2匹目:
昼過ぎの商店街に響く快音が二桁を超えたとき、それは起こった。
音の追加。
何処からともなく現れた牛と豚の着ぐるみ『ビーフン』と『ブータン』が、それぞれ生ハムの原木とメロンの形をした鈍器で、山田弟を殴打し始めたのだ。
殴打は掛け声付きに行われるもので、力強い男の声が『生ハム』『メロン』と交互に繰り返している。
着ぐるみの乱入により、それまで葱を振るっていた山田姉は一歩引き、尻をシバかれている弟を笑顔で眺めていたのだが、生ハムとメロンの掛け声が五回を数えたタイミングで、着ぐるみたちとアイコンタクトを交わし、折檻を再開した。
そして、今、葱で殴られる度に山田弟が発する『スパンキンッ』の声も加わって、『生ハム』『メロン』『スパンキンッ』という奇妙なリズムが産まれ、商店街の客の注目を集めている。
そんな客たちで出来た人垣の最前列に、三人はいた。
三人の中心、左に博士、右にゴキ子を置き、顔を引きつらせた坂田は、
「おい、博士、なんとかしろよ」
坂田の要請に対し、横の博士も、やはり引き気味の口調で、
「いや、愚民。家庭のことに口を出しては悪い。ここは見守ろう」
「まてまて、あれ! もう家族の問題じゃないだろ! 一種のショーみたいになってんだぞ! 学生、見世物にしていいのかよ?」
「私は学生の自主性を尊重したい。ほら見たまえ。山田弟など、あれで中々、楽しんでいるように見えるぞ」
「見えねえよ! どこの世に、四つん這いで! 涙流して! 叩かれるたびに叫ぶ人間見て、楽しそうなんて感想が出るんだよ!」
「マ、マゾ界?」
「疑問系で嫌な新世界創造してんじゃねー!」
ツッコミついでに、博士を蹴りで一歩前へ押し出す。
結果、ギャラリーから注目を浴びた博士は、一度咳払い。
「あー」
何かを言おうとして、しかし、生ハムを振り上げたブータンと目が合い、
「気にせず続けてくれ。うん、心行くまでやるといい」
と、それだけ言って坂田の横へ戻り、
「ぐ、愚民。あれはダメだ。あの着ぐるみ、邪魔者は、あそこの山田弟同様、滅多打ちにする気だぞ」
博士の鬼気迫る表情に気圧された坂田は、
「お、おう、悪かった」
「うむ、それでだな、愚民。一つ名案があるのだが……」
先の一瞬で、博士は、着ぐるみに対して必要以上の警戒心を抱いたのであろう。
坂田たちと着ぐるみの距離は充分に離れていたが、博士は自分の言葉を彼らに聞き取られないよう、坂田の耳元に口を寄せ、さらに小声で、
「何も見なかったことにして、逃げるというのはどうだろうか?」
「それだ」
坂田は即答した。
そして、彼の右、そこに立っているゴキ子に、
「ゴキ子、逃げ――」
るぞ、と続けようとして、言葉が止まった。
なぜなら、右、状況についてこれず、疑問の表情で首を傾げていると思われたゴキ子が、
「きゃー! もう一発! もう一発!」
半ば開いた左手を口元に当て、右腕を天井に向けて突き出し、飛び跳ねて、着ぐるみたちを煽っていた。
これには、坂田と、それに続いてゴキ子の姿を確認した博士も唖然。
内心で、
……害虫少女がバイオレンスー!?
などと叫び、数秒停止。
そして、一足先になんとか我に返った坂田が、声を潜め、
「お、おい、どうするんだ」
坂田の問いによって博士も元に戻り、
「どうするもこうするも、首の根掴んででも連れて行くぞ」
「お、おう」
博士の気迫に押されつつ、言われた通りにしようとした坂田の動きが止まる。
理由は彼の両手、そこには、先ほど博士から押し付けられた荷物が握られていた。
「博士、頼む。」
「む、役に立たない愚民め。仕方あるまい」
……お前の所為だ!
坂田は、そう心の中でツッコミを入れ半歩前へ。
それと同時に博士が半歩後ろ。
そして坂田の背後を博士の右手が通り、ゴキ子の襟首をホールド。
それを確認した博士が、
「よし、行くぞ」
言って、移動を開始しようとしたが、
「いきなり何をするんですか、博士!? 今! 今、いいところですよ!」
突然、身を後ろへ引かれたゴキ子は、驚きと抗議の声を同時に博士へと送る。
しかし、博士はそれに答えず。
代わりというように坂田が、
「残念だが、今日はここまでだ。帰るぞ」
……次回はないがな
と、内心で付け足し、博士に続く。
だが、ゴキ子はそれを良しとせず、体重を前方に傾け、
「ダメですー。あと少しで終わりますからー!」
「はいはい、文句は帰ってから聞いてやるからなー」
言いながら、ゴキ子の身を坂田が肩で押していく。
そうして、博士が人ごみを割って進もうとしたとき、
「あらあら、教授、それに坂田くんも、帰られてしまっては困ります」
笑顔の声が三人の動きを止めた。
声の主は、人垣の中心。そこで四つん這いになった弟の尻を葱で連打する山田姉だ。
彼女は、右手を左右に振り、その動きに合わせて撓ったネギが、弟に往復で叩きつけられている。
これまで彼女の両隣にいた着ぐるみは今、それぞれ四つん這いの背と頭の前に移動し、両腕を使い、鈍器による連打を叩き込んでいる。
そんな異様な風景の中心にいる彼女は続けて、
「まだ、そちらの可愛らしいお嬢さんの名前も聞いていませんのに」
弓を描いた視線を引き摺られていたゴキ子へ。
向けられたゴキ子は自分を指差しながら首を傾げている。
そんな少女に、もう一度笑顔を送った山田姉は、このような状況でなければ、同性でも見惚れてしまいそうなほどの完璧な笑顔を見せ、
「ですから、ええ、もう少しで終わりますので、それまでお待ちください」
その笑顔を見た、坂田と博士は、
「さー、いえっさー」
蛇に睨まれた蛙の気分だった。




