4匹目:
『助け舟などない!』
……トドメきたー!!
最後の馬鹿はきっちり右側、それも外部から来た。
電話の内容はその一言だけで、今は通話終了を告げる電子音だけが、電話の向こうから聞こえてくる。
……博士の阿呆!!
と、心の中で罵倒してみても返ってくるものはない。
どやって今の状況を掴んだのか。そんな疑問は無意味。なにせ、この状況を作った張本人だ。こうなること、もしくはこれと近似の状況を予想していたと、そういうことだろう。
しかし、その被害を受けたこちらは堪ったものではない。精神的に。
「……」
無言のまま携帯を仕舞うと、長いため息が出た。
「ため息の数だけ幸せが逃げるわよ」
それを見て言ってきたのは正面、ベッドの縁で脚を組む山田姉だ。
彼女の言だと、こちらの幸せは、この数日で全て当てない逃避行へと駆け出したことだろう。
さようなら残り少なかった幸せ。こんにちは目の前に降り掛かる人災。
……ああ、強く生きよう。
などと決意を新たにして視線を前、山田姉へと向ける。何故、葱一本でここまで追い詰められなくてはならないのか。よくよく考えてみれば、追い詰められているのは自分ではなくゴキ子なわけで、
……あれ?
何故、こんなにも自分は必死なのだろうか。
思えば可笑しな話だ。
そもそもゴキ子をこの部屋に置いているのだって、博士に半ば強引に押し付けられて仕方なくで。今も、ゴキ子自身の判断に任せて、自分は傍観する事もできたはずだ。
なのにそうしないのは――
ふと思い出されたのは少女の顔だった。
かつて博士のもとへ行くのを拒んだ少女と、先ほど背後に回り込んできた団子の顔。団子の方は早すぎて見えなかったが、今、肩上にある顔は僅かに険のある表情だ。
どうしてそんな事を思い出したのか考え、思い、至る。
それは――
……なるほど。これが保護欲というやつか。
この歳で父性に目覚めるとはなんとも言い難い気分だが、これはこれで疑問の解決になったので良しだ。
「お待たせしました、先輩。話を戻しましょう」
世の中において母という存在は何にも増して強いという。ならば、対となる父とて同じだろう。
……つまり、父性を得た今の俺なら、どんな窮地でも乗り越えられるはずだ。
「そうね。じゃあ、ゴキ子ちゃんのお尻に葱を差し込む話の続きなんだけど」
……ガッテム!
負けそうだった。
背後のゴキ子も、自分に降り掛かる危機の度合いを再確認したのか、こちらの身体に腕をまわしてきた。
団子に脇下から腕をまわされたため、タオルケットを二人羽織するような形で抱きつかれることとなり、密着した身体からは、ゴキ子の震えと体温と、
……ナイス! ナーイス貧乳!
