1.
「ブレスレット、見た時から分かってはいたけど、あんたやっぱり、『妖源力』者なんだ。でもヴレイのような使い方する人は、初めて見たわ」
先にシャワーを浴びたルピナは、膝上のミャミソールだけを身に付けていた。
視線のやり場に困ったヴレイは髪をタオルで拭きながら、背を向けた。
「そうか? っていうか俺は、ルピナの剣術に度肝を抜いたけどな」
「なによ! 何か文句あるわけ! 女が剣を持つのは変ってこと」
「いや、そんなこと一言も――」
振り向いたヴレイの眼前で、胸をユサッと揺らしてルピナが立ち上がった。窓から射し込む陽光が、ミャミソールをなんとなく透かして、くびれを浮かび上がらせた。
何か羽織ってほしい、でもそれを言えばきっと、見るな! 変態! など怒鳴り散らしてくるに決まっている。
類まれな剣舞の才能も、一歩も引かない意固地の前では霞んでしまい、勿体無い感を覚える。
シルバームの護衛獣を倒した後、どうにかこうにか乗船客は平穏を取り戻した。
波乗り用の公共シャワールームで潮を洗い流して、これもまた波乗り用の公共ラウンジに来てみると、例のルピナが眉を吊り上げていた。
「すごいなってことだよ、どうしてそうなる。ロインが召喚能力持ってたことにも驚いたけどな、凄すぎだろ」
ラウンジには長テーブルが三列並んでいる。タオルを首に掛けたヴレイはロインの向かいに腰かけた。
「僕もヴレイと同じ『妖源力』だよ。ルピナが言ったように、使い方が違うだけだよ。どうして召喚能力なのか、分からないけど」
どことなく切なげなロインの肩に載っていた、小鳥がチチチッと鳴いた。
「まさか、その鳥も召喚獣だったりするのか?」
「そうだよ、この子は僕の監視役かな、異変を察知したら、知らせてくれる。それでこの子が護衛獣と攻防したんだけど、ヴレイとルピナに助けられたよ」
「そうねぇ」とルピナが苦笑いした。
こいつって、デカくなるんだ、とヴレイは琥珀色の小鳥をまじまじ観察した。
「シルバームの護衛獣がどうしてこの客船を襲ったのかは、僕にも分からない。きっと護衛獣の死骸を回収して、原因を探るんだろうけどね。近海にまで防衛線を張るなんて、やっぱり連合軍討伐に関わっているのかも」
「連合軍て市民兵だろ、討伐って……」
そんな国を今から調査かよ、とつい愚痴が内心から湧き出た。
やはりロインはただの子供ではない。自分たちの身が危険にさらされた後、冷静にシルバームの思惑を分析しようとする。普通なら、「無事でよかったね」と安堵し合うのではないだろうか。普通の子供ならば。
だから尚更気になった。
「ロインとルピナは、わざわざ荒れたご時世のジルバームを観光か? まぁ、俺たち以外にもシルバームに行く人達はいるみたいだが、大丈夫なのか?」
「ん?」と視線をヴレイに向けたロインは、少しの沈黙を置いてから答えた。
「大丈夫、それなりに場所も選ぶし、それに僕たちは理由あってジルバームに来たんだ」
「ちょっと、ロイン」とルピナが迷惑そうに言葉を止めた。
「もう気付いているよ、ヴレイは。僕たちがただの観光者じゃないって」
「えっ」と驚くルピナと一緒に、ヴレイも心の中で「えっ」と驚いていた。
今度はヴレイが眉根を歪ませて、首を傾げた。
「だって観光以外にもあるじゃない、里帰りかもしれないのに、きっぱり観光かと訊ねた。何の根拠があってかは、知らないけど」
うぐ……、鋭いガキだな、いやいや、里帰りか訊かなかったのは偶々、ってこともあるだろ。
「確かに」とルピナも今にも吠えんばかりに睨んできた。
「それは、先に謝っておく。スカイ・フィッシュの前に、お前たちが話していた内容をチラって聞いた。わざとじゃなかった。偶々、耳に入って、つい……。悪かった」
ルピナと衝突した後、ヴレイは距離を取ってロインとルピナの後を従けていた。子供だけの船旅に興味があったというと、変態みたいだが、そうこんなご時世のシルバームに何の用で行くのかが気になった。
とても従けて来たとは言えないが。
「あんたそれ、盗み聞きじゃない! ってことは私たちがどうしてシルバームへ行くか、もう知ってるんじゃない!」
「ま、まあな」やっぱり噛みついてきた。
シルバームを調査する為には、この二人とはまだ別れない方が得策だ。だが、ルピナとは初っ端からケンカが絶えないので、これからのことを考えると気が重くなった。
