7.
スピリッチャーは召喚獣の空爆を試みるが、分厚い装甲にすべての攻撃が弾き飛ばされていた。召喚獣は苦しみもがくように頭を振り回し、長い尾を何度も海面に叩き付けていた。
雄叫びを上げながら、巨体は赤々と燃えながら膨張し続けていた。
ディウアースのコックピットからザイドが見えた時、リウドの話を思い出した。
「那托」を弱らせろと言われても実際、どうすればいいか分からずにいた。
空爆指示が出た直後、ザイドが「世界の空」を呑み込み、召喚獣に取り込まれた。
ヴレイはグリップを握りながら、途方に暮れそうだった。
助けたいのに、「器用に、んなことできるかよ……」
『臨界に達したコアが急速に膨張、「世界の空」と召喚獣の融合で互いに拒絶反応を起こしています、全機帰還してください!』
司令室のクロム一尉から逃げろの命令が出た。
「それじゃあロマノの要塞が危険だ! このまま退却できない!」
要塞にはロインがいるかもしれない、もしルピナがロインに従いてきていたら、と考えると冷や汗が出た。
ノア――、もう、あんな思いはしたくない。
『「世界の空」の質量が上昇している、このままではコアが崩壊するぞ、さっさと退却しろ!』
抵抗すると、アモン艦長の怒鳴り声が返ってきた。
「俺を残して退却しろ! 要塞には俺の、友人がいる、だから戻れない! 召喚獣をどうにかする!」
怒鳴り返したものの、解決策は見いだせずにいた。
焦りばかりが積もる。
さすがにアモン艦長も言い返してこない。
『ヴレイ! 勝算はあるのか、俺だってノアの二の舞はごめんだ、だからお前を失うのもごめんだ! どうする気だ』
入電してきたイーグルの怒鳴り声が耳にキンキン響いた。
「今考えてる、いいから、イーグルは皆を艦へ戻せ!」
即、通信を遮断した。
『羅刹』ならどうするだろうか。
グリップを両手で掴むヴレイは祈るように強く眼を瞑った。
悔しさで目頭の縁を覆っていた涙が、ヴレイの頬をつたって落ちる。
目を開けて、ヴレイは自分の両手を見た。
両手には傷痕がみみず腫れのように浮いていた。
いつもは『妖源力』の流出を抑えるため、手袋で見えない傷痕だ。
「ザイドが俺を止めるために、刺した、傷――、乱流……」
呟いてからヴレイは手元のキーボードを引き出し、考えるより先にキーを叩いた。
以前、イーグルが話してくれた内容を覚えていて良かったと、心から感動した。
ザイドが覚悟したなら、こっちも命を懸けて、覚悟に答えたい。
一方で、ヴレイの作業は司令室でも確認されていた。
モニターを見つめるクロムが、声を震わせながらデータを読み上げた。
「ディウアースの運動機能が再設定されてます。これって、許容量のリミッターが外されました、『妖源力』の吸収速度が見たこともない数字に、出力上昇します!」
「つまり自ら乱流を起こして、ディウを『妖獣』化させちゃうつもりかぁ」
相変わらず気だるそうなシェンナは頭を掻いた。
『こちらイーグル、ヴレイの奴が戻らない! 強制的に戻らせろ!』
「それができないんだなぁ、ディウアースのリミッターが外され、乱流率が上昇し続けてる」
『はぁ! あのバカ!』と舌打ちしたイーグルの声が一瞬入ったが、直ぐに遮られた。
『こちあらヴレイ、乱流はしてるが俺の意識に問題はない。ディウは形状を変化させてる、このまま獣化させて、搭載飛行機が飛んで行ける成層圏まで召喚獣を運ぶ』
皆は一斉に言葉を失ったが。
「ヴレイ」とアモンは一喝するつもりで、声を張った。
「自分が今何をしているのか分かっているのか、『妖獣』化したディウアースに取り込まれれば、お前を救出する術はなくなるんだぞ」
『分かってる。でもこれしか方法がない、運が良ければ、ディウが助けてくれます』
スピーカーを通して、さらにキーを叩く音がコックピットに響いた。
「搭載飛行機のリミッターも外されました。出力、限界まで上昇」
階下のオペレーターが半信半疑に読み上げた。
チッとアモンは小さく舌を鳴らした。
「ディウアースの形状は?」
「変化しています、ヴレイとディウアースの境が、曖昧になりつつあります。艦長、早く止めないと、本当に手遅れになります!」
今にも泣きそうな顔でクロムがデスクから身を乗り出した。
「そうっスよ、これ以上はマズイッスよ! アモン艦長」
何事にものらりくらりのシェンナが珍しく声を張った。
若者の怒鳴り声はキンキン頭に響いてしんどいなと、アモンは眉間に深く皺を刻んだ。
「静かにしないか、あいつは覚悟を決めたんだ、黙って見届けてやれ。クロム、本部のラクルナ総司令に繋げ」
「あ、はい――、繋がりました」
『私だ、事態はおおむねこちらも把握している』
ラクルナ総司令の低い声音がコックピットに響いた。
「そうですか、ならいいです。このまま繋いでおきますか?」
『いや、結構。任務遂行を願っている』
通信は一方的に切れた。
「総司令、ご子息が危険な目に遭っているっていうのに、気にならないんでしょうか」
涙目のクロムが不安そうに呟いた。
クロムの科白を聞いて、フンと思わず鼻で笑った。
