6.
似たようなドアが何十枚も並んでいた。丸一日以上の航行となると、大抵は客室が用意される、しかも二人で一部屋という精神的に病みそうなチケットしか取れなかった。
ロマノ行は数日前にチケットを予約するのがお勧めだと、飛行場の受付嬢に言われた。
んな知るか! と怒鳴りたかったが、受付嬢に怒鳴っても仕方ないので、大人しく従った。
ヴレイの前から姿を消したルピナは、客室の前の廊下で夕闇を眺めていた。
もう陽は地平線の下に沈み、空も雲も紫がかっていた、星々もちらほら明るみを増した。
「あ、あの、ルピナ。悪いんだけど、ロマノに着いたら、俺、フレイヤに戻ることになった。さっき支部から連絡があって。お前のことはシリウスに頼んで、空港に迎えに来させる。ロインには会えるらしいから、会って話しろよ」
ルピナはやや俯きかげんで、沈黙していた。
嫌な緊張がヴレイの胃のあたりでもやもや渦を巻く。俺だってこんなこと言いたくねえんだよ、と泣きそうな面を頭の後ろに隠す。
「分かった、って言うしないんでしょ、どうせ。じゃあ、本当にロマノで、お別れね」
仕方がない、何を言えっていうんだ、やるせない状況に情けなくなる。
「元気でな……」それ以上言葉が出ない。
ガラス窓にルピナの顔が映っていたが、下向き加減で、表情まで確認できなかった。
その時、ルピナが振り向いた。下唇を噛みしめて、悔しげに鋭い形相を向けてきた。
沈黙が降臨して、ヴレイはゴクリと生唾を呑み込んだ。
「バカ……」と消え入りそうな声で呟いたルピナは、客室へと入っていった。
本心を言って、ルピナを思いっきり抱きしめればよかったのだろうか。いや、そんなことをすれば、余計に拗れて後々辛いのは目に見えている。
客室に入れるはずもなく、その晩、ヴレイはラウンジで一夜を過ごした。
ラウンジの椅子を四脚ほど横並びして、ベッド替わりにして眠った。
翌朝、ヴレイはおばちゃん店員に起こされた。
「お客さん、こんな所で寝たのかい? 風邪ひくよ」
「んあ、すいません、部屋に戻れなくて、ふぁー」
凝り固まった上体を起こして、大欠伸をしながら筋を伸ばした。体中が痛い。
ラウンジには朝日がいっぱいに射し込んでいた。清々しい朝だ、コーヒーを美味しく頂けそうだ。
だが「はいよ」と出されたのは水だった。気を利かせてわざわざ水を持ってきてくれたのだから、不満を漏らさず感謝して頂いた。
「後、どれくらいでイーバルに着きますか?」
「んー、後三時間ってところかねぇ」
答えてくれたおばちゃん店員はモップ掛けに精を出していた。
「そっか、水ごちそうさま」
「あいよー」
おばちゃんの威勢の良い声に押されて、ヴレイはラウンジを後にした。
やや重たい足取りで、客室の前に立ったヴレイは「よしっ」と気合を入れて、ドアをノックした。返事がない、まだ寝ているのかもしれない、なにろまだ早朝だ。
空けてもいいものだろうかと迷いながらも、そろそろ客室に戻りたい気分でもあったので、ヴレイは生唾を呑み込んでドアを開けた。
「入るぞ、いいな」って鍵空いてるし、不用心だな。
恐る恐るの足取りがなんだか情けない。入って手前が向かい合うソファー席で、奥に二段ベッドが設置された、ごくごく狭苦しい無難な部屋だ。
ベッドが奥で良かったと思いつつ、ベッドに視線を忍ばせると、ドキッとさせられる光景が目に飛び込んだ。ベッドのカーテンが微かに開いていて、床にはルピナが昨晩着ていたと思われる、ワンピースが脱ぎ捨てられていた。
ということは、どういうこと? まさか、下着――? なに、下着のみで寝る習慣があるの?
困惑を隠しつつ、視線を正面に戻した。
どうしよう、と思っていた頃、もぞもぞベッドが動いた気配がして、ヴレイは更に緊張した。
俺は悪くない、この客室は俺の客室でもあるんだと、自分に言い聞かせ、フンと無意味に足を組んでみたりする。
「起きたか―? もうとっくに朝だぞ」
その時「んー、もおぉー」とルピナの寝起きらしい乾いた声が漏れた。ふにゃふにゃした気が抜けた感じが、たまらなく可愛かった。やっぱりこの部屋にいちゃいけないような気がする。
ガラッとカーテンが開いて、まさかの姿が丸見え状態になった。
ウギッと思わず見入ってしまったヴレイは、声も掛けられずに呆然とした。
「あんた、いつ帰ってきたのよ」
目を擦っているルピナはまだ己の状態に気付いていないようだ。
「さっき? ドアノックしても返事ないし、俺はいいんだけど、丸見えだよ」
「丸見え?」とやっと目を覚ましたルピナは、ピタッと動きを止めた。
次の瞬間、ものすごい速さでカーテンを閉めた。
「ちょっと、なんでもっと早く言ってくんないのよ! エッチ! バカ! 変態!」
紋切型の文句がキンキン声で飛んできた。
カーテンの内側から手を伸ばしたルピナは、床に脱ぎ捨てられたワンピースを掴み取った。
「俺のせいじゃねえ! お前が勝手にカーテン開けたんだろ!」
「信じらんない! 仮にも王女の裸を見るなんて、死罪になるわよ!」
「好きで見たんじゃねえ! 男と同室なのにそんなカッコーで寝るなよ! 無防備過ぎだろ!」
「あんたが昨晩、帰ってこないからでしょ。わざわざ起こしてくれてありがとう、今後は勝手に私の部屋に入らないで!」
誰が入るかっつーの! しかもフレイヤ城に一人で入城する勇気なんてない!
「わーったから、あと三時間で着くらしいぞ。支度しながら、――朝飯でも食いに行くか」
部屋の中が静かになった。ガラっと音を立ててカーテンが開くと、ワンピースを着たルピナがベッドから出てきた。
寝癖を気にしながら、「うん」とルピナは不貞腐れ顔で、コクリと頷いた。




