2.
一階まで下りたルピナは、倍増した人の多さに一瞬目眩がした。
縦横無尽に行き来する人込みの中を進むと、開けた空間に出て、ぱぁと視界が明るくなった。
空港化した渓谷を下から見上げる格好となり、うわぁと迫ってくるような感覚に襲われた。
そのまま真っ直ぐ広場を歩くと、見覚えのある人影を見つけた。
だが、見知らぬ黒毛の人物にルピナは目を細めた。
ロインとシリウスと、誰かしら?
「ロイン久しぶりね、シリウスも。ヴレイから話は聞いてるわ、ありがとう向かいに来てくれて、それと――」
ルピナは二人の少し後方で、腕を組んでいる人物を凝視した。
「ああ、彼がザイド、ロマノ兵でシルバームの元傭兵部隊の総括長だよ、ちょっと初対面の人には不愛想だけど、悪い人じゃないよ」
後半はロインの声が小さくなった。
だんまりのザイドをチラ見したルピナは、ロインとシリウスの間を割って、ザイドの正面まで歩み寄った。
「ん?」とザイドが視線を上げたと同時に、パチーンと甲高い音を響かせた。
少しだけ手がじわんと痺れたが、苛立ちは納まらなかった。
素直に頬を引っ叩かれたザイドは、横目でルピナを見下ろした。
「あなたのせいで、ロインをシルバームの内戦に巻き込んだのよ。あなたがロインを唆すようなことを言ったからよ。もちろん、止めなかった私にも落ち度はあるわ」
ヴレイもザイドがロインに力を貸したとは、一言も口にしなかった。
口にはしなかったが、ヴレイと行動を共にし色々話を聞いて、導き出した先にいた人物。決定的だったのは、今さっきロインが言った、「悪い人じゃないよ」だった。
前から知り合いでなければ、そんな言葉は出ないはずだ。ロインは人を見る、だから根っからの悪人ではないとしても、ザイドはロインを利用したのだ。
「ロインには選択肢があったし、こっちも強制じゃない。決めたのは本人だ」
ザイドが正面に向き直った。ヴレイと同じ紫紺色の瞳だった。
「そうだよ、ザイドのせいじゃない、僕が決めたことだ」後ろからロインが叫んだ。
「だとしてもあなたは、シルバームの件で手を貸す代わりに、ロマノに協力しろと持ちかけたんでしょ? だからロインは大量召喚ができた」
「でもルピナ、それは僕の意思だ」
ルピナはさらに一歩、背伸びをしてザイドに歩み寄り、斜め下から耳元に囁いた。
「あなたがどうしてロマノに協力しているのかも、想像はつくわ。だからヴレイを傷つけるようなことはしないで、絶対に」
そこまで言ってから、ルピナは一歩下がった。
「私もロインに従いていくわ、それが叶わないなら、フレイヤ王にロマノの企み「世界の空」のことを話すわよ。企みを知った国際評議会はロマノをどうするかしらね?」
不敵に口元だけ笑みを作ったルピナは、何を考えているのか全く読めないザイドを睨み付けた。
「分かった、従いてくればいいさ。まさかこんなかわいー姫さんに脅されるなんて。際どいところに目ーつけやがって、あいつ」
ズボンのポケットに手を突っ込んだザイドは長身を翻して、歩き始めた。
ロインとシリウスも、じゃあ行くかと視線で合図する。
二人がルピナの横を通り過ぎる。
「ルピナ?」とロインが振り向いて、立ち止まった。
ザイドの後姿はなんだか孤高で、本人の意志を無視して人を寄せ付けない感じがした。
いや、本人も気付いているのかもしれない。触れ合いたいのに、触れ合えない孤独を。
「あいつ、わざと私に打たれたわ」
「え、そうなの?」
打った瞬間に感じた、ザイドの孤独さと覚悟が余計にルピナを苛立たせた。
あんたの覚悟のせいで、ヴレイはもがいているのに、それなのにどうしてそんなに飄々としていられるのか。きっと、それが覚悟なんだと、思い知らされて、無力な自分にまた悔しくなった。
「あいつぐらいの動体視力なら、私が頬を打つ瞬間に避ける余裕はあったはずよ」
上空には鳥かと見まがうぐらいの飛行船が飛び交っていた。
ヴレイもどれかの船に乗っているんだろうかと、ルピナの拳に力が入った。
少し歩くと、また別の空港が現れた。
塔型の空港ではなく、平面的な空港で、停まっている飛行船も小型だった。
「さて、ここからはロマノ王族所有の空港だ。これからロマノ王と海上要塞へ向かう」
振り返ったザイドのコートが横風に靡いた。鉄面皮のような堂々としすぎた態度に、さらにルピナは苛立って、二、三歩間合いを詰めた。
「始めからロインを連れていく気だったのね、ロインを危険な目に遭わせたら、あんたを一生許さないわよ」
剣の柄をギュッと握って、ザイドに釘を刺す。
「ルピナ、ごめん、僕のせいで、ルピナにまで心配かけて、こんなに心配させるつもりなかったんだ。そこは僕も未熟だと思ってる――」
「いいの、ロインは黙ってて」今は黙っていてほしい、苛立っている理由はロインの為ではないと、ルピナは自覚していた。苛立つ理由はたぶん、嫉妬だから、ロインに謝られると悪い気がした。
ヴレイと離れてしまったのは、目の前にいる男のせいだと、幼稚すぎる八つ当たりだった。
遠い目でルピナを見下ろすザイドは何の返事もせずに、再び歩き始めた。
やるせない悔しさがルピナの中で消化できずに、やむなく柄から手を離した。




