エピローグ
バジティス村の中心地から少し離れた小高い丘に、故人の眠る墓石が何十基と立ち並んでいた。丘を埋め尽くす墓石に朝日があたって、神々しく光を反射させていた。
シリウスは一つの墓石の前に案内された。
「僕たちの爺さんは召喚士だ。ヴレイが放った『妖源力』が入り口となり、祭壇に出口を作った。僕が『那托』の魂を異界へ送った後、爺さんがザイドの身体を村に召喚したんだ」
ポケットから煙草を取り出したリウドは、火を点けて、ゆっくり煙を吐いた。
「素晴らしいコンビネーションですね。にしても寿命半分と、身体の老いが代償とは。覚悟がなくてはできません」
ローブが靡いて、リウドの骨ばった肩の形を浮き上がらせた。
「老いはそのうち戻る、関節があちこち痛くて敵わない」
「それはそれは」と憮然と苦笑いを返した。
墓石の前で膝を折ったシリウスは手を合わせて黙祷した。
二人の髪を撫でるように清涼な風が吹き抜けた。なだらかな勾配を作る丘に風が駆け下り、丈の短い草花が波紋の様に揺れる。
「爺さんは召喚で力を使い果たしたが、満足そうだった。やっとくたばってくれたぜ」
大きな雲の塊が頭上の直ぐ近くで流れていく。草花も雲と同じ方向に吹かれている。丘で眠る死者達への弔いのように東向きの風は吹き続けた。
太陽が雲間から顔を出すとジリジリとした日差しが地を照らした。
「ところで、ザイドはいつ目を覚ますのでしょうか?」
「いつ目覚めるかは分からねえ、明日かもしれないし、とんでもなく先かもしれねえ」
細身の体を揺らしながらリウドはゆっくり丘を降りていく。
風に押されてリウドの細い腰が折れてしまわないか、心配になるぐらいだ。
「ヴレイにはザイドの様態を教えなくていいんですか」
坂の途中で歩みを止めたリウドは軽く顔を横に向けた。
「お前が伝えに行けよ、同じ組織の人間だろ」
鼻で笑ったリウドは再び坂を下った。
「それもそうですね」
寒さが深まるにるれて、薄紅色の花を咲さす樹木がある。
インジョリック全域に生息し、並木道や公園によく植えられている。満開の時期になれば薄紅色の雪が吹雪いているかのような光景が見られる。すでに開花した蕾もあり、セイヴァの敷地内に点在する公園の木々もすっかり薄紅色に色付いていた。
講義室からケージに向かう途中にある廊下は、南側が全面ガラス張りになっている。直射日光が射しても、熱や紫外線は遮断されるようにコーティングされている。
その廊下から、ノアが「もうすぐ満開だね」と嬉しそうにしていたのを思い出した。
そんな記憶を思い出して辛くなることは、もうない。
ノアが命を落とした惨事から、二年が過ぎた。
「記録更新だな、乱流の発生率を三割下げるだけでも苦労していたってのに、半減させやがった」
電光板でデータを見ていたイーグルは興奮のあまり、バシバシとヴレイの肩を叩きまくった。
「いてーだろ、ったく落ち着けよ」
「そうだった、お前の訓練中に総司令からお呼びがかかった。検討していた、あれ(・・)か?」
何かを察したらしく、イーグルは残念そうに目線を落とした。
まさかイーグルにそんな顔をされるとは思ってもいなかったので、ヴレイはなんだか恥ずかしくなっ。
「まぁな、ディウアースはもうない、となれば俺はセイヴァじゃあ必要ない人間だ」
立ち止まったイーグルの横を通り過ぎて、ヴレイも足を止めた。
「お前ならスピリッチャーだって乗れるだろ、やっぱり、ノアのこと引きずってんのか」
一瞬だけ、ノアの赤銅色の髪が脳裏にちらついた。
「違うよ、ノアのことはもう平気だ。そうじゃなくて、セイヴァ以外の場所で生きてみたくなった。俺のデータがあれば、第二世代のディウアースに役立つだろ」
もうすぐ満開だ。
新しい季節を祝福するかのように、薄紅色の花弁が咲き誇る。
一緒に見たかったけど、君は空から見ていてくれ。
「そうだけど、まぁ、無理に止めたくはねーしな。先ずは、親父さんのところに行ってこい」
「ああ、行ってくるよ」
軽く手を振って、ヴレイはラクルナ総司令の待つ、執務室へと向かった。
セイヴァを出たらどこに行こう、そうだな、ヴァジティス村にでも行くか。
