2.
格技場の扉は閉められ、隊員たちが気合を込める雄叫びが、外の廊下にまで聞こえてくる。
「ったく、うちの隊員をボコボコにする気か、まぁ、あいつらも天狗にならずに済むだろ」
厚い靴底で踏みしめている足音を響かせながら、ジールはヴレイを見下ろした。
この身長差はどうしようもないと分かりつつも、頭上から降ってくる声に悔しさを覚える。
「俺もついカッとなった」
「そんなこたぁ気にすんな。少し早いが、昼飯行こうぜ、俺、もう腹減った」
対して施設内を回らぬうちに、ジールは足早に外へ出た。
外壁と一体化している大門を抜けて、車が行き交う広い通りを少し歩くと、左路地に入った。
細い路地沿いに、飯屋が軒を連ねていた。そこかしこから湯気が立ち上り、威勢の良い店員の掛け声が聞こえたりする。
行き交う人々を避けながら、ジールはオープンテラスになっている店に入ると、店員に「よお、二人な」と声を掛けた。
まだ乳臭そうな少女がジールを認めるなり、ぱぁあと花が咲いたような笑顔を作った。
「ジールさん、いらっしゃい! もうお昼? もしかしてさぼり?」
結んだ両手を下に伸ばしながら、小走りでジールに近寄った。
「ちげぇよ! 仕事だ。えーっと、いつものな、後コーヒー二つ」
「はい! かしこまりました。ジールさん、また遊ぼうね」
少女店員は奥の従業員に聞かれないよう、小声で呟いてから、奥へ引っ込んで行った。
ジールの茶目っ気や男前な容姿が女には受けやすいんだろうかと、ヴレイは勘ぐった。
にしても子供に手を出すのかよこいつは、と人格を疑った。
「ここ俺の行きつけ」
テーブルに肘を突いたジールがニコニコしている間に、コーヒーが運ばれてきた。
奥の厨房では何かを炒めるような、油が激しく踊る音が響いた。
昼前のせいか、店内にいる客はまだまばらだ。エプロンを付けた老人が新聞を読んでいたり、読んでいた本を裏返してスープとパンを頬張る人がいたりと、穏やかな光景だった。
「つーか、どうしてお前を本部から出して、諜報部みたいなことをさせるんだろうな。ま、理由は何かしらあるんだろうけど」
年中お祭り騒ぎのようなジールだが、弁えるところは弁えるらしい。お節介過ぎない所も、こっちが構える必要がないので、安心できた。でもお喋りなのがたまに瑕だ。
「俺の任務のこと、知ってるのはジールだけか?」
「俺だけに決まってるだろ、その代り、外野が色々噂立てるかもしれないが、お前はそういうの気にする玉じゃねえだろ」
サラッと言い流したジールは冷ましたコーヒーを啜った。
「まるで俺が図太い神経してるみたいじゃん」
「え、そうなんじゃねえの?」
ジールはきょとんと目を丸くする、しかも大真面目に。
「ったく、ジールと一緒にすんなよ」
呆れるヴレイもコーヒーを啜ると、「お待ちどうさまぁ」とさっきの少女店員が料理を運んで来た。
香ばしい香りが湯気と一緒に立ち上っていた。
忽ち腹が空いて、くぅと腹の虫がなく。
「いっただきまーす」
フォークを手に持ったジールは大口でがっついた。
大皿に盛られているのは、平べったい麺に、炒められた海鮮に餡が絡められているものだった。よだれで口の中が満たされ、ヴレイもフォークを持って噛みつくように頬張った。
「あ! そうそう、忘れないうちに渡しておくな」
口の中に食べ物が詰まったまま、ジールは上着の内ポケットから金属板を取り出した。
手の平よりは小さいカードだった。
「身分証だ、旅券の代わりにもなってる。国境を越える時に必要だ、もし身分証を調べられてもセイヴァの軍人だとは分からない。出身国や本名は載ってるけどな」
カードを受け取り、まじまじと観察する。
金属板には細かな字が彫ってある。中央のひし形印に触れると、ビュンと字が浮き出た。
「グローリアス大陸では、これが俺の証明をしてくれるのか」
「バッチリしてくれるぜ。任務が終わったら記念に持って帰ってもいいぜ、インジョリックでも使えないことねえし」
喋りながら口の中の物を飲み込んでから、ジールはまた口いっぱいに麺を頬張る。負けじとヴレイも麺を口の中に突っ込む。
「そういえば、お前って妖源力ライセンス持ってるんだろ。手首掴んだ時、金属の感触がした」
「ああ、これな」とヴレイは袖をめくった。
「『妖源力』者は八歳になると、委員会によって強制的に試験を受けさせられるからな」
筒状の金のブレスレットには極細の線で龍の模様が刻み込まれている。龍の目には本当に小さな黒い石が嵌め込まれている。縦幅も広いので、半袖の時は嫌でも人の目に付くのだ。
装着したら一生外れないので、成長と共にブレスレットも一緒に大きくなる。
「お前の珍しい形だな、普通は三連リングなんだろ」
「意外と詳しいんだな、確かに、そうらしいけど」
ジールが思った以上に知っていたので、ヴレイは若干眉根を歪めた。
「まあな、さっきの娘、あの子もライセンス持ってるからな。前に色々聞かせてもらった」
すると「おーい」とジールが少女を呼びつけた。
他の客のテーブルに料理を運んだ少女は、クルッと向きを変えてスキップするように歩み寄ってきた。艶々した金のストレート髪に目を惹かれる。グローリアス大陸には金髪が多いのか、やたらに目に付く。派手な頭だな。
「呼んだぁ? ジール」
