2匹目:
休憩所のベンチに二人の男女が座っていた。
それは、一階に落下した、弟が戻ってくるのを待つという姉と、数十分前からそこに居続けた坂田だ。
そのうちベンチの右側に座っていた姉の方が、笑顔と間延びした声で、
「それで、最近学内でも変態として有名になりつつある坂田くんは、こんなところで何をしているのかしら?」
「先輩、あえて前半無視して答えますけど、買い物中の知り合いを待っているんです」
坂田の返答を聞いた先輩は、あらあら、と言って右手を頬に当て、左手で握りこぶしを作り、小指だけを持ち上げて、
「もしかして、コレ? 爆発すればいいのに」
「違います!」
坂田は否定しつつ、
……なんだ、これは流行ってるのか。
と、そんなことを考えていると、横、姉の方が、
「でも、待ってるのは女の子よね」
それを聞いた坂田は、自分の顔が引き攣るのを感じた。
そして、一つ思うことがある。
ゴキ子の存在についてだ。
ゴキ子。つい昨日までゴキブリだった少女。
そのことが世間に知れ渡ったらどうなるか。
普通の人間なら、まず信じない話だ。こんなことを言えば、こちらが奇人扱いされるのがオチだろう。しかし、万が一、なにかゴキ子の正体に通じるものが出てきた場合、その後の展開は容易に想像できる。
……まずいな。
今更ながら、坂田は己の愚行を悟る。
仮に今、横にいる先輩にバレたとして、面白がって広めたりはしないだろう、弟の方共々それくらいの信頼はしているつもりだ。
だが、ここは商店街で、平日だがそれなりに人通りもある。偶然、こちらの会話を耳にした人間がどのような反応をするかなど予想できるはずもない。くだらない戯言と忘れてくれればよし、しかし、興味を示したり、冗談半分でネットに書き込まれでもしたら、それこそ取り返しがつかない。
特に、ネットに流れてしまえば不特定多数の人間が目にすることになる。その上、一度出回った情報を消すことは不可能に近い。
最初はちょっとした噂程度でも、それは大きくなればいずれということもある。だから今は、
……誤魔化すしかない。
そう決めて、坂田は、しかしそのことに気づかれぬよう、
「ど、どうしてそう思うんですか?」
努めて冷静に、できる限りの笑顔で、そう言った。
対する先輩は、坂田の態度に違和感を感じたのか首を傾け、頬に当てていた右手で休憩所前にある衣料品店、その入口を指差す。
「だってあの子、坂田くんに手を振っているように見えるわよ」
言われ、坂田は先輩の指が向く方を見る。
そこには、セーラー服姿で長い茶髪を揺らしながら手を振る少女、ゴキ子がいた。
……ナイスタイミングで御本人降臨!?
と、焦る坂田を余処に、正面の少女は飛び跳ねて彼に自分の存在をアピール。
横の先輩は、そんな少女を眺めながら、
「可愛らしい子ね。制服を着ているあたり、学校の帰りなのかしら」
などと言い、一息間を入れてから、
「でもね、坂田くん。援助交際はいけないことなのよ」
知ってた? と間延びした声で続けた。
「そんなことしとらんわ!!」
咄嗟のことに敬語を忘れたが、それくらいのことは許してくれる人なので気にしない。
「ならいいけど。行ってあげなくていいの? 知り合いなのでしょう」
「あ、ああ、そうですね。いってきます。それと、援交じゃありませんからね」
そこだけ誤解なきように、と念を押して、坂田はゴキ子の方へと駆け寄る。
背後から、ちゃんと紹介してくださいね、と、そんな声が聞こえるのに手を挙げて返し、目の前の少女に声をかける。
「ゴキ子、終わったのか?」
「はい。博士もすぐに出てこられるかと」
話しかけられたゴキ子は、笑顔で坂田に言い、自分が出てきた店の入口へ一瞬確認。
そして、戻した視線で、先ほど坂田が座っていたベンチ、そこに一人となった先輩を見て、