一歩一歩踏みしめるように、歩いて行く。
何か考えながら歩くと、いつもは遠く感じる執務室も、今日は早く感じた。まあ、滅多に来ることはなかった場所ではあったが。
執務室のドアの前に立って、ノックした。
「入れ」と低い声が返ってきて、ヴレイはドアを開けて、中に入った。
広い執務室の中央まで進んで止まった。
デスクにはラクルナ総司令が肘を突いて、待っていた。横に佇んでいるのはイーグルの父親、スカイ副司令だ。
「呼んだのは、お前が以前、申請していた、退役の件だ。フレイヤ国のジェムナス支部を知っているだろ、そこで、お前の籍をジェムナス支部へ移し、フレイヤ国王女の専属護衛に就かせる。もちろん本人が了承すればだ」
「ん?」何の話だ、とヴレイは暫く頭の中で整理した。
「フレイヤ王女って、ル、ルピナという女性ですよね」
「ああ。その王女が祖国に戻った以降、護衛兵が決まらずにいた。まぁ、王女は剣の腕が立つ、選ばれた護衛兵全て、刃が立たなかったそうだ。そこでフレイヤ王がお前の名前を出した」
何してんだよルピナの奴、それで俺がルピナの剣を受けろと。
胸の奥から、脱力にも似た息が吐き出るところだった。
「私はそれで問題ないと思っている、どうだ、引き受ける気はあるか」
父親の言動が随分丸くなったような気がする。
セイヴァに入隊しろと言われた時は、声に血が通ってなかった。しかもほぼ強制だった。
まぁ、もうそんなことはどうでもいい、それより、またルピナに会える。
再会できる嬉しさで胸の奥が熱くなってくる。
いいんだろうか、素直に返事をしても。ルピナにはガディルがいるのに、傍にいても辛くなるだけなのに。後悔しないだろうか。
「どうだ」
今度は少し強く訊かれて、ヴレイはビクッと肩を揺らす。
「い、行きます。フレイヤへ」
勢いに圧されて、言ってしまった。強制ではないのに、結局、素直に返事をした。
ガクリと床に膝を突きたい気分だった。
ひと通りの説明を聞いて、ヴレイは「失礼します」と踵を返した。
ドアの前で立ち止まると、「ヴレイ」とスカイ副司令に呼び止められた。
近くまで歩み寄って来て、すでに距離が開いたラクルナ総司令には背を向けた。
「まさか、こなるとは私も予想外だよ、しっかりやれよ」
「あ、はい、頑張ります」
苦笑いしそうになった。
「そもそも、ラクルナは君をセイヴァに戻す気はなかった。逃がすつもりでグローリアスに送り込んだ」
「なっ」と声を上げると、スカイ副司令はシ―と指を立てた。
「時効は過ぎているから話すが、「アゲハ」に君を預けたのはラクルナだ。昔からラクルナは「アゲハ」と繋がりがあった、君に『妖源力』の使い方を手ほどきするよう、「アゲハ」に頼んだ。頃合いを見て、君を呼び戻した。それでも君をセイヴァに居続けさせることに、難儀していたよ」
「親父が、本当に……」
窓の外を眺めている父親の後姿をちらりと盗み見る。
「やはり『妖源力』を使わせるのが、嫌だったんだろう。母親が君のために作ったディウアースだ、ラクルナも協力していたが、やはり君の特異体質と乱流は最後まで、あいつを苦しめた」
急に罪悪感を覚えた。
この特異体質のせいで、母親を死に至らしめた過去を、父親も知っているのかと思うと。
それなのに、ずっと守ろうとしてくれていた。
嬉しいやら恥ずかしいやら、情けないやらでヴレイの目尻にジワッと涙が浮いた。
「だから本当は、こうなった結果に一番安堵しているのは、ラクルナだよ」
「分かりにくいんだよ、クソ親父ッ」
溢れそうになって、ヴレイは急いで袖で拭った。
「ハハッ、これじゃあまるで、婿を送り出すみたいだな」
法令線をグイッと吊り上げて笑ったスカイ副司令は、ハハハハーと豪快に笑った。
「いや、そんなことはな――」
「おい、どうした、何をそんな所で密談している」
後方からちょっと不機嫌そうな、ラクルナ総司令の声が飛んできた。
「それが、まるで婿を送り――」
「わあああ! ちょっとやめてくださいよ! それじゃあ、お世話になりました!」
大きく頭を下げた。
小っ恥ずかしくなって、頭を上げたと同時にヴレイは執務室から出た。
「―――、よし!」
