3匹目:
……長く、ない?
坂田は、博士に告げられた言葉を心の中で反芻する。
二度、三度と繰り返し、そして考える。
長くないとはなんのことか。それはわかる。寿命だ。
誰の?
ゴキ子だ。確認するまでもない。博士がそう言ったのだから。
ゴキ子。
今、自分の部屋で眠っている少女。
博士の薬で人になった元害虫。
その少女の寿命が、なぜ短いのか。
見た目には問題ない完全な人間。
言動を見れば、病気からは程遠い健康体。別の意味で頭は悪いが……。
彼女が死ぬ原因など思いつかない。
だから、坂田は問うた。
「……どうして?」
対し、博士は白衣の内側から、薄いプラスチックのプレートを取り出す。
プレートの表面には数枚の紙が留められている。
上を向いていた顔を戻し彼女は、それを見ながら、淡々とした声で読み上げていく。
「動物界節足動物門昆虫網ゴキブリ目ゴキブリ亜目ゴキブリ科ゴキブリ亜科ゴキブリ属ヤマトゴキブリ。
学術名『Periplaneta Japonica Karny』。これがゴキ子くんが人になる前の名前だ」
わかるね? と言って博士が坂田を見た。
坂田が頷くのを確認してから、博士は続ける。
「では現在のゴキ子くんについてだ。身長152.3cm。肉体年齢16歳。体重とスリーサイズは割愛」
「いつ測ったんだ?」
「お・ふ・ろ・ば」
不敵な笑みにウインク付きで博士は答えてから、
「ゴキ子くんの肉体は健康そのもの。病気も怪我も一切なし。薬による細胞の変質も問題なく行われたようだな」
どこか満足気な口調で博士は続けていく。
「では何故、ゴキ子くんの寿命が短いのか。簡単な話だね。日本人女性の平均寿命は85歳程度。日数にして31025日。対し、ヤマトゴキブリのメスの寿命は大体180日。約半年だ。
ゴキ子くんが人間になるまで。つまり、ゴキブリの状態での飼育期間が五ヶ月半。ゴキブリの一生で考えれば彼女は、その殆どを全うしたことになる。その状態から人間になった。」
一拍。
「……この意味がわかるね?」
問う声の先。
坂田は、今、手摺りから身を離し、博士の正面へ。
狭い通路で二人は向かい合う。
坂田の頭は下を向き、肩は僅かに震えている。伸ばされた腕の先には強く握られた拳。相当力を入れているのだろう、拳は色を失っている。
「……知ってたのか?」
坂田の声にあったのは険の色。
だが、そのことを無視して、博士は即答する。
「ああ……」
当然だ、と。
「なぜだ!?」
叫び、坂田は動いた。
一歩を前に踏み、博士との距離を詰める。
両腕を上げ、その動作と同時に閉じられた掌を開き、博士の白衣を掴み、無理やり彼女の体を手摺に押し付け、持ち上げる。
博士の足が通路から離れ、しかし、彼女は取り乱すことなく、それどころか、顔に眉尻を下げた微笑の形で、
「ふふ、思い出すな愚民。君と初めて出会った時のことを」
「昔の話は関係ない! 質問に答えろ!」
「言っただろう、君へのプレゼントだ」
「答えになってない!」
坂田は博士を掴む腕に、さらに力を込め、
「それとも俺のためだとでも言うつもりか!?」
笑わせるな、と坂田は言葉を吐き捨て、博士を掴んでいた手を離す。
拘束の解けた博士は通路に着地し、白衣のえりを整えてから、
「それ以外に何がある?」
発されたのは平坦な声。
坂田を見つめる博士の目は、先程までと打って変わって冷たく鋭い。しかし、そこからは感情というものが一切感じられない。
そんな視線に圧され、坂田は後退りながらも、なんとか反論しようとするが、
「そもそも前提が間違っている」
博士がそれを許さない。
「君は、昔のことは関係ないと言うが、私にとってはあれが始まりだ」
言いながら、今度は博士が坂田へと近づいていく。
「すべてはあの日だ。事故に遭い、重傷だった君を私が治療したあの日」




