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4 御影家の事情

*********************************************



 調練用の棍を下段に構え、須桜は眼前の仮想敵に目を据えた。

「始め!」

 部隊長の声と共に地面を蹴る。繰り出した突きをかわされた。男は刀を振りかぶる。懐へと飛び込んだ。

 肘を男の腹に叩き込む。が、固い筋肉に護られ男は堪えた様子もない。軽く舌を打つ。軽量な自分の身が恨めしい。

 男が身を翻す。後ろを取られた。身を屈め横に跳ぶ。須桜の髪を刀が掠めた。鋭く風を切る音がする。

 着地と同時に体勢を整え、男の側頭部を狙って棍を振りかぶった。

 刀で受けられる。鈍い音がした。掌が痺れる。男の足が動いた。

(蹴られる)

 腕で身を守る。が、衝撃は殺しきれず須桜は地面に転がった。勢いに任せそのまま地面を転がり男から遠ざかる。

 棍を逆の手に持ち替え身を起こす。男の突きをすんでのところでかわした。痺れた左腕はしばらく使い物にならない。

 男は須桜に体勢を整える隙を与えない。腕が回復するまでは、と男の攻撃をかわしながら隙を窺った。

 男が大きく振りかぶる。脇が空いた。そこを目がけて棍を繰り出す。捕らえた。ぐうと男は呻く。

 続けて刀を持つ腕を狙う。打撃に耐え切れず、男は刀を取り落とした。とどめとばかりに須桜は振りかぶる。

 それが隙となった。男は須桜の攻撃をかわし、固めた拳で須桜の顔を狙う。避けられない。

 せめて衝撃を和らげようと身を反らす。殴られた。瞼裏に星が散る。地面に叩きつけられる。が、棍はけして手放さない。

 須桜は立ち上がり手の甲で鼻血を拭った。口中も切ったようだ。不味い。男が刀を拾おうと身を屈める。

 その腕を蹴った。男が身を反らす。その喉元に棍を突きつけた。にたりと笑う。

「あたしの勝ち」

 男は喉元の棍を半眼で見つめ、そして大きく溜息をついた。顔の高さに両手を上げる。

「止め!」

 部隊長の号令がかかる。その声で緊迫した空気は霧散した。須桜は調練着の肩口で、垂れる鼻血を拭った。

 赤官の調練場である。先程から二人一組となり、一対一の調練を行っていた。

 ピィ、と笛の音が鳴る。それを合図に、組み合わせの相手が巡る。

 まだ若い少年が次の相手だ。須桜と同じぐらいだろうか。

 少年の右手首が腫れている。調練用の武具は刃を潰してあるとはいえ無力ではない。

 手首の他に見たところ傷はない。

(……よし)

 あの腕を重点的に狙うとしよう。どうやら怪我をしているのは利き腕のようだ。構えが多少ぎこちない。

 口中にたまった血を吐き捨て、須桜は棍を構える。

 頭部への衝撃と出血とで視界が揺らいでいる。先程受けた痛みはまだ消えていない。

「始め!」

 だが号令は待ってくれない。痛みを無理やり意識の外に押しやり、須桜は地面を蹴った。









 腫れた頬に氷嚢をあてがい、須桜は右影舎(うえいしゃ)を歩いていた。

 右影舎とは御影の住まいである。如月の御殿である支暁殿を挟んで右に位置し、草薙の居屋である左影舎(さえいしゃ)と対になる存在だ。

 腕や足には自分で作った湿布薬を張りつけている。小さな擦過傷も消毒済みだ。

 剥けた掌は消毒だけして、そのまま放置してある。物に触れると傷が痛むが、包帯を巻かずに乾燥させた方が治りは早い。

 須桜は一室の襖を引いた。

 途端にむわりと臭気が鼻を刺激する。鼻どころではなく目まで刺激され涙が滲んだ。

「相変わらずくっさい部屋ね」

「うるさいぞお前の部屋だって似たようなものだろうそれにお前も汗臭い」

「……臭くないもん」

 調練着は脱いできたし、簡単に汗も拭ってきた。この臭気の中で更に臭うほど須桜の体臭は激しくない。

 そう分かりつつも思わず着物を引っ張りにおいを嗅ぐ須桜だ。うん無臭だ。大丈夫。

 来訪にも振り向かず、黙々と薬を煎じ続けている背に向かって、須桜は声を投げかけた。

「今日は何作ってるの?」

「よくぞ聞いてくれた!」

 叫びながら勢いよく振り向く。

 眉上でぱっつりと切り揃えられた前髪。灰色がかった薄茶の髪は短く切られている。彼の髪は薬品を作るのに邪魔だからと言う理由で短く切られているのだが、それが高じて丸坊主の時期もあった(ちなみに見た目が気に食わない、と由月に強制的に髪を生やさせられ、今の髪形に落ち着く事になったという経緯を持つ)。

 二十三の男にしては細く、背も低い。華奢と言っても良いかもしれない。それに猫背な事もあり、更に小さく幼く見えた。

 その華奢な体には薄汚れた医療着を纏っている。所々に様々な色の染みが滲んでいた。

 大きな鳶色の目は喜色と自信で爛々と輝いている。白い頬は黒く汚れていた。

 御影青生(あおい)