廊下を大股で歩く足は、いつも以上に軽かった。
目指す先は一つ。
一つ年を取るだけで、王女の生誕パーティーは三日間行われた。
今日は三日目で、主役のルピナは最終イベントのお披露目行進を前に、自室で休んでいた。
支度は終わっていたので、後は声が掛かるのを待つだけだ。
純白のドレスに金の糸で花の模様が刺繍されている。
花嫁じゃないんだから、純白とかやめてほしいのに。
頭に載っているティアラを崩さないため、ベッドに横になる行為は禁止された。
「もう疲れたわ、今夜の晩餐会、欠席していいかしら」
「さすがにそれは王も首を縦には振らないんじゃないんでしょうか」
ルービィはドアの前に佇み、フフンと朗らかに笑った。
「そういえば、専属護衛の件ですが――」
「もういらないわよ専属護衛なんか、ルービィだっているんだし。皆、私より弱いんじゃ意味ないじゃない」
「私一人では何かと心許無いですわ。それに今度の――」
ルービィが何かを言い掛けた時、コンコンとドアがノックされた。
「ルピナ様、正門にいらしてくださいとのことです」
「はいはい、今行きまーす」
ベッドから立ち上がり、ドレスの裾を大きく翻した。
「ドレスが重い、私の体調不良ということで、パレードも中止できないかしら」
「できません。市民の方々が待っておられますよ、それに疲労困憊されたお顔では、せっかくの美しさが台無しですよ」
ドレスの裾を持ち上げたルービィは真顔でそんな言葉を言うので、聞いているこっちが恥ずかしくなる。
「疲れてない顔を見せたいなら、お披露目を一日目にもってくることね」
「それもそうですね」
裾を持ち上げて、正門に向かって歩みを開始した。
ドレスの重量はなかなかのもので、正門に着いた頃には、長い長い裾を持っていた侍女たちが疲れた顔をしていた。
用意された乗り物には、正装のガディルが既に乗っていた。
三日目に来ると言っていたが、まさかお披露目行進の付添人とは思わなかった。
「よっ、ルピナ、久しぶり。こりゃまた、馬子にも衣装だな」
「悪かったわね、似合わなくて」
裾を持ち上げながら、乗り物に乗った。
馬車の上半分を割ったような乗り物の周りには、派手に着飾った騎兵部隊、前列には演奏隊や踊り子が長い列を作っていた。
「そんなこと言ってないだろ、似合いすぎて、そのドレスを引きちぎりたいぐらいだよ」
「ちょっと! 変態、バカ! ヴレイみたいなこと言わないでよ」
「あいつ、そんな変態発言するのか」
ククッとガディルは喉で笑った。
裸を見られただけで、そんな科白を言っていた覚えはなかったけど、つい口が滑った。
久しぶりに会ったガディルが、異様にはじけた感じだったので、ついヴレイを思い出した。
空に光が散って以来、ヴレイからは何の連絡もなかった。
ラッパの合図と共に、お披露目行進は市内に向けて出発した。
派手バデしく城外を抜けると、大通りの両側には旗を持った市民が一斉に歓声を上げた。
歩道は埋め尽くされ、見渡す限りの人の海ができていた。
鳥肌が立ったルピナは一瞬戸惑った手を、上に伸ばし、大きく振った。
忘れかけていた王女の役目を思い出すように、市民に向かって存在を示した。
「フレイヤ王女の人気はすごいな。これからも、国を治める同士、よろしくな。って俺は国を治める立場じゃねえな、そんな大役はご免だ」
「ガディル――」
何か他に言おうとしたが、うまく言葉にならない。
手を差し出してきたので、ルピナは素直にガディルと握手を交わした。
この握手が何を意味しているのか、何となく理解できた。
「ほら、手を振れよ」
突然急かされて、「あ、うん」と手振りを再開した。
両側の人々に目を配りながら手を振っていた時、見覚えのある人物に目を奪われた。
服装が市民と違ったので、見間違えではない。
動体視力にはそれなりの自信もある。
「ヴレイッ!」
馬車の枠を掴んでルピナは身を乗り出した。
「どうして!」
ふと背後のガディルの存在を意識して、姿勢を正した。
こんな大観衆の前で行進を止めるわけにも、ヴレイの元に駆け寄るわけにもいかない。
グッと拳を握りしめて、ルピナは唇を噛みしめた。
「ルピナ」
ガディルにポンと肩を叩かれた。
