3匹目:改稿
あの日、最初に目にしたのは蛍光灯だった。
部屋の中。唯一の光源だったそれは、硬いベッドの上で眠っていたこちらを無機質な光で照らしていた。
首だけを動かして室内を見回す。
部屋は決して広いとは言えず、窓のない真白な壁に囲われ、外部とのアクセスは脚側にある扉のみ。確認できる範囲で調度品と呼べるものは一切なし。あるのは自分が寝ているベッドとその周囲に配置された計器類や点滴などの医療機器だけだった。
計器から伸びる配線は、頭部、胸部、右腕に集中して繋がれていた。
自分の身に何が起こったのか何一つ思い出せなかった。
ただ、身体には刺すような痛みと関節の軋みがある。だから、自分が怪我をして長期間に渡って意識を失っていたであろうこと、そして周囲の状況から、恐らくはここが病院で、自分は治療を受けた後だということを理解した。
ふと、そこで違和感を覚えた。
その原因は左腕。
そこだけは何故か痛みを感じない。それどころか感覚というものが尽く失われている。
試しに指を動かそうとしてみるが、反応は返ってこない。いや、それ以前に、自分がどこに力を伝えようとしているのかさえ認識できなかった。
見れば、指先から肩口までを包帯に包まれ、その内側から金属製の固定具が数本伸びていた。
そうやって出来る範囲で現状確認を終えたとき、室内に一つの音が響いた。
発生源は脚側。そこにある扉が開いたのだ。
続いて聞こえてきたのは三人分の足音と会話。
会話の内容は聞き取れなかったが、声質から男二人に女一人だとわかった。
音は徐々に近づいてきて、ベッドの真横、左側で止まった。
首を傾け、視線をそちらにやれば、見えたのは白衣姿の三人。真ん中に女性。女性の両側、一歩引いた所に男性が一人ずつという形で立っていた。
よく見れば三人の共通点は白衣だけだった。
真ん中に立つ女性は、三人の中で唯一の東洋人だ。彼女は黒髪を後ろで束ね、黒縁の眼鏡をかけていた。白衣の下には黒のブラウス、そして長い脚を包むのはブラウスと同色のスラックス。
そんな服装の彼女は、右側の男性からファイルを受け取り、その中を確認しながら何かを話していた。
右側の男性は金髪の白人。長身で線の細い彼は、先ほどの女性とよく似たスラックスにライトブルーのワイシャツ、シャツと同系色のチェックのネクタイという如何にも医者といった風の男だ。
最後の一人。女性の左側で計器類に表示された数字を記録している男性。彼は他の二人と比べて異彩を放っていた。
褐色の肌を持つ彼の身長は、右側に立つ白人より頭一つ分高い。いや、彼の鍛えられた体躯見ると、高いというよりは大きいと表現するのが正しく思える。
服装もボロボロのジーンズに草臥れたワイシャツ、と他の二人に比べてラフなものだ。窮屈なのだろうシャツのボタンは上二つが外されている。白衣もサイズが合っていないのか生地が伸びきってしまい、今にも破れてしまいそうだ。
そして、何より異質に思えたのは彼の顔だ。彫りの深い彼の顔は巌のようで、その表面には無数の傷跡が目立つ。
白衣を着ていない状態で紹介を受ければ、医師というより歴戦の兵と言われた方がまだ納得できる。そんな雰囲気を纏う男だ。
と、三人の姿を眺めていると女医から声を掛けられた。
白人男性との話が終わったのだろう、こちらを覗き込むような体制の彼女は、
「意識が戻ったようでなによりだ」
それから彼女は、こちらの返答も待たずいくつか質問をしてきた。
内容はすべてYesかNoの二択で答えられる簡単なもの。
だから、こちらは首の動きだけで答えを返し、それを白人男性が記録していった。
事務的な作業。
何故、そんな印象を受けたのかはすぐにわかった。
色がないのだ。
こちらに質問を繰り返す女医の声には、感情というものが乗っていない。
患者が意識を取り戻したことに対する喜びも、今後起こりうる可能性に対する憂いもない。況して、こちらを気遣う為の繕いなどは皆無だ。
