4匹目:
石抱きから解放された坂田は、しかし動けず床に伏せていた。
伊豆石による超重量と十露盤板の稜線によって圧迫された両足は、まだ色を失ったままで当然感覚も戻っていない。
そんな状態の坂田を見下ろすように座るのは金の短髪、山田弟だ。
石抱きに使用された道具を部屋の隅へと片付けた彼は、どこから取り出したのか湯気立つ湯呑から茶を啜り、深く息をついてから、
「女子高生に手を出したらいかんでしょ……」
「……は?」
気の抜けた声を返した坂田は、首だけを山田弟の方へと向けて続ける。
「自慰行為のやりすぎで、ついに頭おかしくなったのか?」
なにせ他人の家でも致してしまう馬鹿野郎だ。普段姉から受けている折檻も相俟って、幻覚や幻聴程度なら驚くようなことは無いのだが、勝手な幻に巻き込まれているというのは不本意極まりない。それもその内容が明らかな問題を含んでいるとなると尚更だ。
だが、妄言を吐く馬鹿は、
「馬鹿野郎! 週25回くらいだ! 一般的だろうが!」
……まさかの二桁。しかも、
「一日三回以上してんじゃねーか! どこが一般的だ馬鹿野郎!」
「食った分だけ出す。それが自然の摂理ってもんだろうが!」
「何、当然ですみたいに言ってやがる。出すもんが間違ってんだよ! 手前のそれは排泄じゃなく、単に欲望を解き放ってるだけだろうが!」
「我が家じゃ普通なんだよ! 両親だって毎晩新たな家族を生産中だ。姉さんも――」
と、そこまで言ったタイミングで山田弟の言葉が止まる。そして、
「――すいませんっしたー!」
突然の土下座。それも何もない壁へ向けてのだ。
山田弟が言いかけた先は何となく想像がつく。だからその土下座が誰に対してなのかもわかる。しかし、彼女は室内にいない。こちらを拷問にかけた後、ゴキ子を連れて何処かへ行ってしまったからだ。なのに何故、壁の方向へそれを行ったのか、それがわからない。
……まさか……。
アパートの一室という狭い空間。その間取りを思い出す。まず西向きの玄関があり、そこから室内へと入ればすぐにキッチンスペースがある。そして短い廊下を左に折れると浴室とトイレがあり、真直ぐ抜ければ、今自分たちがいるリビングだ。
リビングは縦に広い洋室。フローリングの上に絨毯を敷き、そのド真ん中に円形の卓袱台が鎮座し、東にはテラスへと続く窓、北側の壁にはベッドが置かれ、残る南には何故か襖で仕切られた押し入れがある。
では、山田弟が土下座している西側にあるものはなにか。廊下、ではない。山田弟の位置は廊下よりも右によっている。つまり、
……トイレか浴室。
二人が一緒にいることを考えると浴室だろう。
これで壁への土下座の意味はわかった。しかし、リビングから浴室までには壁、トイレと廊下、さらに脱衣所を挟むのだ。いくらそれぞれの壁が薄いとはいえ、馬鹿の戯言が浴室の二人に届くことは万に一つもないだろう。だから、
「おい馬鹿、流石に聞こえてないだろ」
未だ伏せるこちらの身の横、額を床につけた馬鹿へと言ってやれば、彼は僅かに視線をこちらに向け、
「姉さんは――」
何かを言おうとして、しかし言う前に音が来た。
それは壁越しに響いた小さな声。
僅かに籠った女性の声。
高く、おっとりと間延びした声の持ち主は、
「しっかり聞こえてるわよー弟くん」
「――地獄耳なんだよ」




