5.
バジティス村から直行する飛行船は出ていないので、ジェムナスを経由し、ロマノの首都イーバル空港を目指した。
飛行船に乗り込んだ時は、すでに東の空に夜が迫る夕暮れ時だった。飛行船は夕暮れから逃げるように、雲の上を飛行した。
廊下のガラス窓から西日が射す、ルピナの横顔も夕焼けに染まっていた。
ロマノに着いたらルピナとの旅も終わりか。
「ロマノに着いたら、私たちの旅も終わりね」
思っていたことをルピナにそのまま言われた。そんな科白を言われて、決意がブレない男のほうがおかしい、動揺してもいいんだ。とヴレイは自分に言い聞かせた。
「ルピナ、これ、そのなんだ、バジティスの土産物?」
今このタイミングしかないだろ、とヴレイは上着のポケットから小包を取り出した。
「え、なに、怪しいものとかじゃないでしょうね」
「んなわけないろ! 素直に受け取れ!」
「なっ、ちょっと!」
手を出そうとしないルピナの手を取って、強引に小包を持たせた。
「市場に付き合ってやるって言って、結局行けなかったからな、散歩ついでに買った。いらないって言うんなら、別に返してくれてもいいんだぜ」
「そんなこと言ってないでしょ! 欲しいわよ!」
返すまいと、ルピナは体を反転させて、背中を向けた。
もぞもぞとルピナの腕が動いている、小包を開けているようだ。
「お前が耳につけているピアスの石と同じ、赤い宝石」
「首飾り、これ、あんたが選んだの?」
金の輪に革紐が通された首飾りを、ルピナは目の前で吊る下げた。金の輪の中には、金の針金が滑らかにくねり、花の形を描いている。花の真ん中には小さな赤い石が嵌め込まれている。
「その石、フレイヤで採れる宝石なんだろ、店の主人から聞いた。ここまで、ありがとな」
「――そのために、買ってきてくれたの?」
ひどく眉根を歪め、首飾り越しにルピナはヴレイを凝視する。
王女様にとっては、やっぱりそんな安っぽい物なんて、おもちゃだよな。分かっちゃいたが、物に対する価値感の差は仕方ないだろ。
「そのためってわけじゃないけど、別に理由は何だっていいだろ」
金の輪を手の中に置いたルピナはじっと見つめいた。
「ありがとう、すごく嬉しい」
微かにルピナの目頭が濡れて、瑞々しく光ったような気がした。
ドクンと鼓動が飛び上がり、ルピナに見惚れてしまうところだった。それこそ手を出さない誓いなんて放り捨てて、そのまま抱きしめたかったが、いかんいかんと衝動を抑え込む。
ルピナは首に掛けて、胸の前で光る金の輪を物珍しそうに見つめていた。
「とりあえず、気に入ってくれたみたいで、よかった」
なんだかこっ恥ずかしくなって、まともにルピナの顔が見られなくなった。
「ねぇヴレイ、あのさあ、やっぱりロマノで別れないとダメなのかな、邪魔にならないように、従いて行っちゃダメかな」
俯いたままのルピナの肩が、少しだけ強張っていた。寒いわけではないのは百も承知だ、きっと今の科白を言うために、緊張しているのだ。
「ルピナ、知ってると思うけど、俺は任務でこっちに渡ってきた。いつか帰らなくちゃいけないし、いつ呼び出しがかかってもおかしくない状態なんだ。ロマノまで行って、ロインを見つけたら、一緒にフレイヤに帰ろう。それでお終いだ、もう少し一緒にいられる」
やや背中を向けたままのルピナは、終始俯いたまま沈黙を守っていた。
それ以上掛ける言葉が見付からなくて、返事が来るまでヴレイはその場でじっと待った。
「……だからさぁ」と息を押し出すように、ルピナが口を開いた。
「じゃあどうしてそういうこと言うのよ! どうして私を気に掛けたり、優しくしたり、こんなのくれたりしたのよ! バカッ!」
クルッと振り返ったルピナの頬には一筋、涙の跡が日差しで浮いていた。
「そりゃあ気に掛けるだろ、フレイヤの王女なんだから、無下にはできないだろ」
「王女だから、私が王女だから優しくしたの? なら私が王女じゃなかったら、今とは違うってこと!」
あーもう面倒臭い、気持ちを煽るようなことを言うな、言いたくない本心を無理やり引きずり出される。
