4匹目:
ドアを開けて部屋から出れば、そこは薄暗い廊下だった。
短い廊下に窓はなく、正面には外へ出るための扉とキッチン。右側にはトイレと浴室に入るための扉がそれぞれある。
今、部屋と繋がるドアにはめ込まれたガラスから夕日の光を僅かに取り込む廊下に立つのは、山田姉だ。
キッチンスペースの蛍光灯で明かりを確保した彼女は、洗い物の溜まったシンクを見つめている。
そこには水に浸けられた小さめの土鍋と小鉢、そしてゴミを溜めておく為の三角コーナーがある。金属製のコーナーには溢れんばかりの梅の種。
それを見て思うのは、自分たちが来る前。ここの家主が病人に振舞ったであろう朝食だ。
……お粥かしらね。
テンプレート、とそう思うのだが、それにしても梅の量はおかしい気がする。
単純にゴキ子が梅干好きなのか、それとも――
……後で問い詰めましょう。
デリケートな問題だ、と内心で頷く。
必要ならば保護者を交えての話し合いも考慮しなくてはならない。その場合、自分と弟は何処まで彼らの助けになれるだろうか、とも考え、結局は当人とその家族の問題だなと結論。思考を本来の目的へと戻す。
さて、と心の中で掛け声を入れて、食材の確認。
シンクの横。こちらから見て左側に小型の冷蔵庫がある。
壁に埋め込まれるような形で設置されたそれは、上に冷凍、下に冷蔵のスペースを持っている。開いたのは下側だ。
冷蔵庫の中には充分な食材がある。昨日の商店街で会った時に買い込んでいたものだろう。
程好く余裕を設けて並べられている食材からは、坂田の几帳面さが伺える。
必要な食材だけを取り出して、シンクの右、一先ずコンロの上へ置いておく。
今度はシンクの上に設置された棚。そこに立て掛けられた俎板を取ってシンクに渡す。
他、調理に必要なものを揃える為に、シンクとコンロの下にある収納を開く。中には包丁差に刺さった包丁と調味料が並ぶ。どちらも一通りのものが揃っているのには少し驚きだ。
後輩の知らない一面を見た気がする。
とはいえ実際のところは知らないことのほうが多い。弟含め自分と彼の付き合いは長くないのだ。
それは去年の話。夏期休講を終えた頃に弟から彼を紹介された。聞けば、編入で大学に入ってきたらしい。当時の彼は無口で、それを弟が無理やりに引張ているイメージだった。
同時期に新任として教授も大学にやってきた。そして彼女が自分たちのゼミを担当することになったのが冬。前任者について詳しい事情は語られなかったが、元より黒い噂の絶えぬ人物だったのでそういうことだろう。
あれからまだ一年経過していないのに彼は随分と変わった。よく言えば明るく、言葉を選んで言うなら、そう、バカ具合が増した。どちらにしても良い傾向で、その変化に自分たちが関わっていたのなら嬉しい。
今も扉の向こうからは三人の談笑する声が聞こえる。会話の中に時折打撃音が混ざっているのは愛嬌だろう。それらの音に口から笑みがこぼれるのがわかる。
彼の親戚だという少女も素直で快活で、きっと彼に良い影響を与えてくれることだろう。病人だというのに元気すぎる気もするが。やはりアレなのだろうか……。
と、考えに没頭しすぎたようだ。気がつけば食材の下ごしらえを終え、先ほどまで食材の積まれていたコンロには、出汁の張った土鍋が用意されている。土鍋はシンクにあるものより二回り程大きい。
後は食器を用意して運ぶだけだ。
……カセットコンロはあるかしら?
今さらな気もするが恐らくは大丈夫だろう。
だから、取り敢えず食器を用意することにした。
食器はラックにまとめて置いてあった。幸い数は十分にある。一つだけ真新しいのはゴキ子用のものだろう。他に、やけに使い込まれた物が二人分あるが、これは誰のものだろうか。一人は彼のもので確定として、
……教授のかしらね
そう思ったのは、彼と教授が古くからの知り合いだと聞かされているからだ。詳しい関係については知らないが、二人共が語ろうとしないのだから詮索はしない。
……凸凹夫婦。
そんな印象を持つのは失礼だろうか。どちらに対してとは言わないが。
でも、もしそうならゴキ子が娘で核家族の完成だ。
そんな妄想をしているとすべての準備が完了した。
食器は、あえて教授が使用していそうなものを避けた。
食材から食器まで一人で運ぶのは辛い量がある。だから、
「――弟くーん」




