきた。みんな暇なの。だれかこの話断ってよ。でも輪に入っていないのは下位グループのいわゆる陰キャと呼ばれる人ばかりだ。
はあ。とため息をついたわたしの背を、不意に誰かが叩いた。
「木戸くん」「なんか元気なくない?」「そうかな。元気なつもりだけど」「ならよかった」
短髪がよく似合う、学年でも人気の男の子。彼の魅力は男女の垣根を無視する無邪気なあざとさと、長い髪で誤魔化さなくても十分通用する精悍な顔立ちだとおもう。河野さんあなたの恋路を邪魔したのは悪いと思うけど話しかけられたんだからわたしをそんな目で見るのは間違えなんじゃないかな。
「木戸くんは? 元気?」「ばっちり元気ー」「見たらわかるー」
木戸くんが笑う。わたしも笑う。河野さんみたいなたいしてかわいくもなくて自分に自信がもてず自分から積極的に話しかけることができないからってあの手この手で男の子に誘われないかとこしゃくな策を弄するタイプの女子はきらいだから、わたしは彼としゃべるのをやめないよざまあみろ。でも、彼は顔で話しかける女子を選んだりしない。
「というか、どこ行くの?」「いやいや、カラオケでしょ?」「まあそうだけどさ」他愛無い話。でも木戸くんと話してて得られるのは優越感とか、そういったドロドロとした類のものだけで、もちろんそれは楽しくないわけではないけど、それでもどうしても男の子と話していると彼の声が顔が姿がちらついた。ごめんね木戸くんわたしのこと好きなんだよね実は田中くんから聞いてたんだ。でも木戸くんのこともすきだよ。愛してないだけで。
結局カラオケはすごく盛り上がって、途中で抜けることなどできなかった。なんたる意志薄弱わたしの彼への想いはその程度だったというのか。いいやそんなはずはないしかし事実としてわたしは彼よりもクラスメートとのくだらないカラオケに付き合うことを優先したのだ。これでは河野さんのようなクズ女と同レベルではないか。自己嫌悪。ケータイがバイブレートした。ベッドの中で寝返りをうって画面を確認する。木戸くんだった。メールを開く。今日は楽しかったね以下略。どうして木戸くんはわたしのことを好きなんだろうか。彼がほめてくれた見た目だろうか。それとも、それともなんだろう。考え出そうとしてやめた。自分の魅力をあらためて考えるなど野暮だ。わたしは彼さえいればいいのだ。木戸くんがわたしのことを好きだろうと知っちゃこっちゃない。いやしかし、木戸くんに迫られていることは十分役に立つことではないだろうか。頭の中に河野さんの男子にはばれない薄化粧で誤魔化した醜い顔が浮かぶ。そうだ、きっと役に立つ。
■
カレンダーの数字は赤、日曜日、新台入替。朝八時半。もし彼がくるなら、そして開店前に並ぶのなら、これほど都合のいいことはない。制服の上にコートを羽織る。期待に胸が膨らむ。破裂してしまいそうなほど。まだ八時三十八分。しかし早すぎるということはない。お気に入りのスニーカーをはく。玄関を出てパチンコに行くまでの道のりが遠くて、しかし近づくほどに足は重くなる。足そのもの、というよりは脳の機能に障害がおきて、結果足を動かすに支障がでているような。角を曲がれば、パチンコが見えるというところで、痺れは全身に広がって、ついにわたしは足をとめた。意識して息を吸って、ふっと吐く。まぶたの裏に彼の姿を思い浮かべた。会いたい。しっかりとイメージすれば、それは現実になる。これは祈りなどではない。目を開いて、石のようなからだを無理やり動かす。きしむからだ。油を差したい。
