1匹目余談:あれ? 真面目な話は? in浴室
温かい風呂場の空気に包まれて、二人はいた。
二人は風呂場にいながら、しかし、湯船に浸かってはいなかった。そのうちの一人、ゴキ子は風呂場の床に座り、もう一人である博士はその正面に立っている。
先に口を開くのは博士だ。
「何から説明しようか、うむ、やはり薬の効果の説明からするのが筋、か」
一人納得する博士を見て、ゴキ子は首を傾げる。
「あの、博士?」
「ああ、すまない。始めようか」
「はい」
「ではまず、君を人間に変えた薬についてだ。
あの薬は虫の体の各部分を人間のものに変化させるとのことだ。
まず、虫と人が共通して持つ器官をそれぞれに対応させて変化させる。
そして、人にしかない器官と虫にしかない器官の処理を行う。その際、虫にのみ存在する器官を近似する人の器官へと代用して作りだすのだ。
さて、ここで件の油膜の話になるわけだが。私が推測するに、ゴキ子君の油膜は、そうだな人間の皮脂か何かに変換されたのではないだろうか。そして皮脂とは、洗い流したところで、君の生死に直ちに影響を与えるようなものではない。
私の説明不足だ。その所為で、ゴキ子君に大きな不安を与えてしまった事を本当に申し訳ないと思っている。今からでも君が望むのであれば、元の姿に戻れるよう、全力を尽くす」
博士が素直に頭を下げる。
それに対しゴキ子は答える。
「博士、どうか頭を上げて下さい。私は人間として生きる事を決めました。これからも博士と坂田さんに、たくさん迷惑を御掛けする事になります。だから、お互い様と、そういうことにしませんか?」
「ありがとう、ゴキ子君。君は本当に優しいな。少し気持ちが軽くなったよ」
「いえ、私の方こそ博士の説明がなければ誤解したまま、これからの生活を送るところでし――くしゅん」
「ふふ、今日はこのあたりにしておこう。これ以上は本当に風邪をひいてしまう」
そう言った博士は不敵な笑みを浮かべ、手にはタオルが握られていた。
「あの、博士、そのタオルは――」
「これか? これは君の体を洗う為のタオルに決まっているではないか。ふふふ、怯える必要はない。安心して私に身を委ねたまえ」
「え、あ、ちょっと、いやあぁあああぁぁ!!」
◆
「……」
二人が風呂に戻ってから暫くの間、俺は放心していた。
理由は一つ。それは俺の体に残るゴキ子の感触だ。考えてみると、異性の体に直接触れるのは初めてのことだった。
「柔らかかったな」
今、風呂場からは二人の声が聞こえている。その端々に、なにやら艶めかしい声も混ざっているわけで……。
「……駄目だ。考えるな」
思考がまた邪な方向へと向かいつつある。自制しなくてはならない。でないと、
「犯罪に走らない自信がない」
◆
「うーあー」
二人が風呂から出た後、俺も風呂に入ったわけだが、体を休めるどころか逆に疲れがたまった気がする。
「あの二人の後に入ったのが失敗だったかな……」
だからと言って、先に入るのも……。
「坂田さん、どうかされましたか? 顔が赤いですよ」
「お、おう、なんでもないぞ」
まさか、風呂で煩悩と戦っていたなんて口が裂けても言えない。
「大方、愚民は風呂で先に入っていた私達の様子でも想像していたのだろう。まったく、言ってくれれば私が一緒に入ってやったものを」
どうして博士は、尽く俺の考えを読んでくるのだろうか。それと、最後の一言は余計だ。
「よし、風呂上がりの艶っぽい愚民を、おちょくることもできたことだし、私はそろそろ帰るよ」
言って博士は扉まで歩く。
「博士、ありがとうございました」
俺のいない間になにがあったか知らないが、ゴキ子はかなり博士に懐いたようだ。
「気にするな、ゴキ子君。またなにかあったら相談したまえ。それと愚民、ゴキ子君と二人きりになるからと言って、夜這いなどしないように。もし、どうしても耐えられなくなったなら、私に夜這いをかけることだ」
「誰がするか!」
真顔でなんてことを言いやがる……。
「ああ、それと愚民、明日の朝食は和食で頼むよ」
ただでさえ、とんでもない爆弾を投下していった博士は、さらに、そんな言葉を残して部屋から出て行った。まだ、泊っていくなどと言い出さなかっただけ、良かったと考えるべきか。兎に角、
「明日も来るのか博士は……」