「話を聞いたからには、僕たちに協力するか、何も言わずにできるだけ早くシルバームから出てほしい。僕的には、ヴレイほどの使い手なら、ぜひ協力してほしいぐらいだけど」
これは当たりを引いたのかもしれない。あえて即答はしなかった。
「どこの馬の骨とも知らない奴を、安易に引き入れていいのかよ」
ヴレイの言葉に、ロインが剣呑に片方の口端を吊り上げた。
「君があれほどの使い手で、これからシルバームへ行くってことは、それなりの理由があるんでしょ。しかもやけに僕たちにベッタリだし、目的が何なのかは深くは詮索しない、君が執政官側じゃなくて、本当にシルバームと赤の他人ならそれでいいよ」
ロインの放った言葉に、隣で聴いていたルピナも口元を強張らせたまま、生唾を飲み込んでいた。
はぐらかそうとしないロインの視線が精悍過ぎて、ロインの本心がまるで霧の中だった。
末恐ろしい物を感じて、ヴレイは露骨に眉をひそめた。
「分かった、協力するよ」と素直に承諾した。おそらく、ヴレイが協力すると答えるのも想定内だろう。
「ちょっと、ロイン! こいつが何者かも分からないのに!」
納得できないルピナはヴレイに指を差して、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「大丈夫、ヴレイはインジョリックの人でしょ? 有名なスカイフィッシュを知らないし、携帯端末を持っていた」
「え、どうして俺が携帯端末を持ってると分かる」
ロインの前で持っていた覚えはない。
「だって、ルピナとぶつかった時、携帯端末を落としそうになって、慌てて掴み取ってたでしょ?」
「ッハ、目が良いな、ロインは。参ったよ。まぁ、隠すつもりはなかったし」
もうヴレイは憮然と笑い返すしかなかった。
黙ったルピナはヴレイをチラリと一瞥して、しゅんと椅子に座った。
「四年前、即位した執政官は軍閥政権を布く独裁者だ。国の強化と言って主要政策は軍拡ばかり。重税がかさみ、国民は貧困層からどんどん国を脱出している。ここ最近は、連合軍と何度も衝突を起こしている」
年下のロインに哲人のような能弁さを見せられ、ヴレイは感心した。
シルバームの内情を相当勉強している。ちょっと待てよ、確かあの時、「王族」とか言ってなかったか、と二人の会話を振り返ったが、ハッキリと盗み聞きした自信がない。
机に肘を突いたルピナが、機嫌をそこねたような顔つきで続きを話し始めた。
「連合軍を束ねているのは、シルバーム王族の末裔よ。最後の国王は国を荒廃させた歴史を持ってるけど、末裔の当主はロインの国、ベフェナ国王と親しく、幼少期はベフェナに留学なさって帝王学を学んでいたの。だから、当主を国王にと推薦する国民が多いのよ」
直ぐに棘を向けるルピナの口から、まるで分不相応な単語がぽんぽん繰り出された。
「じゃあ、その当主を中心に、執政官を失脚させればいいだろ。どうしてお前たちが連合軍に協力するんだ、部外者だろ」
「それは!」とルピナは声を上げたが、困った顔で口を噤んだ。
「連合軍が討伐されるかもしれないって聞いて、力を貸しに……」
「だからなんでお前たちが行くんだよ」
しつこいようだが、そこが一番重要な気がした。
どう答えて良いのか迷っているかのようなルピナが、ちらっとロインを見た。
大義名分を背負うかのように、やや俯くロインの瞳は怖いぐらいに精悍としていた。
「召喚獣の精鋭部隊を作るんだ。新王軍は戦艦を使って、連合軍を討伐しようとしてるんだ。対抗するには、僕の能力が必要なんだ」
発言内容は立派だが、とても十代の考えとは思えない、これがロインの正気なら末恐ろしい。
何かが危うい、戦う意味を分かっているのかと不安になる。と同時に、ノアの変わり果てた姿を思い出した。
戦うってことは、命のやり取りをするってことだ。死ぬ可能性だってある。
こいつら、それを分かってんのか。
「お前ら――、その前に、シルバームに、戦艦があるのか」
少々キツめにヴレイは問い詰めると、ロインは初めて怯んだ顔を見せた。
「うん、ある」とだけ返事をした。さっきまであらほど堂々としていたロインが目を逸らした。
それが確かだとして、ロインはそんな情報をどうやって知ったんだ?
