3匹目:
事故が起こったのは、雪の降りしきる二月上旬。季節外れの家族旅行中だった。
普段、多忙で家にいつかない父が、珍しく長期休暇を取っての家族サービス。
父の運転するセダンに家族四人。母が助手席。後部座席、運転席側に自分、助手席側に妹がそれぞれ座っていた。
その日は平日で、自分は中学校、妹は小学校を欠席しての家族旅行。退屈な学校に行かなくて済むこと、旅行への期待、そしてなにより、その旅行が家族揃ってだったことが、幼い自分には堪らなく嬉しかった。
それは家族全員、同じだったのだろう、車内から笑みが絶えることはなかった。
ただ、長時間の走行は、十分な体力を身につけていない子供にとって重労働だったのだろう、自宅を出発してから数時間、妹の頭は船を漕いでいた。最初、妹は頭を揺らす度に首を激しく振り、眠気を飛ばそうとしていたが、その動きも時間の経過とともに段々と少なくなり、そして、高速道路に乗ったころには完全に眠ってしまった。
そのことを前に座る両親に伝えると、父が最寄りのサービスエリアに車を止め、母が車を降りてトランクから一枚の毛布を取り出してきた。それを自分に手渡して、
「かけてあげて」
それだけ言うと、母は再び助手席に戻り、父が車を発進させた。
自分は母に言われた通り、妹に毛布をかけようとして、しかし、座ったままの体制で眠る妹に上手く毛布をかけることが出来なかった。だから、妹のシートベルトを外し、シートの上で仰向けにしてから、改めて毛布をかけた。
その時、一度妹が目を覚まし、
「まくらー」
寝惚けた声でそう言って、身を捩り、こちらへと動いてきた。だから、自分も妹の方へと寄った。すると妹は、こちら膝の上に頭を乗せ、右腕を下にして、すぐにまた眠ってしまった。
そんな妹に毛布をかけなおし、その頭を右手で撫でていると、
「すっかりお兄ちゃんね」
自分が上手に出来ているか心配だったのだろう、ずっとこちらを見守っていた母が声をかけてきた。
母の言葉に父も同調し、
「頑張れよ、お兄ちゃん」
などと言って二人は笑った。
両親の言葉を聞いた自分は、照れ臭くもあり、しかし、それ以上に誇らしかった。
妹が生まれると聞かされたとき、妹を守れる兄になろうと、幼いながらもそう決め、その目標に近づけた気がしたのだ。
そんなことを思っていると、妹の頭を撫でていた手に温かいものが触れた。
こちらの手が、眠る妹の左手に握られていたのだ。
その温もりに安堵を覚え、気がつけば自分も釣られるように眠ってしまっていた。
◆
それから何時間眠っていたのかは知らない。
ただ、目覚めの瞬間は突然に来た。
それは、身体の内側を揺らす重低音。地面を震わせ、大気を裂くほどの轟音によるものだった。
音の原因はわからなかったが、車の外、上の方から来ていることだけは理解できた。
ただ、寝起きで定まらぬ視界の中、後部座席へと身を乗り出し手を伸ばす母の姿と、自分と同様に目を覚まし、やはり同様に状況の掴めぬままの妹が、幼い両手を力一杯、こちらの腰に巻きつけ、腹に顔を埋めていた。
「――!」
必死な表情で母が何かを叫んでいる。しかし、外の音が煩くて聞こえない。
だから、母に対し自分も叫ぶ。
「――!」
だが、声は轟音に掻き消され届かなかった。
その時、父の顔が運転席と助手席の間、身を乗り出す母の上から現れた。父の表情にも母と同じ必死の色があった。
そして父が顔を出したのと同時、車が急速に後退した。本来、高速道路上では有り得ない動きで車が動く。
急な進行方向の変化で、母の体が車の前側へと飛ばされた。自分も同様に飛び出しそうになったが、身体を固定していたシートベルトに身を戻される。
ただ、同じ後部座席にいても妹は違う。彼女は座席に横になっている状態だ。
上半身は、こちらの腰にしがみついていた為、飛ばされることはなかったが、下半身はそうもいかない。何の固定もされていなかった両足が、車の動きに合わせて投げ出され、助手席の背面にぶつかり、座席の下へと落ちた。
服越しに僅かな湿り気と嗚咽を感じ、妹が泣いているのだとわかった。落ちた両足の痛みからか、現状に対しての不安からか、将又その両方かはわからなかったが、兎に角、妹を安心させるため、抱き寄せようとしたのと同時、突如、衝撃に襲われた。
◆
そこから先は、全てが一瞬で何が起きたのか理解できなかった。
視界にあったのは、車体全部を抉った巨大な岩塊と、その隙間から滴る赤い液体。それと同様に隙間から飛び散ったのであろう肉片。そして、落下の衝撃によって歪んだ車体と砕けた岩塊の破片によって下半身を圧潰された妹の姿だった。
自分の身体を確認してみれば、変形した車体と岩塊の破片でボロボロだった。特に左腕は酷く、上腕部が太く尖った破片で貫かれ、座席に張り付けられていた。
それでも、辛うじて息のあった妹をなんとか救おうとした。だが、左腕を固定され満足に動かすことのできない体で出来ることなどあるはずもなく、何もできないまま時間だけが過ぎていった。
無理に身体を動かそうとした所為か、左腕の傷口と岩塊の破片との間に隙間ができ、そこから大量の血液が流れ始めた。
それから程なくして自分も意識を失った。妹を救えない無力感とそんな自分に対しての憤り。そして、これから訪れるだろう結末への恐怖を抱きながら……。