「坂田さん、あちらの方は?」
「ああ、大学の先輩だ。偶然そこで一緒になってな」
数分前、休憩所で行われた奇行については、一切の説明を省いてゴキ子に伝える。
そんなやり取りをしていると、ゴキ子の後ろ、衣料品店の入口から白衣が出てきた。
白衣、博士は坂田とゴキ子の姿を確認すると、両手いっぱいに下げられた紙袋を持ち上げ、
「待たせたな愚民。さあ、荷物持ちは任せるぞ」
「お、おい、なんだこの量!?」
「ゴキ子くんの衣類一式だ」
「多すぎるだろ!」
「女の子だからな。ほら、持て。私は腕が疲れてしまった」
「理由になって、っておいこら! 無理やり持たすな!」
坂田に荷物を押し付けた博士は、
「さあ、行こうか」
休憩所の方へ歩こうとして、停止。
「おや、あれに見えるのは山田姉か」
博士の向く方向には、ベンチから立ち上がり、こちらに歩いてくる先輩がいる。
先輩は三人の前まで来ると、博士に向かって一礼し、
「お早う御座います、教授。まさか、このようなところでお会いするとは思いませんでした」
教授と呼ばれ挨拶を受けた博士は、一度頷き、
「偶然だな。山田姉は買い物か?」
「ええ、弟と少し。教授は坂田くんと……、デートですか?」
「ああ、愚民がどうしてもと言うのでな」
と、博士と山田姉の一連の会話を聞いていたゴキ子が、横に立つ坂田に、
「あの、教授というのは?」
問われ、坂田はゴキ子を手で制し、
「さらっと嘘言ってんじゃねえ!」
博士の背に膝蹴りを見舞った。
そうした後、何事もなかったようにゴキ子に質問に答える。
「あの馬鹿白衣はな馬鹿なのに大学の教授なんだ。あー、大学はわかる?」
コクコクと頷くゴキ子を見て、
……それはわかるのかー。
と思いつつ、坂田は続ける。
「それで、あの人」
博士と会話する先輩を指差し、
「山田さんと俺と、今いないけど山田さんの弟が博士の教え子なわけ」
坂田の説明を聞いたゴキ子は、へー、と感心したように息をつき、
「博士は偉い方だったんですね」
「それは違うぞ。カースト的には上から先輩、俺、遠く離れて博士。そして超えられない壁の向こう側に山田弟だ」
「博士、イマイチですね」
納得したように首を振るゴキ子を見て、坂田は本当によくわからん知識ばかり詰まっているな、と考えてしまう。
坂田が思案に耽っていると、山田姉と会話していた博士が、
「ゴキ子くん」
呼ばれ、ゴキ子が博士の横に移動しようとしたタイミングで、
「待てえええええええい!」
声が来た。
声の主は、商店街の二階部分、店舗前の通路スペースを疾走してくる。
よく見れば、それは先刻、一階へと飛び降りた山田弟だ。突き落としたとは言わない。
山田弟は叫びながら、四人の五メートル手前でジャンプ。空中で膝を折り、正座する。
そして、通路に両足が触れるのと同時、腰を前側へ倒し、額を地面に擦りつける。擦れる頭の横には両手が置かれ、そのままの体制で四メートルほど滑走。ゴキ子の目の前に停止し、
「婚姻届に印鑑をお願いします!」
両手をゴキ子に突き出して言った。
その姿を見た博士が山田姉に、
「なかなか斬新な告白をするな、君の弟は」
「ええ、先進的すぎて着いていけません。
とりあえず黙らせて折檻するのでお待ちください。ええ、ここで何が起こっても家族の問題と、そう思っていただいて口出しなきよう」
言った表情は満面の笑み、声はゆったりしたものだった。
その表情のまま博士と坂田、そしてゴキ子の順で見回してから、
「お願いしますね」
三人が首を激しく何度も縦に振るのを確認した後、満足げに頷くと、
「はい、どーん」
気の抜けるような掛け声で土下座の弟の尻を引張たいた。いつの間にか片手に握られた葱を使って。




