1匹目:波瀾
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「……部屋間違えたか?」
それが、後始末をする前に再度コンビニへと出向き、新しい飲み物と害虫の骸を処理するための道具を買い揃えて帰宅した青年の口から出た言葉だった。
別に、部屋の惨状を改めて確認して現実逃避したくなったわけではない。
もともとこの部屋は、足の踏み場もないような状態だった。後始末ついでに大掃除でもしようと、そんなことを考えながら買い出しに出かけたくらいなのだ。だから、あれ以上酷くなることなんてないと思っていたのだが、
「あんなものは置いてなかったと思うんだけどな……」
改めて見渡してみても部屋の惨状は変わらない。
投げ捨てられた雑誌も、踏み荒らさた衣類もそのままで、しかし、その中に一つだけ異質なものが混ざっていた。
床の上、脱ぎ捨てられた衣類に囲まれてソレはある。位置は丁度害虫の骸があったはずの場所。そこに、一人の少女が倒れていたのだ。そして代わりというように害虫の死骸が消えている。
ある筈のものがなくなって、ない筈のものがある現状に、青年の頭は混乱し始めていた。
とりあえず荷物を持ったまま外に出て、本当にここが自分の部屋で間違いないのか確認してみる。
場所はアパートの二階、階段横の角部屋。
手に持った鍵は当然この部屋のもの。鍵穴にも問題なく刺さるし回せる。わざわざ鍵を掛け直してまで確認したので間違いない。
ドアの横に張り付けられた表札には部屋番号と家主の名前。
201号室、坂田。
それは確かにこの青年が暮らす部屋を示す数字と、彼の苗字そのものだった。
当たり前のことだ。そもそも帰宅したときだって自分の鍵を使って部屋に入っている。室内だって、一点を除けば外出前と変わっていない。
……おかしい。
首を捻りながら部屋の中へと戻る。
部屋の中を改めて見渡しても、変わらず少女はそこに倒れていた。
黒のニーハイソックスにチェックのプリーツスカート、上はセーラー服と、少女の見た目は完全に女子高生のそれだった。
足をこちら側に向け、丸まるような体制で倒れた少女のスカートが僅かに捲れ、中が見えそうになっている。リボンが緩んだ胸元は肌蹴、そこから下着が僅かに姿を覗かせている。
そんな少女の姿に視線が向きそうになるのを抑えつつ、坂田は少女の方へと歩み寄っていく。
近づいてみると、長い茶髪を乱した彼女の控え目な胸が、浅く上下しているのが見える。つまり彼女は呼吸をしているということだ。
「い、生きてる?」
その事実に動悸がいっそう激しさを増した。
少女を見たとき、初めはよくできた人形か何かだと思おうしていたのだ。
それなら、留守中に忍び込んで誰かが置いて行っただけのことで、大した問題にはならない。
幸か不幸か、そういったことをやりそうな知り合いはいる。くだらないことに全力を注ぐやつだ。住所を調べ、害虫を用意し、合い鍵を作るくらいのことは余裕でやってのけるだろう。
しかし、少女に近づくにつれて、そんな都合のいい幻想は打ち砕かれた。
髪の毛の艶、上気した頬、肌の質、どれをとっても、それは人間のものに相違ない。
如何にその知り合いが、馬鹿を極限まで追求したような人間であっても、年端も行かない少女を眠らせて拉致し、他人の部屋に放り込むなんて無茶な真似はしないだろう。というより、もしやったら犯罪だ。
「……」
このままでは自分が犯罪者にされるのではなかろうか?
この少女が目を覚ましたとき、彼女の目に映るのは、見知らぬ部屋、見知らぬ男、脱げかけの制服。
……三球三振バッターアウト。
通報するか?
駄目だ。正直に状況を説明したところで信じてもらえるとは思えない。かといって意識のない少女を外に放り出すわけにもいかない。誰かに相談を……、できる相手がいない。
万事休す。自力でどうにかするしかない。
「とりあえず」
床に寝かせたままにするわけにもいかないので、少女をベッドに運ぶことにする。
少女の膝裏と首に手を通して持ち上げる。
軽い。
生まれて初めて女の子を御姫様抱っこした感想がそれだ。
次に感じたのは少女の体温だった。自分と比べて少し熱い。熱でもあるのだろうか?
などと少女のことを分析していると、
「――んっ」
少女が小さく声を漏らし、腕の中で身を捩った。
……まずい。
今、意識を取り戻されるのはよくない。先程の三つに加えて御姫様抱っこだ。
そうなったら数え役満。もう言い逃れができない。いや何一つ疚しいことはしていないのだが、それでもアウト。ことセクシャルな犯罪に対して、この国の法律は厳しい。
頼むから目を覚まさないでくれ、そう念じながらベッドまで歩いていく。
距離にすれば1メートルもない。普段の歩幅なら2、3歩で辿り着ける。しかし今は、それが難しい。
硬くなった体で、一歩進むのにも細心の注意を払う。息を止めて、少女の身体で見え辛くなった足元に気を付けながら進んでいく。
一歩、また一歩。慎重に、しかし急いで足を動かす。
なんとかベッドまで辿り着いたものの気は抜けない。
むしろここからが難所だ。
割れやすいガラス細工を扱うよりも丁寧に、少女の身体をベッドの上へと横たえる。
未だ危機は去っていないが、それでも山は越えた、とそう思おう。
ここ数年、体験していなかった緊張からようやく解放され、ふー、と大きな溜息が出た。
脱力し、心を落ち着けてから、改めて仰向けになって眠る少女の姿を見る。
二束の長い髪が左右に揺れる少女の顔は、美人というにはまだ幼く、あどけなさの残る寝顔は可愛らしいという方がしっくりくる。
そんな少女の顔から眼を逸らし、ベッドの上にあった布団を掛けてやる。
夏用のタオルケットであまり意味はないかもしれないが、ないよりはましだろう。
「……これからどうすんだ」
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