いない。彼の姿は、瞳に映らない。浮かびだしそうなほどに膨れ上がっていた高揚感が、ぐしゃりと叩き潰された。ぐしゃり。はちきれそうだったそれは、簡単に弾けとんだ。彼はいない。一歩踏み出してパチンコの扉の前で列を作る人たちの顔が鮮明になる。いない。ざまあない。いないのだ。自嘲して、アスファルトの欠片を蹴りつけた。ころころと転がった石ころが植え込みにぶつかる。いや、でも。まだ。四散した高揚感をあさましくかき寄せる。まだ、彼がこないって決まったわけではない。時計を確認すると、九時十一分。まだ、彼はくるかもしれない。けど待つのはきらい。大きらいといってもいいかもしれない。でも待てないで彼と会えないのはもっといやだから、きっと待てる。ケータイを取り出す。サブディスプレイが光っている。河野さんから、メールがきていた。金曜日のカラオケ楽しかったね。また行きたいね以下略。下卑な絵文字が鬱陶しいことこの上ない。同じような内容なメールが昨日も、一昨日もきていた。いい加減にしてほしいな。なんとなく彼女に意地悪したくなる「楽しかったねでも木戸くんと話してばっかりだったからちょっと申し訳なかった以下略」文面を読み直すだけでにやりと笑みがこみ上げる。これを読んだとき、彼女がどんな顔をするか。でも、かわいそうだから、送るのはやめておこうかな。指先で送信ボタンをなぞる。河野さんをいたぶっているような、不思議な征服感があった。
「どうしようかなあ……」
放置された画面が暗転する。一度だけ送信ボタンを押すと、バックライトが再びともった。
「あっ」「えっ……」声に体がばちりと反応してしまって、文章がわたしの手を離れデータになって河野さんのもとへと飛んでいく。「おはよう。はやいね!」「あ、えと、はい! おはようございます」
頭に引っかかった河野さんのメールを、彼の声が強引に引き剥がした。
「並ぶの?」「はい、並びます」オウム返し。彼がわたしの隣を歩いている。歩いている。糸が絡んでしまった操り人形みたいにわたしも歩く。彼とわたしは同じ動作をしているはずなのに、それはまったく違って見えた。歩いている。彼が。彼は靴の踵をすり減らすような歩き方をしている。彼の左手を欲して、右手が痙攣した。
「いつも新台の日は並ぶの?」「普段は並んだりしないんですけど、今日はちょっと早く目が覚めたので」「そうなんだーすごい偶然だねー」「うれしいです」「ん? そだねー」
ああしまった。自然じゃない。けど不自然でもない。言葉が、勝手にでてくる。きっと彼が悪いんだ。
「九時二十分か。まだけっこう待たないとだね」「そうですね」列の最後尾に立って、彼は時計を見た。またもやうれしいですといいそうになって、あわてて言葉を飲み込む。つまり、残り半時間強彼を独占できる。背があわ立つ。指先が震える。
「どこ通ってるの?」「西南です」「そうなんだーじゃあ頭いいんじゃん」「そんなことないですよ、ついていくの必死です」「またまたー」「ほんとですってば!」
彼と話をしている。普通に。何気ない。当たり前の。なんでもないようなことが幸せなんて馬鹿なことがあるかと思っていたけれど、わたしはいまたしかに信じられないくらい満たされている。
「名前、なんていうの?」心臓大爆発。「や、山下です」開いた口から飛び出してきそう。
「下の名前は?」「莉子……です」
彼の顔を見れない。真っ赤になっていることがばれてしまうから。寒いから。だからわたしは赤くなっているんです。と、もしそのことに触れられたら答えよう。
「あ、ごめん。迷惑だった?」「ち、違うんです! そうじゃないです!」
ごめんなさいわたしが恋愛なんてろくにしたことのない、せっかくすきになってきてくれた木戸くんも利用しちゃうようなゲスな女だからあなたの何気ないことば一つ一つに心がかき乱されてるだけなんですですからどうかわたしに気なんて使わないでください。
「なんて、いうんですか?」「ん?」「お名前……」「ああ」
ああ。って。わたしがどれだけ勇気をだしたと思っているのだ。口を開くと心音が漏れ出しそうで怖いんだぞ。
「相田雄也。っていいます」
彼はいたずらっぽく笑った。笑ったというよりは目を細めたといったほうがいいかもしれない。
「莉子ちゃん?」「えっ、いやっ、はいっ」