の感触が伝わってくるわけで、
「坂田くんは表情に出るからわかりやすくていいわ」
笑顔なのに目が笑っていなかった。
「さ、坂田さん、助けてください」
小声で言ってきたゴキ子は、こちらの肩の上に置いていた顔を下げて、肩から覗き込むような形になっていた。ちょうど首後ろに口があるのか、彼女が口を開くたびに息が掛かって擽ったい。
「痛くないように潤滑液も持ってきたから安心してね」
こちらがゴキ子の息遣いに意識を持って行ってうちに、山田姉が告げた。潤滑液がカタカナ語で表現されなかったのは彼女なりの照れ隠しか。兎に角、温和な声で、言葉の通り怯えるゴキ子を安心させるための一言だったのだろう。
しかし、
「あの卵はそういう意図ですか!?」
それに返すのはゴキ子ではなく自分だ。
姉より手渡され弟によって持ち去られた卵の意味が、ここにきて漸く理解にできた。弟の方は五回ぶちのめしてやる。
「メインはそうよ。あ、でも、女の子と同棲開始して、色々溜まってる坂田くんへのお土産っていうのも本当」
……最悪な気遣いだ。
と、こちらが端的な感想を心で作っていると山田姉は続けて、
「それにこれは欧米ではメジャーな風邪の治療法なの。ええと、確か名前は――」
顎に指を当て数秒思案して、
「そう、ア――」
「それ以上はダメだ姉さん!!」
咄嗟の判断でゴキ子の耳を塞ぐのと同時、部屋に飛び込んできたのは弟だった。
姉を止めるために叫んだ彼は、こちらと姉の間に滑るように来て、
「姉さん。女の子なんだから、そんな言葉使ったらダメだよ。ちゃんと丁寧に日本語で言わないと」
「そういう問題じゃねえ!!」
「「え?」」
こちらのツッコミに二人揃って疑問詞で返してくるあたり、この姉弟は頭がおかしい。
御陰さまでこちらは、さっきからゴキ子の耳を塞ぎっぱなしだ。無理に身を回して耳を塞ぎに行ったため、今、ゴキ子とは向かい合って抱き合うようになっているが、不慮の事故なので気にしないことにする。
ゴキ子の方は突然両手で顔を挟まれて窮屈なのだろう、身を捩って拘束を解こうとしているが、今後の話は教育上非常に悪影響なのでとてもじゃないが聞かせられない。今までのものも大概だったが……。
「あれか、姉さんが外来語だからって欧米諸国の方々へ失礼なこと言ったのが悪かったのか?」
「違うわ!」
「だったら外来語と日本語を統一していないことかしら。なら、潤滑液のことをちゃんとと外来語で言えば解決ね」
「違います。もう、先輩黙っててください」
それを言い出したら、本当に解決不能だ。
こちらに否定された二人は不服そうな表情だが、そんな顔をされてもどうしようもない。
「取り敢えず、先輩は落ち着いて葱を仕舞ってください。弟は五発殴るから覚悟しろ」
「せめてゴキ子ちゃんに最後の確認を」
山田姉の方がそんなことを言うので、ゴキ子の耳から手を離してやる。
「ゴキ子ちゃん、嫌?」
「嫌です!」
ゴキ子の即答はこちらの肩ごしに行われた。
それを受けた山田姉は渋々といった動作で葱を仕舞っていく。
葱は手品のように消えてしまい、残された姉は申し訳なさそうな笑みで、
「ごめんなさい、ゴキ子ちゃん」
頭を下げた。
対しこちらから離れたゴキ子は、
「あ、いえ、私のことを心配して頂いたのはわかります。だから頭を上げて下さい」
と、必要以上に恐縮しながら山田姉の正面へと移動していく。団子状態を解除していないのは、まだ少し警戒しているからだろうか。
山田姉はそんなゴキ子の言葉を受けて顔を上げ、その接近を確認すると、
「ゴキ子ちゃん!」
何故か目尻に涙を浮かべ、団子へと抱きつきに行った。
その光景を眺めていた弟が、こちらに向けて、
「ところで、さ、坂田くん」
「なんだ?」
「俺は前々から君とはよく話し合うべきだと思っていたんだ」
「奇遇だな俺もだ」
「そ、そうか良かった。では第一の議題として世界平和について話し合おうじゃ――」
無言で右から三発が行った。
「あれー? おかしいぞー? 話し合いなのに体中がイダッ――」
追加の一発を入れた。これも右だ。
「ああ、話し合いだ。枕に拳でとつくがな」
「ああ! ズリいぞ! 言葉で始めるのがルールだろ!? 拳の使用は中盤! 中盤以降だクソ野郎!」
弟が反撃に振りかぶってきたので、
「知るか! この遅漏野郎が!」
五発目。
ラスト。立ち上がっての右ハイキックは見事に弟の顎を捉えた。
吹っ飛ぶ弟は、
「早漏よりはマシだもんねー!」
と、意味不明な断末魔を挙げて倒れるのだった。