可愛い子ブリっ子した語尾を強調させ、ジールを覗き込んだ。
「お前、ライセンス持ってたよな、こいつも持ってるらしいが、形が全然違うからさ」
ジールは立てた親指でヴレイを指した。
「そうなんですか、おにいさん。私のはこれですよ」
袖をめくり上げた手首には、金のブレスレットが艶やかに光を帯びていた。確かに形が違う。幅の細い三連リングは一か所だけ連結され、白くて細い手首に装着されていた。
「へぇ、やっぱりこっちは『妖源力』者が多いんだな。インジョリックじゃあブレスレット付けてる奴、滅多に見なかった」
互いのブレスレットを見比べながら、なんだか親近感を覚えて落ち着いたが、形の違い様には、額を掻いて言葉を詰まらせた。
「本来なら二連から四連よね。あなたのように筒状は珍しいわ。もしかして人とはちょっと違う体質とか?」
フフンと少女はくすぐったそうに笑うと、厨房から呼ばれて「じゃあね」と立ち去った。
「彼女、意外と鋭いな」と冗談交じりにヴレイは鼻で笑った。
「だろ。っていうか、マジでその、特異体質とか?」
半分笑ってはいるが、冗談だろ? とでも言いたげにジールは怪訝な顔をした。
ヴレイは手袋をはめた手をジールの前に上げた。
「この手袋は妖魔力の放出を防いでいる。だからディウアースを操縦する時は脱ぐ。妖源動力システムは俺の『妖魔力』によって稼働する、知らなかったのか?」
「知らなかったし、詳細までは知らされてなかったからな。ブレスレットが特殊なのも頷けるぜ。俺が異動の直前、本部の艦隊が実弾の攻撃を受けたって話」
ジールの言葉に、ヴレイはピタッとフォークを止めた。
一瞬、視界に当時の閃光が現れた。爆炎にのみ込まれた仲間たちと、二度と目を覚まさなかったノアの顔が色濃く蘇る。
「アレクドがセイヴァを狙った理由が、その妖源動力システムだったとか、噂で聞いた」
食事の席がしんみり静かになった。
「そうか」としか返せず、ここはもう笑うしかないだろと開き直って、歪に笑った。
「悪いな、思い出させて」
すっかり大皿を空にしたジールは、紙ナプキンで口を拭いながら気まずそうに苦笑いした。
「いや、一年も前だし、いつまでも引きずってる暇なんてない」
遅れを取っているヴレイは、後少し残っている麺を口の中へ突っ込む。
「じゃあさぁ、ディウアースはお前じゃなくても、ライセンス持ってる奴なら誰にでも操縦できるってわけか」
口の中にはまだ物があったが、そのまま答えた。
「それは無理。この手袋は肥大し続ける『妖魔力』を抑えておくためのものだ、増大しすぎて乱流する恐れもあるけど、人並みの放出量じゃあディウには乗れない」
「マジかよ。『妖魔力』のことあんまり知らねえけど、乱流ってヤバいんだろ、だからお前のブレスレットの形はこんなんで、これからもずっと体に無理させてくつもりか」
年中お祭り騒ぎみたいなジールのテンションが、不気味なぐらい落ち込んだ。
逆に珍現象を見た気分のヴレイだったが、ジールの言葉が胸に突き刺さった。
「そんなこと言われたの、初めてだよ」
思わず鼻で笑った。
「そうかぁ? ま、俺はもうジェムナス支部の人間だからな、所詮、他人事だ」
ニッとジールは歯を見せて笑った。すると前髪を鳥の巣みたいにぐじゃぐじゃになるまで撫でられた。
「やめろって」と前髪を整えながら、ジールにはある意味勝てない奴だと、渋々認めるしかなかった。
ジールになら、グローリアス大陸に渡ってきたもう一つの理由も、話して良いんじゃないだろうか、話した方が密かに情報を拾ってきてくれるかもしれないと、ふとよぎらせた。
コーヒーカップに手を添えて、「実は」と言いかけた時。
「おにいさん、美味しかった?」
突然、肩を掴まれた。ビクつかせたヴレイは出かかった言葉を呑み込んだ。
「あ、ああ、旨かったよ、ごちそうさん」
「よかった、気に入ってもらえて、また食べ来てね」
ふにゃとした笑顔に覗き込まれて、思わずヴレイは硬直した。
「俺、この飯があれば一生ここにいられる!」とジール。
「へぇ、じゃあうちの店継いでくれるのぉ?」
「んー、それはちょっと考えさせて」
にやにや頬をにやつかせるジールに少女は「もーぉ」と不貞腐れた。
お似合いだぜ、とヴレイは二人を見守りながら冷めたコーヒーを啜った。
ジールに話して良いのか判断がつかない。そもそもこいつはお喋りだ。
九年前のあの晩に起きた事件のことは、父親とスカイ副司令、ソラ、一部の諜報部しか知らない。しかも事件の本当の真実は誰も知らない、もしかしたら欠落した記憶に真実があるのかもしれない。
このまま誰にも話さず、事件を追うべきなのだろうか。
「オイッ、ヴレイ、大丈夫か、ヴレイ!」
我に返ると、ジールが目の前で声を上げていた。息が掛かりそうなぐらい顔が近かったので、思わず「うげぇ」と叫んでいた。
「ウゲッて失礼な奴だな、何回呼んでも返事がねえから、目を開けたまま寝こけてんじゃねえかと思ったぜ」
「そんな器用な芸当できるか、ちょっと考えごと」
背もたれに体重を掛けて、人々が往来する通りを眺めた。
「船酔いでもしたみたいな顔してんぞ。さぁ、戻ったらお前は出発の準備しろよ」
「ごちそぉさーん」と言い放ったジールは少女店員に札を二枚出して、店を後にした。