「分かりにくいようで、一番分かりやすい奴だ。だから回線を切ったんだ」
「へ?」とクロムは首を傾げるが、シェンナはフフーンとなんとなく察した様子だった。
モニターでは既にディウアースが召喚獣を掴んで、徐々に高度を上げていた。
人型だったディウアースの機体は三倍に巨大化し、まるで人工の筋肉が外側に張り付いたかのように、機体全体が筋張っていた。
「あんな重量を引っ張るなんて、どんだけの『妖源力』を放出し続けてるんだ、あいつ」
「それに成層圏に入ったら、搭載機のエンジンは停止してしまいます、落ちたらさすがのディウアースだって、無事じゃすまないですよ!」
「すべて、あいつだって分かってることだ」
それ以上何も言えなくなったシェンナとクロムは、モニターに映された光景を黙って見守るしかなくなった。
リウドは祭壇の前で目を瞑っていた。
足元にはチョークで描いた、陣。
露わにした上半身には、墨で模様が描かれている。九年間、考えつくして導き出した術の陣だ。
レイラと爺さんが後方で見守っていた。
二人の視線を背中で受けながら、リウドは深淵に潜るかのように大きく息を吸った。
床に立っている感覚がなくなり、ゆっくりゆっくり水中を落ちる感覚に包まれた。
辺りの光が消えたぐらいで、リウドは目を開けた。
ヴレイの『妖源力』が極限に達したのを見計らって、潜ったので時間的にはピッタリなはずだ。
大小さまざまな岩石がころがり、荒磯を表した大きな池が彫られ、芝桜が鮮やかに広がる。殺風景な庭園の中洲には、一人ザイドが佇んでいた。
薄く霧がかった庭園はひんやりしていた。冷たい空気はあきらかに本物だが、身体に受ける感覚すべてにまるで現実味がない。
人の気配に気付いてはいるだろうが、ザイドは振り向かなかった。
「馬鹿か、半分も寿命を使う奴がどこにいる」
鼻で笑ったザイドの肩が微かに揺れたのを見て、リウドはフンと鼻先で嘲笑した。
「こっちの勝手だ。寿命を半分使わねーと半身ができねーんだよ。有難く思え、僕の半身が『那托』の魂を異界へ連れていく」
庭園の奥の方で紫紺色の光が帯び始めたのを見て、リウドは安堵にも似た溜息をついた。
「成功したようだな、次に目が覚めたら、懐かしい場所にいるだろうよ、よかったな」
「バカだぜ、あんた」
消え入りそうな声で呟いたザイドは空を仰いだ。
「バジティスの爺さんにも感謝しろよな」
「どいつもこいつも、マジでアホだぜ」
上を向き続けたまま、肩を揺らすザイドは派手に鼻をすすった。
ザイドの後姿を眺めながら、再び視界は闇に支配された。
大地の丸みが肉眼で捉えることができた。
空の青みは既に上空にはなく、星々が光を放つ漆黒の闇が広がっていた。
世界は想像以上に広大なんだなと思いながら、ヴレイはグリップを引いた。
グリップに吸収された『妖源力』はダイレクトに、ディウアースの左腕の噴射砲に溜まる。溜まった『妖源力』が弾丸代わりとなる。
「さすが一体化してるだけあるなぁ」
ディウアースの手足が、そのまま自分の手足と同化したかのような、おかしな感覚だ。
思わず乾いた笑いが出た。
ヴレイは召喚獣を手から離した。
浮遊感に包まれ、ますますディウアースと溶け合うような気がした。
少しずつ離れていく召喚獣に向かって、噴射砲を向けた。
「リウド、ザイドを頼むぞ」
カチッとグリップのトリガーを引いた。
視界いっぱいに光が支配した直後、推進力で機体は真っ逆さまに降下した。
膨張した召喚獣のコアが爆発して、さらに巨大な大爆発を生む。ヴレイは身を引き裂かれるような爆風に襲われた。
「シリウス、見て!」
小型船内からルピナは上空を指差した。
天空の雨雲が一瞬で吹き飛び、紺碧な空が顔を出した。
晴れ間が射した直後、眩い光で視力を奪われた。
するとルピナの膝を枕代わりにしていたロインが目を覚ました。
顔色は悪くなかったので、とりあえず一安心だ。
「ルピナ、僕は、一体――、あの光は」
呆然としていたロインが急に双眸を丸くして、窓に張り付いた。
「――あれは、ほらあれ、何か落ちてくる」
ロインが指を差す方向に、ルピナとシリウスも目を凝らす。
「もしかして……」
全身から血の気が引いたルピナは口を手で押さえた、同時に、ロインが窓に手を当てた。
「ロイン! その体で無茶です」
シリウスが止める間もなく、船の外に現れた召喚獣は風の如く飛び去った。
ぐったりしたロインは背もたれに崩れ落ちた。
「ロイン! ロイン! しっかりして!」
咄嗟にルピナが抱き起した。
「どうか間に合って――」
窓の外に視線を投げたロインは目頭を赤くさせていた。
「僕のせいで、たくさんの人を巻き込んでしまった。僕の命を代償にしても、返しきれないよ」
ロインは一筋の涙を頬に流した。
切ないぐらい澄んだ涙だった。
「バカね、そんなことないわよ」
ルピナは号泣するロインを抱きしめた。
ひとしきり泣き叫んだロインは再び深い眠りに落ちた。
目が覚めるまで傍にいようと、愛おしさを込めて頭を撫でてやった。
小型船は上空の光から遠ざかるように、ロマノを目指して飛行した。




