4匹目:
騒がしかった一室は、幾分かの落ち着きを取り戻していた。
「おー、無事だったか。変なことされなかったかー?」
と、雉打ち真最中の馬鹿が卵を愛でる声が聞こえるが、あれは無視でいい。いや、あれは無視がいい。後でぶちのめそう。
ただ、一つ言うべきことがあるとすれば、
……それに変なことをするのはお前だろう。
口に出すことはしないが……。
「筒抜けよー」
ベッドの上でゴキ子に躙り寄る山田姉が声を寄越してくるが、
……当人に聞こえていなければセーフ。
幸い、件の対象は卵と共に夢心地だ。二回ぶちのめそう。
「先輩。病人を休ませるという発送はないんですか?」
「んー、これはあれよ。そう治療!」
力強く言ってくるが、山田姉の手に握られた葱を見るこちらにしてみれば、不安しかないわけで、
「念のためお聞きしますが、その葱は何に使うつもりで?」
問いに、山田姉は葱を掲げて、知らないの? と置いてから、
「葱は風邪に効くのよ」
と、何故かその葱を上下に振ってみせる。
……あ、これはやばいやつだ……。
直感がそう告げてくる。これは止めないと取り返しがつかないと。
普段は常識人な所為で忘れそうになるが、この人はあの馬鹿の姉なのだ。
普通に接していれば自称しっかり者の温和な天然お姉さん。何も知らない同性からは羨望を、異性からは恋慕を抱かれる。そんな存在だ。本人は気付いていないが。
しかし、一度この人の前で問題を起こせば、その印象はガラリと変わる。誰が呼んだかドSの権化。弟とのバランスが取れているあたり驚異的だ。
ただここで問題になるのは前者、天然の部分。
本人はしっかり者のつもりで、とんでもない事をやらかすから困る。大抵は弟が被害者なので問題ないのだが、今回は明確な標的がいる。
……さて、どうやって止めるか。
「それは食べ物としてですよね?」
一先ず、葱の使用方法を確かめよう。万に一つの確率でこちらの早とちりかもしれない。
しかし、山田姉は首を傾げ、
「もちろん」
一瞬の間があり、こちらは安堵の息を漏らしかけたのと同時。
「刺すのよ」
……何処にだー!!
これは本格的にマズイ。なぜなら人の体で葱が刺せる部分は限られているのだ。だから、それが上からか下からなのかが問題になる。
自らの身に降り掛かる危険に気がついたのだろうゴキ子が、こちらの背後に回り込んでくる。
……害虫の本能もたまには役に立つな。
高速の滑走で来た団子は、こちらの服の裾を掴み、肩の上に顔を置いてくる。触れた位置から彼女の震えているのが感じられた。そんな状態で彼女は、しかし山田姉の笑顔から逃げようとはせず、怯えた声で、
「た、食べ物で遊んじゃいけないんですよ」
先程の説教が活きていることを喜ぶべきか、顔が近いことを指摘すべきか、逃げなかった勇気を称えるべきか。恐らくは称えるべきなのだろう。らしくないのでしないが。
「大丈夫。使ったあとはスタッフが美味しくいただくから」
こちらが毎度の脱線思考から抜けたタイミングで山田姉が答えた。
……スタッフって、俺と弟のことだよな。
これは確定だ。
今、弟の方はいないが、先ほどトイレの中が急に静かになったので直に戻るだろう。ああ、三度ぶちのめそう。
姉の方の行動がこちらの予想通りのものなら、残された葱を食べるのはまず不可能だろう。弟の方は喜んで食べるかもしれんが。それはそれで個人の嗜好なので放置でもいいのだが、やはり倫理的な問題を感じるので全力で阻止しよう。いや、姉に実行させないのが第一か。
背にいる団子も、危機がまだ去っていないとわかっているらしく、
「だったら、その葱をどこに刺すつもりなんですか?」
……あー、聞かなきゃいいのに
と、こちらはそんなことを思うが、単純に危機回避をするだけのゴキ子が、これから山田姉のしようとしていることを予想などしているはずもないので、
「場所によっては考えないでもないです。風邪を治すためですから」
……馬鹿が増えた!?
よくよく考えれば馬鹿ではなく無知なのだが、今はどうでもいい。
だが、現状が最悪の結果へと猛進しているのは非常にマズイ。どうにかにして止めようにも、相手は天然馬鹿と無知な馬鹿だ。天然馬鹿のストッパーであるはずの変態馬鹿は未だにトイレでしっぽりだ。四度ぶちのめしてやる。
四面楚歌。
そんな言葉が頭を過ぎるが、まだ前後を囲まれただけで左右には逃げ場がある。左側には変態馬鹿の入ったトイレがあるのでやっぱり逃げ場は右だけだった。
状況は馬鹿三人に囲まれた常識人、とそんなところか。あと一人バカがいれば詰んでいた。
そこまで考えたとき、突然携帯が鳴った。
……助け舟!
こちらの思考の外では、ゴキ子の問いに山田姉が答えようと口を開いた時だった。しかし、今の着信で山田姉は動きを止めている。彼女の視線は、こちらが携帯に出るよう促すものだ。
だから、携帯をポケットから取り出して開き、
「もしもし」
出た。
右のポケットだった。




