3匹目:過去と出会いと始まりと
月と星の瞬く空の下。
商店街でエキサイトしまくっていた山田姉弟を博士が宥めた後、帰宅。夕食など一通り済ませ、今日も、浴室から聞こえてくる博士とゴキ子の艶っぽい声に悩まされた坂田は、今、古びたアパートの二階、切れかけの電灯に照らされた通路スペースにいる。
日付の変わる時間。夏とは言え、冷たい夜風の吹き抜ける場所にいる理由。
それは、一度帰宅したはずの博士から呼び出されたからだ。
「で、夜中に呼び出した理由を聞きましょうか」
開口一番。顰め面で坂田はそう言った。
彼は、Tシャツにハーフパンツというラフな格好で、手摺に凭れ、遠く、灯りの少なくなった住宅街を見つめている。
そんな坂田の言葉が向けられた先、彼の横には昼間と同じ白衣姿の博士。
彼女は、手摺に背を預け、
「珍しく敬語だな、愚民」
「そうですね。もう休みたいんで手短にお願いします」
坂田の答えを聞いて、博士はなるほど、と頷き、
「それで下手に出ているわけか。では、長話といこう」
「……」
「わかった。わかったから、無言で拳を振り上げるのはやめたまえ。ところで、ゴキ子くんは、今どうしている?」
坂田が無言のまま腕を下ろし、手すりの上へ、両腕を重ね枕のようにして、そこへ顎を置き、
「寝てるよ。初めての外に出たんだ疲れもする。用があるなら明日にしてやれ」
それより、と坂田は続ける。
「真面目な話なんだろ? 早く話せ」
一拍。
博士は上を向き、
「そうだな……」
一息。
「愚民、商店街で自己紹介をするゴキ子君を止めようとしたな」
「ああ。悪いのか?」
博士は首を左右に振り、
「悪くはない。君が考えたことはわかるつもりだ。ただ、私が君より先に手を打った。それだけのこと……。あれは、その結果だ」
「だからって従兄妹はないだろ?」
「親子と言われたかったかな?」
博士から聞き返された坂田は、はっ、と息を漏らし、笑みの表情を作り、
「言ってろ」
「冷たいな愚民。小粋なジョークではないか」
同様に博士も笑う。しかし、その表情は長続きしない。
博士は瞼を閉じ、
「なあ、愚民……」
言い淀む博士に、続きを促すための言葉を送ろうと、坂田は腕の上に置いた頭を彼女の方へ向ける。
「――」
だが、そこにある博士の顔を見て、坂田は何も言えなかった。
上を向く博士の横顔は、目尻を下げた力のない、普段の自信に満ちた表情からは想像できないほどに弱々しいもの。
そんな博士に改めて声をかけようとして、それより早く博士が口を開く。
紡ぎ出されたのは、やはり、細く、力のない声。
その声で、愚民、と言ってから、
「これから話すことを聞けば、君は怒るだろう」
「いつも通りだな」
即答だった。
それを聞いて、博士は表情を緩め、
「では、私を軽蔑するだろう」
今度は三秒ほど間を空けてから、
「ああ、いつも通りだな」
「雰囲気ぶち壊しだな、愚民。空気を読むことを覚えたまえ」
言われ、坂田は声を出して笑ってから、
「鏡を見るか、本題に入れ馬鹿」
坂田の言葉に、博士は全身から力を抜き、大きく息を吸う。そして、肺に溜まった空気を一気に外へ送ってから、
「ゴキ子君は、あまり、長く、ないかもしれん」