「なあ、召喚獣がいるからって無謀だと思わないのか! ルピナは剣術があるとして、ロインは無防備だろ、戦術は、相手の戦力は、俺が威張って言えることじゃねーけど」
声に険を含ませるヴレイは、説教するつもりで二人を睨んだ。
「私がロインを守るから大丈夫よ!」
バン! とルピナはテーブルを叩いた。
「連合軍には市民兵もいるけど、将校もいるし、州の護衛軍も従いてる。大丈夫だよ。ありがとね、ヴレイ」
儚く微笑んだロインは申し訳なさそうに、眉を下げた。
「いや、そうだよな、悪かった」
艦があるなら、新王軍に潜入したい、でも、そこまでやる必要あるのだろうか、今の情報だけで十分な気がする。内偵だかなんだから、干渉なんて必要ない、協力するフリぐらいできる。
脳内がモヤモヤしてきた頃、ラウンジに三人ほど船員が入ってきた。
「私はこの船の船長です。先ほどは大変助かりました」
三人の中で一番年長だろう中年の男と、一回り若い船員が頭を下げた。茶髪の青年は、細い双眸を瞬きさせるだけで、何もしなかった。
「船員を代表して、礼を言います。有り難うございました。ケガ人も出なかったのは不幸中の幸いですし、何より貴方たちのおかげです。それで、この方が事情を訊きたいそうで、シルバームの政府関係者だそうです」
ヴレイ、ロイン、ルピナは同時にその青年に注目した。
まだ二十歳前後ぐらいの青年は、軽く口元に笑みを浮かべた。優男図らをした仮面をすっぽり被っているような印象を受ける。
「では、私たちはこれで」と船長と船員は戻っていった。
ラウンジに沈黙が降りる。
「初めまして、シルバーム新王軍特別諜報員、シリウスと申します。この度は、我が国の護衛獣がとんでもない失態を犯したこと、執政官に代わって、ここに謝罪します」
シリウスと名乗った男は丁寧に頭を下げた。
「ちょっと、私たちに謝っても仕方ないでしょ」
テーブルを叩いたルピナが突っかかる。
「とは言いましても、船長には先ほど謝罪しました。それより、君たちの活躍、拝見しました。お見事です。貴方たちを訪ねたのは、政府の人間として執政官に報告する義務がございましたので、そのご挨拶に。貴方たちを咎めるつもりは、一切ございませんので、ご安心を」
「当ったり前じゃない! そっちの護衛獣が先に吹っかけてきたんだから!」
「まあまあ、ルピナ」とロインが宥める。
言葉は丁寧だが飄々としていて、むしゃくしゃするぐらいのんびりしていた。
シリウスは踵を返してラウンジから出ていった。また沈黙がおりて、一瞬何が起きたのか分からないぐらい、あっという間だった。
「たったあれだけを言いに来たのか、あいつは」
「いや、何かを確かめに来たような感じがする」
ロインがそういうと、何故か信憑性が増す気がした。
「確かめるって、何を? 自分たちの護衛獣を倒した奴らの顔でも、見に来たのかしら」
胸の下で腕を組んだルピナはフンと子供みたいに唇を尖らせた。
「ところで、お前たちは港に着いたらどこへ行くんだ」
「ノイゼストっていう街だよ。首都の近く。連合軍とはノイゼストのコロッセオで落ち合うことになってる」
緊張交じるロインの眼差しが、傾き始めた斜光に当たった。
「シルバーム全域にいる連合兵じゃないけど、首都近辺の連合兵が集まってるわ」
背筋を伸ばしたルピナが付け加えた。そういえば、ルピナは基本的に姿勢が良い、剣士だからだろうか。
それに時々、時々は訂正して、かなり短気で、口も悪いが、何故か不思議と品がある、とんでもない不思議現象だ。てことは、やっぱり……。
「そうか、なら俺はシルバーム城へ行き、戦艦を調べたい。もし俺が戻ってくる前に事が起きたら、俺のことは待たなくていい」
ロインの情報源も気になるし。先に渡っているセイヴァの諜報員と会うことができれば。
「待たなくていいなんて、一人で戦艦をどうにかできるとでも思ってるの」
ルピナが軽く声を張ると、ロインの肩に乗っていた鳥がチチチッと鳴きながら、羽ばたいた。
ラウンジの中を飛び回ってから、入口付近でまた鳴いた。
「どうしたのかしら」
三人に注目されながら、鳥は勝手に戻ってきて、またロインの肩に止まった。
「まあ策はないことないよ。とにかく、港に着いたら俺は途中まで同行する」
「分かった、そうしよう」
ロインも快く納得したが、ルピナは一人、不満げに黙っていた。