余りの不自然さに、一抹の不安を覚え、しかし、すぐにそれを否定。漫画や映画の世界ではあるまいし、怪我人が運ばれる場所なのだから病院に決まっていると思い直す。
そうして何とか心の整理を済ませたとき、女医から最後の質問が来た。
「どうしてここにいるかわかるかね?」
当然、首を横に振る。
「何も覚えていないのか?」
今度は縦に。
こちらの返答を確認した女医は、そうか、と言ってから再び白人の男と話し始めた。
距離が近い御陰か、今度は会話の内容が断片的にだが聞き取れた。
聞こえた内容は、
一時的。
記憶喪失。
事故。
ショック。
左腕。
妹。
包帯。
と、単体では、あまり意味を持たない言葉。
だが、それらを繋ぎ合わせることで推測する。
自分が事故に遭い、そのショックで一時的な記憶喪失だということ。
事故で左腕に大変な怪我を負ったこと。その結果が今、左腕に巻かれた包帯だということ。
その現場には妹がいたこと。
違う。
少しだけ思い出した。
自分は家族旅行の最中だった。
つまり、現場には家族全員でいたはずだ。
それは自分以外の家族も事故の被害に遭っているということで、同程度、もしくはこれ以上の重傷を負った可能性があるということだ。
しかし、この病室に家族の姿はない。
ではどこに?
疑問の答えを、この三人なら持っているだろうと思い、だから聞こうとした。
「あ、――」
だが、口を上手く動かすことができず、
「か、ぞ――」
途切れ途切れで発された声は、女医には届かず、代わりに、
「ドク、患者が何か言ってるぞ」
低く響いたのは流暢な日本語。その主は褐色の男だ。
彼は、計器類から目を離すことなく、背後にいる女医へと言葉を送った。
ドクと呼ばれた女医は、白人の男との会話を止め、こちらに向けて、
「まだ上手く喋れないだろう。当然だ。君は一週間昏睡状態だった。身体が真面に動くようになるには時間がかかるぞ」
言われ、改めて自分が置かれた状況の重大さを知った。
ただ、今はそんなことよりも、家族がどうなったのかの方が重要で、
「かぞ、くは、ぶじ?」
なんとか言い切った言葉には、しかし、答えが返ってこなかった。だが、病室内に一つの変化が生じた。
それは空気。
今まで硬く無機質だったそれが、急に重く冷えたものになったのだ。
それを誤魔化すように、白人の男が口を開く。
褐色の男と同様に彼も淀みない日本語で、
「ドクター、彼の包帯を外さなくていいのですか?」
あからさまな話題転換。
そのことに気がついているのだろう女医は、こちらの包帯に手をかけながら、
「ルルド君、患者の言葉を無視するのはいただけないな。知りたがっているのだから教えてあげればいい」
その言葉に反応したのはルルドと呼ばれた男ではなく、褐色の男だった。
眉間にしわを寄せ、困り顔の彼は、一度息をついてから
「ドク、君はもっと患者に気を遣うことを覚えるべきだ」
「アースィス君。君の言う気遣いとはなんだね?
我々の尺度で患者を測り、彼らのためだと言って問題を先送りにすることか? それとも患者に選択の機会も与えず真実を伝えないことか? 違うだろう?
そもそも気遣いとは、それをする側の傲慢でしかない。される側の意思を無視して、勝手にわかった気になってやって、自分はそれが出来る人間なのだと陶酔する。そんなもの、された側にとっては無意味。いや、むしろ迷惑以外のなにものでもないな。
なにせ、気を遣われた側は気を遣った側に対して、さらなる気遣いで返すことになるのだから……」
一息。
「本当に無駄な行いだよ」
女医は、こちらの包帯を解きつつ続ける。
「と、説教臭いのはこの辺でやめよう。患者の質問にも答えなければならないからな」
真っ直ぐな視線でこちらを見つめる女医の言葉。
最早、ルルドとアースィスは彼女を止めることを諦めていた。それは、こちらの意思を阻害するものがなくなったということで、だから、女医に向けて一度頷いた。
こちらの言いたいことを汲み取ったのだろう彼女は、
「御家族は亡くなったよ」
何の躊躇いもなく、そう告げた。




