1匹目:
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「では、そういうことで頼んだ」
少女の告白を聞いた瞬間、立ち上がった博士は、そう言って手を振りながら玄関へと向かおうとした。
何が、では、だ。この女、自分で蒔いた種を収穫せずに逃げ出す気か……。
「待てコラッ! 何が、頼んだ、だ」
こちらに背を向け、足早に立ち去ろうとした博士の動きを肩を掴むと、彼女は不服そうに振り向き、
「まだ何かあるのか? 君は毎日が休日だからいいかもしれないが、私は明日も仕事がある。それに、まだ新しい職場に慣れていない所為か、いつも以上に疲れていてな。出来れば早く帰って休みたいのだが……」
「だったらあいつも連れて帰れ」
「断る」
二人の視線の先には、足が痺れている所為か、胸を張った姿勢のままピクリとも動かない少女がいる。彼女はぎこちない動きで顔をこちらに向け、
「私のことを無視しないでください!」
「兎に角、絶対に連れ帰ってもらうからな!」
無視した。
「ははは、断る――」
……わかってたよ馬鹿野郎!
「言っとくが、お前があいつを置いて帰ったら俺はあいつを放り出すぞ」
「やればいい。君にできるならな」
飄々と言って博士は少女の方へと歩み寄る。
「しかし田舎とはいえ夜中は治安が悪い。少女を一人で放り出すのはおすすめできんな」
言いながら少女の背後に回った博士は、彼女を後ろから抱き締める。左腕は少女の腰に回して逃げられないようホールド。空いていた右腕を足の付け根へと滑らせ、這うような動きで少女の尻や内腿を撫で始めた。
ただでさえ痺れていた足を突然刺激され、少女の体が跳ねる。
肩を震わせる少女は、声を漏らさないよう、両手で口元を押さえているのだが、それでも、ヒッとかヒャッという声が微かに聞こえてくる。
「悪漢どもにこんなことやそんなことをされて、明日の朝にはボロ切れ同然の状態で捨てられることになるだろう。いや一晩では終わらんか……」
軽い口調とは裏腹に話す内容は、あまりも低俗で、現実に起こるとは思えないものだ。だが実際には現実で起きていて、ともすれば誰だって被害にあう可能性がある。そういう話だ。
そんなことを平然と言ってのけた博士は、少女を撫でる手を止めず、笑みを含んだ声で更に続ける。
「うまく駅裏のホテル街まで辿りつければ、優しいパパが買ってくれるかもしれんな」
どうして博士は、そんなことを言うのか。
博士にとって最悪のケースは、少女が博士の監視下から離れること。なのに、博士は大事なサンプルであるはずの少女に固執しない。手元を離れても構わないと、そんなことを平気で言ってくる。
ここに少女を置いていっても、こちらが彼女を放り出さないと、そう高を括っている。だから、この女は、あんななことを平然と言えるのだ。
残念なことに博士の予想は大当たり。
さっきまでの生意気な少女ならばいざ知らず、今、潤んだ瞳でこちらに助けを求めてくる少女を見捨てるなんてことは出来ない。
……ならどうする? このまま諦めて少女を引き取るか?
違う。それは、あくまで最後の選択肢。まだ博士に対する攻め手は残っている。
「仮に、百歩譲って俺がそいつを引き取ったとしよう。で、だ。それで俺がその子を襲わない保障があるのか?」
無論、そんなことをするつもりはない。
だが、二人にとっては別だ。健全な男子大学生、それも一人暮らしの部屋に無防備な少女を放り込むのがどれほど危険か、それが判らない訳ではないだろう。最初から逃げ場のない密室が完成している分、外で襲われるよりも危険なことくらい、どんな馬鹿でもりそうなものだ。
それなのに博士は少女を解放し、
「よーし。私は帰るぞ。後は君に任せた」
「待て待て。今の聞いてた?! 聞いてたよな!?」
「勿論だ。彼女を引き取ってくれるのだろう? いやよかったよかった。これで一安心だ」
心底安心したと言うように、博士は再び玄関へ向かおうとする。
「おまっ、ちょっと待てって。あいつ、あんな状態なんだぞ。本当に襲っちまうからな!」
指差した先、少女は、床にへたり込んで動かない。
俯き、垂れた前髪で顔が隠れて表情までは読めないが、髪の隙間から見える上気した頬と、荒い息遣い、震えるように上下する肩をみるに相当弱っていると言うことはわかる。
しかし、少女がそうなった原因である博士は、少女の方に見向きもせず、
「出来もしないことを声高に言うものではないな。君の場合、仮に彼女のから誘ったとしても断るだろ」
「……」
その通りだから反応に困る。
生まれた一瞬の間に何を勘繰ったのか、ニヤついた顔で振り返り、
「何を想像しとるんだ君は。そんなこと、天地がひっくり返っても起きるわけなかろう。据膳を食う度胸もないくせに、妄想だけは一人前だな。だいたい君は、童て――」
「帰れー!」
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