 彼は須桜の兄である。

 須桜によく似た面差しに(正確には自分が青生に似ているのだろうが)満面の笑みを浮かべ、青生は胸を張った。

「青生は何と更に強力な火薬を作り出したのだどうだすごかろう!」

「うんすごいすごい。けど何がどうすごいのよ」

 襖を閉め、須桜は青生の背中越しに彼の手元を見やる。広げられた敷布の上には粉状の黒い粉があった。

「少量で以前の物と同じぐらいの威力があるだから更に分量によって爆発の規模を調整できる」

 流石は青生だ、と腕を組んで大きく頷く。

 須桜は青生の隣に腰を下ろした。今日は異臭がしない。

 青生は薬品作りに没頭するあまり、風呂に入る事も食事を取る事も忘れる事がある。今日は妙な臭いがしない。無理やりにでも風呂に入らされたか、それともまだ正気を保っているのか。

 どちらにせよ臭くなければそれで良いのだが。しかしこの部屋に満ちる薬品臭のおかげで、須桜の鼻も馬鹿になっている。いつも通り全体的に青生は薄汚れているし、彼が清潔だと言い切れる自信はなかった。

「しかしどうしたのだ妹よ顔が汚い事になっているぞ」

「赤官の調練に加えてもらったの。それで」

「それで殴られたのかまだまだだなお前もまだまだだ!」

 須桜の顔を指差し、けたけたと青生は笑う。

「知ってるわよ。兄貴鬱陶しい」

 ぺしりと指を叩き落す。だが青生はめげもせずに、須桜の身体を見て更に声高に笑った。

「わはははは傷まみれではないか顔だけではなく手も腕もそれに足も!」

「もー……うるさいなあ……」

「傷はそれだけか!?」

「これだけ。消毒ももう済んでるわ」

「何だつまらん治療をしてやろうと思ったのに」

 ふいに真顔に戻り、青生は実につまらなさそうにそっぽを向いた。

 青生の調合の腕は確かだ。薬もよく効く。

 だがしかし、沁みるのだ。それはもう、どうしようもなく沁みるのだ。

 ちなみに青生はわざとやっている。同じ消毒をするにせよ、須桜の調合した消毒薬はそこまで沁みない。

「しかし一度消毒をしたら二度目をしてはいけないという事もないな同じ薬なら尚更だ何の薬を使ったのだ?」

「教えない教えるわけない」

 身を引き、須桜は青生から距離を取る。が、青生はじりじりと距離を詰め、がっと須桜の手首を握った。

 須桜の掌に顔を近づけ、青生はふんふんと鼻を鳴らした。

「ぎゃあああああ気持ち悪い離して離してえええ!!」

「分かったぞ!!」

 青生は救急箱を開き、薬瓶を取り出した。嬉々とする青生に背を向け、須桜は襖を開く。

「何故逃げるのだ妹よこの青生がせっかく治療をしてやろうと言うのに!」

「逃げるに決まってるわよ!」

「待て待て待て待て逃げたらそこの新作の火薬は試させてやらんからな!」

 ぴたりと動きを止めた須桜の襟首を掴んで引き戻し、青生はにこりと笑った。

「痛みに耐える試練だと思え」

「……卑怯者…………」

「何とでも言うが良いむしろお前は青生に感謝すべきだ拷問を受ける練習よりもずっと良い何せ傷を得る事もなくむしろ傷の治りは早まるのだからな」

 青生の指がぎりぎりと手首に食い込む。

 いったいどこにこんな力を秘めているのだろう。普段引き篭もって調合ばかりしているのに。

 はあ、と大きく息をつき、須桜は覚悟を決めた。

「さてさてさてさてー」

 妙な節回しで言いながら、青生は薬に浸した脱脂綿を取り出す。

 ちょい、と軽く傷口に触れた。途端痺れるような痛みが身体を貫く。

「い……っ……!!」

「よし行くぞ須桜!」

「言うの遅いわ馬鹿あああああ!!」

「わはははは不細工な顔になっているぞ愉快愉快!」

「このアホ兄貴いいいい!!」

「よし次は左手だ貸せ!」

「……っ……ぎいぃ……っ!」

 歯を食いしばり、両手指を突っ張り痛みに耐える。青生の高笑いが腹立たしい。

「どうだ沁みるか沁みるだろう?」

 須桜はぜえぜえと荒い呼吸で青生を睨んだ。青生は実に楽しそうな笑顔をして、痛みに滲んだ須桜の涙をぐいと乱暴な手つきで拭った。

「やはりお前の反応が一番面白いな由月はまず怪我なぞせんし草薙の二人は痛くても悟らせんし」

 鼻歌を歌いながら、青生は火薬に手を伸ばした。

「お前の次は紫呉だな必死で痛みを耐えて耐えて耐えて結局耐え切れんのが実に愉快千万だ!」

 青生は慣れた仕草で透明の膜に火薬を包む。湯冷ましを注いだ湯のみを須桜の前についと進めた。

「よし褒美ださあ飲め!」

 ぽいと口の中に入れられる。結構な大きさのそれを、須桜は湯冷ましで無理に腹の中に流し込んだ。

「……あーもー……。この馬鹿兄貴……」

 一気に体力を削られた。疲れがどっと体を重くする。

 須桜はその場に横たわって目を閉じた。

 調子外れな兄の鼻歌を子守歌に、須桜は打ち寄せる眠気の波に身を任せた。



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