気持ちを認めれば、後は辛いだけだ。それなのにこいつは――。
少しはこっちの気持ちを考えろ! と苛立ちを拳に込めて「聞けよ!」とルピナを制した。
「お前が王女だろうと、王女じゃなかろうと、同じことしてた。始めからルピナのこと気にしてた、でもお前は王女だ、普通は分を弁えるだろ。辛い別れにしたいのかよ!」
息が詰まってヴレイは深呼吸を何度も繰り返した。きっと今の自分の顔は、ひどく情けなくて、女々しく鳴きそうになっているに違いなかった。
ルピナの目頭に露が溜まる。零れるか零れないかのギリギリのところで堪えていた。
見るに堪えなくて、ヴレイはさっと視線を落として、窓から見える海を見下ろした。
暮れようとする西日が海岸線に反射していた。
キレイだね、と言いながら二人で見たかった景色かもしれない。
「――ごめん、そうだよね。あんたなんかに訊く質問じゃなかったわ。首飾りありがと」
どことなく震えた声だった。
歩き出した足音が聞こえて、顔を上げた時には、ルピナはすでに二、三メートル先を歩いていた。いつも意地っ張りで堅物なルピナの背中が、今は凛と伸びていた。
やっぱり答え方、間違えたかなぁ――。
じんわりと目頭が熱くなって、視界が滲んだ。
その時、携帯端末がポケットで震えて、一瞬ビクッと肩が飛び上がった。
「なんだよもぉ、ジールか、珍しいな」
ジールからの通信なんて、初めてだぞと思いながらヴレイは電話に出た。
「はい、ヴレイですが」
『なんだよ、そんな時化た声して、さては女にフラれたかぁ』
「そんなんじゃ――、まぁそんなところかなぁ」いや、フッたのか?
『ハ! マジかよ! まさかフレイヤの王女か!』
どうしてこいつはいちいち図星を突いてくるかなぁ、ジールのくせに、もっと鈍チンでいろよ! などと思考回路は愚痴作りに精を出した。
「で、要件は何だよ」
『そこ否定しないんだ。それより、召集だ。今すぐジェムナス支部に戻ってこい』
ドキンと脈打った鼓動が、胸に響いて痛みさえ感じた。
「それは無理だ、今、ロマノに向かってる、飛行船で。でも、どうして急に」
『は! ロマノに? 今すぐ戻ってこれないのか?』
ジールの「は」の声で鼓膜が破れそうになったので、ヴレイは瞬時に端末を耳から話した。
「声、デカいし。無茶言うなよ、飛行船の中だ、それにルピ――、フレイヤ王女と一緒なんだよ。ロマノへ行って、ロイン――、ベフェナの王子と会う予定がある」
ポケットに手を突っ込んで、眼下に広がる茜色した大海を見つめた。
『そんなこと言ってもなぁ、本部総司令からの直々の命令だ。本部の第一艦隊と第二艦隊が境界海域にまもなく到着だ、それに合わせてうちの艦も境界へ向かう。だから、絶対に戻れ、それまでうちの艦は発進できない、分かったな!』
また強引に帰らされるのかよ、現に任務中なので緊急招集は仕方ない。予期していなかったわけじゃない。
「へいへい、分かりました。ロマノに着いたら、とんぼ返りする」
『絶対だぞ!』と珍しくジールの気性が荒れていた。
困ったことになった、ルピナの護衛をすると言ったガディルに嘘をつくことになる。だが、こればかりはどうしようもない、軍人は任務優先に生きなくてはならないのが常。
ルピナの奴、ますますへそ曲げるだろうなと思いながら、ヴレイはハッと端末を見た。
シリウスとロインはロマノへ向かった、ならもう到着していてもおかしくない。
「繋がれ、繋がれ」と祈りながらシリウスに発信する。
シリウスもセイヴァから配給された携帯端末なら、セイヴァ専用の電波で通信できるはず。
しばらくの呼び出しの後で、『はい、こちらシリウス』と聞き慣れた声が聞こえた。
「よかった、やっぱり繋がった、ていうか本当にセイヴァの人間だったんだ」
『は? 何を言ってるんですか君は、まさか私の正体を確認するためだけの連絡ですか?』
あからさまにシリウスの機嫌が悪くなった。
「いや、違うよ。シリウスに頼みがある、ロインも一緒か?」
『はい、そうですが、何かありましたか?』