殺す気か。いや、きっと死んだのだ。なんという異世界。なんという桃源郷。
「あ、山下さんって呼んだほうがいい?」「いや、いいです。下の名前で。呼んでください」「莉子ちゃん面白いね」「それって褒めてます?」「ほめてるよ」「うそだー」「ホントだよー」火照った顔に風が気持ちいい。わたし、恋愛してるんだな。気持ち悪いせりふ。けれども、ふっと。磨き上げ、尖らせた悪意がいつか、近づいてきた彼を貫くのではないかと、不安の虫が寄生する。
「雄也……さん」「はい」
彼に殺されたい。ことばだけでなく。物理的に。殺意。の逆。
「莉子ちゃん?」
謎の声。否、河野さん。あ、メール。わたしを浮世に甦らせる。
「河野さん?」真由、とは呼ばない。余所行きの服をきていた。おしゃれだね。あんまり似合ってないけど。「彼氏? かっこいいね」ちげーよ。死ね。「友だち?」「学校の、クラスメートです」「そうなんだ、河野さんか」
やめて河野さんなんかに笑いかけないでこんなミーハーで低俗な女なんて呼べない雌に。
「というか莉子ちゃん彼氏いないの?」生きろ河野さん。よくやった。「いないです」「好きな人とかも?」「うーん……年上の人とか、好きです」「そうなんだー」河野さん悪いけど放置させてね。ごめんね。我ながらあざとい返事。「あ、あたしもしかして邪魔だったかな?」
うるせえな。
「あ、俺のことは別に気にしないでいいから」よくないです。やめて冗談でも。河野さんを追い払うのが、先決だ。「真由これからどこ行くの?」「木戸くんが、ちょっといいかなって」よくぞ聞いてくれました。といった体で、河野さんは答える。「そうなんだ」じゃあ、わたしのメールのことも許してくれるかな。
「山下?」「……木戸くん」
ドッキリでも仕掛けられたのだろうか。都合の良すぎる彼の登場にわたしはそんな疑念を抱く。木戸くんは肩で息をしていた。深い緑色の、ファーつきのオーバーコートがとてもよく似合っている。
「どうしたの?」「いや、河野さんと待ち合わせしてて……」「パチンコの前で?」「うん」「変わってるね」
狙ってるね。といいたかったけど、やめておいた。これは、チャンスだ。
「えっと、どうする? 木戸くん」河野さんが木戸くんのコートの袖をつまんだ。それ、嫌われるよ河野さん。「うん、じゃあ行こうか」後ろ髪を引かれる。とはこのことだろうな。「じゃあね」「うん、また」かわいそうな河野さん。それからかわいそうな木戸くん。木戸くんは最後までわたしのほうを見ていて、それからちらちらと雄也さんのほうを見ていた。
「なんか、嵐みたいなクラスメートだね」「え、あ。ごめんなさい」「いや、面白かったよ。莉子ちゃんの面白さの源泉をみたね」「ちょっと、違いますよ!」彼はクスクスと笑った。「にしてもイケメンだったね」きた。「河野さん、彼のことが好きなんです」「へー。よかったじゃん。これからデートなんでしょ?」「そうなんですけど」「けど?」彼の顔を覗き込む。マフラーが暖かそうだ。「実は、さっきの、木戸くんっていうんですけど、わたしのこと好きみたいで……」「えー! じゃあ三角関係じゃん!」「そうなんですよー」実際、困ってなんかいないのだけど。実際、うれしくて仕方がないのだけど。「河野さんに申し訳なくて……」「あーなるほどー」「彼氏とか、いないんだもんね」「そうなんです」そうですわたし彼氏いないんですそれで困ってるんです彼氏募集中です。できすぎなくらいの完璧な流れ。沸き立つ血液。
「うーん。そうだねー……おっ」列の前のほうが動き出した。クソタイミング。「あの」「ん?」彼の興味はもうすでに、店の中の新台だ。悲しい虚しい。こっちみて。「彼氏って、木戸くんにいってもいいですか? 雄也さんのこと」
沈黙は、一瞬だけ。恐怖と期待。
