4.
ジルニクス近海を航行中の第一艦隊の甲板は、夜の海風を受けていた。
ヴレイはデッキ通路の手摺に寄りかかっていた。
艦が波を切って進む音が心地よい。
ほどかれた漆黒の髪が潮風に乗って踊る。潮臭くなりそうだが、そんなのどうでもいい。
雲の合間からちらちらと漏れる星の光をながめながら、力なくヴレイは目を瞑った。
「おや、そこにいるのは誰かと思えば、最年少のパイロットかな」
静かな夜に水を差され、ヴレイは否な予感を胸に、声がした方を横目で窺った。
さほど高くもない声色を響かせたノアは歩み寄ってきて、身体をくの字に曲げて顔を覗き込んできた。
「な、なんですか」
近寄るなオーラを声に載せると、喉で笑ったノアは手摺に体重をかけて身を乗り出した。
「ちょっと、危ないから」と声を掛けると、クルッとノアが振り向いた。
赤銅の長い髪が大きく舞った、月明かりに照らされて艶やかさが半端なく際立った。
「おっと、そうだね。つい、気持ちよくって」
昼間の時とは違い、気さくで上機嫌なノアにヴレイは不思議と緊張感が和らいだ。
「そうだ。私まだあれ見てないの、ちょっと付き合ってくれない」
「え、ちょっと! 何だよいきなり!」
拒否する間もなく、手を引かれて連れてこられた所は戦闘機スピリッチャーが積まれている格納庫だった。
そこにはまだ傷一つない新型のスピリッチャーが何十機と格納されていた。
第一艦隊はこの新型スピリッチャーを、セイヴァ本部へと海路で輸送してる真っ最中だった。
基本的にスピリッチャーは全体的に丸くなだらかな曲線を描いている。乗り込む際は、湾曲になった屋根が上に開く。どことなく飛び魚に似た形だ。
「装備は従来と同じマシンウイルスね」
沈黙するスピリッチャーを眺めながら得意げにノアは言い放つ。
「改善された点は戦闘機の生命維持システムを作動させ、強制的に母艦へ帰還するようプログラムされた、ちなみに開発チームは全員ドミロン出身だ!」
ノアが自慢げに言うのも無理はなかった。
主に開発を担当しているのはノアの出身でもあるドミロン国だ。もちろん共同開発も行っている。それを輸入して実践しているのが連合国のジルニクス国だ。
ついでに今回はスピリッチャーと一緒にノアも移送中というわけだ。
「それと新たに安全ロックなしの熱粒子砲が搭載された。でもその為の制御プログラムを載せたため、従来の機体より若干重くなったようね」
「それって軍法では使用禁止されてるだろ、使用許可があるのはマシンウイルスだけだ」
パイロットの端くれとして、見過ごせないワードだ。
「それは限られた範囲での戦闘時でだ、戦争ともなれば大陸軍法評議会がそれを決定する。有事の際いち早く戦場で能力を発揮するのがこのスピリッチャーだ」
「でも、戦争なんて。そう簡単に勃発するもんじゃないし、大げさな……」
「軍人でしょ、そのぐらいの覚悟は当たり前だろ!」
脳天に響くようなノアの怒鳴り声に、「ウっ」とヴレイは思わず半面を引き攣らせた。
「軍人か」と小さく呟いたヴレイは踵を返して格納庫を出た。
「戦争用に使われる兵器の搭載許可を下ろしたのは幹部連中だ。わざわざ戦争を起こさせるような武器を載せるなんて。損害が減ればそれだけ費用だって、ケガ人だってでないのに」
後に続いて格納庫から出てきたノアは憮然に息を吐いてから答えた。
「戦いは血を流すものだと考える人もいる、評議会にも幹部と同じ考えを持つ者はいるはずだ、数年以内に対ディウアース戦闘機が各国で建造される、その開発には評議会の裏金が回っていたりするのも事実」
手摺を強く握ったヴレイは飛沫をあげる波をにらみつけた。
「何故、あなたここに入ったの?」
平凡な質問ながらもヴレイは数秒間沈黙してしまった。
「自分から入隊したわけじゃない。呼ばれたから帰って来てやっただけだ」
「ふうん。ディウアースの開発者ってあなたの母親でしょ、優秀な生物工学者でセイヴァの技術開発部に所属していた、どうしてあれを造ったと思う?」
ぺらぺらとよく喋るなと、胸の奥からヴレイはノアを感心した。
「あれに乗って戦えってことだろ、それでしか俺の能力は役に立たない。戦争は嫌だけど、お袋が体を張って造った兵器だ、俺はこの力で戦うしかない」
「本当にそう思う? スピリッチャーの納期が遅れたのは、司令長官が安全ロックなしの熱粒子砲搭載に異議を唱えたからよ」
親父が? と顔をゆがめたヴレイは、月明かりで艶めくノアの瞳を凝視した。
「司令長官が何故異議を唱えたと思う、戦争用兵器を反対しているからでしょ。奥さんも司令長官と同じ考えを持つ人だったからディウアースを作ったんじゃないの? ディウアースはスピリッチャーと同じで、敵船を破壊したりしないでしょ」
笑みを作ったノアの頬に笑窪があるのが見えた。夜空の中で明瞭に浮かんだノアの姿は精悍で、ちょっとだけ神秘的だった。
ノアの言い分は分かるが、残念ながら、乱流が起きれば、船だって破壊する。決して、安全とは言い切れない。
「何の為に力を揮うのか。ご両親は分かってほしいんじゃない? ――偉そうなこと言ってごめん。じゃあおやすみ、また明日ね、ヴレイ」
ノアは身を翻して艦内へ戻って行く。喉まで出かかった言葉を、口の中で転がしながら、ヴレイは目で追いかけた。
「ノ、ノア! また、話せる?」
振り向いたノアは少し驚きながらも微笑んで頷いた。
咄嗟に出た言葉にヴレイ本人が驚いていた。
その場で放心したまま、先ずは大きく深呼吸する。
ノアの残した言葉が頭の中で呪文のようにリピートしている。
月光を浴びたノアの顔を思い出したヴレイは頭を掻きむしった。
不思議な感覚に鼓動が高鳴り、湧き上がった寂寞な想いが胸の奥から吐き出された。
「なんでドキドキしてんだよ」