「急きょ、ジェムナス支部に戻ることになった。さっき支部のジールから連絡が来て、本部の艦隊が問題の境界海域に到着するらしい。戦闘にならないことを祈るが、招集命令が下った。今、飛行船でロマノに向かってるんだが、直ぐにフレイヤに戻らないといけない」
良いまとめ具合だ、さてここからが本題だぞ。
『そうですか、それは大変ですねぇ、で、私に何用ですか?』
まったく、同じセイヴァの軍人なのにまるで他人事だ。所属部隊が違うので、仕方のないギャップなのかもしれない。
「ていうか、シリウスには召集命令こなかったのか?」
『私は非戦闘員ですから。ロイン王子と共にロマノ城に来ましたが、ロインの護衛兼ザイドの直轄部下として、何かと自由が利かなくなりました』
だろうなぁ、シルバームほど甘くはなさそうだ、ロマノ城に入れただけでも良い成果だ。
にしてもシリウスの口調は何だかご機嫌だ、しかも背後がうるさい、外にいるのだろうか人の話し声や、車の騒音がちらほら聞こえてくる。
「そこで折り入って頼みがある、ルピナをイーバルの飛行場まで迎えにてくれないか。ルピナはロインに会いたがってる、俺が護衛で従いていくはずが、できなくなった」
『なるほど、空港に迎えに行けばいいんですね。今、外出中なので、お迎えぐらいは可能ですよ。君の代わりに、ルピナ王女をお守りします』
ま、まあシリウスなら安心だろう、と思った安心の意味は、手は出さないだろうという安心だった。いやいや、そこは身の安全の安心だろ! とヴレイは心の中で修正した。
「助かるよ、よろしくな。そっちは「世界の空」関連の動きのある情報はあったか」
『恐らくですが、ロイン王子を含めて我々も、境界海域の要塞へと向かうでしょう。ですから、なるべく早く到着してください』
「そうしたくても、飛行船を操縦してるわけじゃないんだから、空港に着いたら連絡するよ」
するとンフフと電話口から鼻で笑われたような雑音が聞こえた。
「了解しました。ではまた――あっ」
と会話が終わろうとした時、「替われ!」と言う声と共に、シリウスではない男の声が端末から聞こえてきた。
『よお、久しぶりだな、相変わらずぼんやりしてるみたいだな』
ぼんやりって、声がザイドそっくりだ、というかザイド本人なんだろうか。
「誰だ、ザイド、じゃないのか?」
『違う、リウドだ。お前に言っておきたいことがある、ザイドを助けたいなら、「那托」を倒すつもりでザイドと対峙しろ』
「いや、ちょっと、何だよ急に、しかも本当にリウドなんだよな」
リウドの声がザイドそっくりで、九年分成長したリウドの姿を全く想像できなかった。
ザイドより若干低く聞こえるのは、たぶん怒り口調だからだ。鬼祭司と呼ばれるのも頷ける。
するとリウドの背後から「は! オイ、何言ってんだよ!」とまた聞き覚えのある声が、ぎゃんぎゃん聞こえてきてうるさかった。
「まさか、今、ザイドもそこにいるのか?」
『うるせぇ! お前は黙っておろ! んで、お前も海上要塞に行くんだろ。セイヴァとロマノ軍の間で交戦になることは確実だ、その時に「那托」をやれ、いいな』
ザイドを諌めたリウドが意味不明な言葉を並べた。意味は分かったが、即理解できなかった。
端末の向こうで「だから何なんだそれは! 説明しろ」と異議を訴える叫びが聞こえた。
ザイドも初めて聞いた話のようで、おかげでこっちは頭が冴えてきた。
「さっきから「那托」をやれって言ってるけど、つまりザイドは死なすなってこと?」
『そう捉えてくれてもいい、ザイドと真っ向から対峙できるのはお前ぐらいだろうからな、何も考えずとにかく戦え、後はこっちでどうにかする』
どうにかって、どうなんだよ、訊いても答えてはくれないだろう。頑固なところは昔から何も変わってなさそうだ。
「分かった、リウドを信じるよ。ザイドに伝えといて、「アゲハ」の時の決着をつけようって」
『伝えておく。昔は泣いてバッカのガキが、少しはまともに一人で歩けるようになったんだな』
怒り口調だったリウドの声が、どことなく穏やかになった。
「当たり前だっつーの、じゃあ、ルピナを頼む」
通信を切って、さてと次は、とヴレイはルピナが去っていった廊下を一瞥して、深呼吸した。