「行ってこいよ」
「でも」とルピナは振り返る。
「俺はヴレイにルピナを託したんだ、俺はお前たちの味方だぜ、いや、ヴレイの味方だ! だからほら、行けよ」
ガディルの気持ちが痛くぐらい伝わって、目頭が熱くなった。
「よせよ、辛気臭いのはやめようぜ。いつでも俺たちはそうだったろ、これからもそれは変わんねえ」
グッと目頭に力を込めた。
「うん。――ありがとう」
「ほんじゃ、行ってこい!」
ガディルが馬車のドアを開けると、引きずる裾を掴んで、ルピナの脱出を手伝った。
「ルピナ様!」
「ルービィ、いいんだ、行かせてやってくれ」
行く手を阻もうとしたルービィを、ガディルが制した。
周囲の騎兵隊や市民たちがルピナの異常行動に騒然と驚き、自然と花道ができた。
重たいドレスの裾を持ち上げ、後方に行ってしまったヴレイを追い駆ける。
「ヴレイ! ヴレイッ!」
呼び声に気付いた人影が振り向いた。
一瞬驚いたような顔をしたが、状況を把握したのか、ヴレイは腕を広げた。
会いたかった気持ちを込めて、ルピナはヴレイの腕の中に飛び込んだ。
懐かしいヴレイの匂いに包まれる。
暫く抱き合って、お互いの存在を認めた。
「うわっ、すごいドレスだな、頭に付いてるのも、これ本物か?」
苦笑いのヴレイは恐々と、ティアラを凝視している。
「そうよ、重たいんだから。ていうか第一声がどうしてそれなのよ!」
溢れそうな涙を堪えながらルピナはヴレイを見上げた。
「しょうがないだろ、キレイなんだから」
紫紺色の瞳が少しだけ潤んでいるように見えた。
「はぁ! ちょっと、何言ってんのよ! それより、どうしてここにいるのよ、ていうか、ちゃんと助かったのね」
二人の周りには、とんでもない数の人だかりが形成されていた。
恐ろしい状況だと察しつつも、ルピナはもうそんな事実はどうでもよかった。
「ディウアースの――俺が乗ってた機体の名前な、の緊急脱出が作動して、外に放り出されたんだけど。きっとロインの魔獣だよな、助けられたんだ。ロインと、俺の相棒が助けてくれた」
ニッと得意げにヴレイは笑って見せた。
「もうー、バカバカバカ! どんだけ心配したと思ってんのよ!」
拳で何度も何度も、ヴレイの見た目より分厚い胸板を叩いた。
「で、どうしてまたフレイヤにいるのよ、また任務?」
色っぽい上目遣いはできず、ルピナは険しく睨み付けた。
「そんなとこだな、っていうか、知らなかったの? 俺、今日からルピナ王女様の専属護衛官なんだけど」
「え! あんたが! 聞いてないわよ」
「なんでだよ! 聞いとけよ」
「しょうがないでしょ! 聞いてないんだから!」
ろくでもないやりとりをジェムナス市民の前でお披露目してしまった。
「あー、もういい。先ずは、あんたってのはやめろ、ヴレイ護衛官だ」
偉そうに顎を上げたヴレイは、見下しながら威張った。
幼稚で、おまけに頼りさに欠けて、思わずブッと噴き出した。
「全然似合わないわよ。もーしょうがないわね、――ヴレイ護衛官さん」
言ってみてちょっと恥ずかしくなった。
もう一度、ルピナはヴレイの胸に顔を埋めた。
ヴレイの腕が背中に回って、強く抱き寄せられた。
咽返りそうなぐらい駆け足で脈を打つ心臓の音が、ヴレイにまで伝わりそうだった。
「あ、そうだ。シリウスから連絡があった。ザイドはちゃんと生きてる、ヴァジティス村で眠ってるんだとさ」
「そうなの、なら良かった」
これでヴレイが気を落とすこともなくなった。
「ありがとな、ザイドに色々と説教したんだって」
「シリウスのおしゃべいり!」
「今度、ザイドの見舞いに付き合ってくれるか」
「しょうがないわね、行ってあげてもいいけど」
素直に行きたいと言えばいいのに、反抗癖が治らない。
するとどこからともなく拍手が沸き起こった。
最初に拍手をしたのはやはり、馬車から見守ってくれている、一番の親友だ。
五人、十人と、皆々が穏やかな笑みを向けて、拍手を始めた。
割れんばかりの拍手は街中にこだまし、上空まで響き渡っているかのようだった。
世界はちゃんと一つの空で繋がっている。
彼らを繋ぐ世界の空は、今日も晴れ渡っていた。