「いいよー」終わり。それだけですか。どうして。ホントに。彼の顔を見上げても、彼は店の中を一心に見つめているだけで、わたしに興味なんて欠片もないようだった。ああもうだめ泣きそう。
「じゃあ、お互い勝てるといいね」
そういって、彼は店内に消えた。
■
店の前のベンチでいくら泣いても、彼はいっこうに現れない。あーそうですかわたしみたいな子どもに興味はないですか。そもそもわたしは彼のなにが好きだったの。それはもちろん、なんだろう。顔もすき。髪型もすき。服装もすき。体型もすき。声もすき。言動もすき。なにもかもすき。
「はい」泣いて泣いてなきつかれてぼんやりとしていると、誰かがわたしに声をかけた。一瞬、彼かとゲロ甘な期待をしてしまう。でもそこにいたのは木戸くんだった。「ありがと」差し出されたコーヒーを受け取る。温かかった。「どうしたの? 河野さんは?」涙を拭く。落ち着いてみると、木戸くんはまたもや肩で息をしていた。「いや、なんだか気になって戻ってきた。したら、山下泣いてたから……」「ああ、うん。まあいろいろあって」「隣いい?」「いいよ」河野さんも、泣いてるのかな。そう思うと、ちょっとだけ彼女のことがかわいそうだとおもった。いつものかわいそうではなく、心から、申し訳ないとおもう。「木戸くん、わたしのこと好きなんでしょ?」そういうと、木戸くんはちょっとだけ驚いたような表情をして、それから「うん」といった。「河野さんが木戸くんのこと好きだってこと、知ってた?」「ああ、薄々」「そう……」返事をしなければいけないのだろうけど、なぜか考えがまとまらない。木戸くんもなにも言わない。でも少し、沈黙が心地よい。
「わたし」「うん」なにを言いたいのだろう。むしろなにをいってもいいのだろう。「河野さん、泣いてなかった?」「あーどうだろう。たぶん、泣いてるかも」木戸くんは頭をかいた。あのアヒル口がゆがんだのか。「木戸くんは、河野さんに興味ないの?」「うん、ないね」自分で自分にダメージ。こんなふうに、雄也さんもわたしに興味ない。「もうちょっと、待ってもらっていいかな」「うん」これは、迷う時間ではない。割り切って、あきらめて、忘れて、前を向く。そのための時間。
「ねえ」「うん?」「なんか、わたしに話してよ」「わかった」木戸くんは従順で、楽だった。
木戸くんは、どうして自分がわたしのことを好きなのかを、語った。それはとてもわたしが雄也さんのことを好きな理由と似ていてくだらないものだったけど、それでもわたしは木戸くんの話に自分が楽になっていくのを自覚した。くだらない。くだならくて、心地よい。少しだけ、ほんの少しだけだけど、くだらない河野さんやくだらない木戸くんとも真面目に真剣に、付き合ってみようかな。そうおもった。
それなのに。
「莉子ちゃん」「雄也さん……」でも。やっぱり。彼がパチンコ屋から出てきて、わたしとわたしの隣に座る木戸くんを見て、そしてそれまでにない真剣な声色でいった。「俺の彼女に、なんか用?」傲慢に、雄也さんは、わたしの手から缶コーヒーを奪い去る。手からぬくもりが消えて、その瞬間またなにもかもがくだらなくて無為なものにおもえる。「えっ……いや」「じゃあ、あんまり、莉子に近づかないでくれるかな?」「いや、その……」コーヒーを仰いで、一気に飲み干して、そして色っぽく息を吐いた。わたしは、彼の姿に見とれている。木戸くんのことなんて、思考の外に追いやられる寸前だ。不毛だ。ここで引き返したほうがいい。頭の中で、声がした。わたしの思考なのに、木戸くんの声だ。けど。
立ち上がると、彼がわたしの肩を抱いた。「行こうぜ」並んで歩き出す。夢のようなシチュエーション。木戸くんは、泣いているかもしれない。でも。それでもわたしは。「木戸くん、ごめんね」さよなら。ありがとう。
しばらく歩いて、河野さんとすれ違った。わたしと彼を見た河野さんは、それまで以上に必死で走っていった。
それをみてわたしは、やっぱり、くだらないと思った。