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1 雀の囀り

**********************************************



 紫呉は北乾第三区を訪れていた。第二区と面した付近は多少の猥雑さもあるものの、この付近は随分に穏やかである。

 午後の日差しを浴び、井戸端で楽しげに会話を交わす女性や、散歩をする老人の姿がちらほらとあった。

 萌月の風が心地よい。胸いっぱいに吸い込めば花の香りが鼻腔をくすぐる。

 紫呉は立ち並ぶ町家の一軒を訪ねた。家屋の側にはごく小さな畑がある。頬被りをした青年が鍬を手に畑を耕していた。

莉功(りこう)殿」

 紫呉の呼びかけに、彼は垂れた汗を拭いつつ顔を上げた。

「おんや、こりゃお久しぶりで」

 莉功は頬被りを取り払い、にこりと笑った。

 銀鼠の髪と眼鏡が良く似合う、知的な風貌をした青年だ。眼鏡の向こうには、酷薄な印象を受ける灰色の目があった。

「次男殿が俺らみたいな下々のとこにくるなんて何か有ったんですか?」

 莉功はからかうような笑みを浮かべる。そして恭しく膝をついた。

「……排跪は命じていませんよ」

「ではそうご命令を」

 からかう声音が腹立たしい。紫呉は莉功に聞こえるよう溜息をついた。

「橘莉功、排跪を禁ずる」

 わざと兄が使うような厳しい声音で言ってやる。一連のふざけたやり取りに満足したのか、莉功は立ち上がってからからと笑った。

「いんや悪いねえ。久しぶりなもんでからかいたくなっちった」

 片目を瞑り片手で後頭部を撫でる。二十代後半の男がやっても可愛くも何ともない。

「先日、壱班でお会いしたでしょう」

「やあまあそうだけどさ。うちに来るのは久しぶりっしょ?」

「そうですね。今日は非番ですか?」

「そ。なのでこうして趣味の家庭菜園に精を出してるわけですよ」

 莉功は瑠璃治安維持部隊乾壱班に属している。部隊長を務めるほどに優秀な男だ。知的な風貌に部隊長という肩書きは良く似合う。しかし一度口を開けば、何故この男が部隊長を務めているのかと人々は思うだろう。

 だが彼が優秀な壱班の隊員である事は事実だ。そして、優秀な鳥獣隊の一員である事も。

「で、今日はどうしたんだ?」

(ひろし)殿に礼をね」

 と、紫呉は手に提げた風呂敷包みを目の高さに掲げた。ここに来る前、悠々館に立ち寄り包んでもらった菓子だ。

「礼? ……って、ああ。こないだのか」

「ええ」

 先日、里炎組の騒動の際に洋の手を借りた。その礼を述べに来たのだ。……非常に億劫ではあるのだが。

 門扉に手をかけ、紫呉は大きく深呼吸をする。この先高確率で苛立ちを感じると予測される。心を静めねばなるまい。

 よし、と気合を入れ、紫呉は扉を開いた。

「お邪魔します」

「邪魔だと分かっているのならお帰り下さい」

 橘洋は文机に向かったまま、顔を上げずに一息で言った。

 思わず固まる紫呉だ。落ち着けと自分に言い聞かせる。予想はしていたではないか。

 どうやら自分は四つ年上のこの男に嫌われているらしい。彼に何かした覚えは無い。嫌われている理由が分からないので、洋に厭われている部分の直しようがない。

 まあ、分かったところで直してやるつもりもないのだが。自分を嫌っている男の思い通りになってやる必要は無い。

 草履を脱いで部屋に上がる。部屋には墨の香りが立ち込めていた。

 洋は文机に向かい、黙々と筆を走らせている。ひどい猫背だ。節くれだった指には、所々に墨が付着している。

 痩せた体に青白い肌。目の下にはうっすらと隈が浮かんでいた。健康体であるにも関わらず、実に不健康な容貌をしている。

 短く切った銀の髪に、細い縁の眼鏡。その向こうには灰味の強い緑の目がある。その色味もあいまって、洋はより一層不健康に見えた。

 紫呉は洋から少しばかり距離を置いて腰を下ろした。

「……まあそう言わず。今日は先日の礼に伺いました」

「先日? あれから何日経っているとお思いですか。非戦闘員の私の手をわざわざ煩わせたというのに全く……。あなたは本当に腰の重いお方ですね」

「…………あの後兄さ、……跡継殿から指令が有ったもので」

「お待ちなさい」

 ばん、と文机を叩き洋は顔を上げた。

「あなた今、何とおっしゃいました」

「…………跡継殿から指令が有ったもので」

「その前です!」

 洋は足音高く立ち上がった。面倒臭い事になった。……いや、ドジを踏んだ自分が悪いのだが。

「兄様とおっしゃいましたね? 全く、公私を混同しないで頂きたいものです。もっときちんとなさって下さい!」

「…………申し訳ございません」

 ああ面倒臭い。

「指令とおっしゃいましたが、もしや大麻に関連したあの事件ですか?」

「ええ、そうですが」

「そうですが何なのです」

「……いえ、ただの相槌です」

「そうですか。面倒臭い人ですね」

 それはお前だ。

「まあそれは良いのです」

 良いならばいちいち突っかかるな。

「これをご覧なさい。私が書いてさしあげたのですよ。感謝なさい」

 洋は紫呉の眼前に、ずいと一枚の読売を突きつけた。

『強盗か? 吉江邸真夜中の討ち入り』

 大きな見出しが躍っている。その下に詳細があった。その詳細はもちろん真実ではない。作られた真実だ。

「感謝なさい。私の手助けあってこそのあなたがたなのですからね」

「……ありがとうございます」

 洋の言う通りではあるのだが、何となく素直に礼を言いたくない。

 洋は鳥獣隊『雀』の一員だ。里の動向を調べ奏上すると同時に、こうして『真実』を里に流すのが務めである。

 彼の兄、莉功も同じく『雀』の一員である。壱班に所属する彼は、壱班でしか持ちえぬ情報を得ること、また時には壱班でしか出来ぬ後始末を任されている。

 更に読売には、例の如く如月家の事が記されていた。いつも通りの、優秀な跡継様と愚昧な次男のお話だ。

 曰く、次男は毎日の如く闘技場に通い銭を撒き散らしているとか。

「何ですか? この闘技場って」

「あなた、礼を述べに来たのでしょう? ならば質問をする前にまずするべき事をなさっては如何です?」

 洋は嘆息し、眼鏡をくいっと押し上げた。

 ぐ、と紫呉は息を飲み込む。ああもう本当に面倒臭い。

 正座をし、姿勢を正す。風呂敷包みを洋の前にそっと押しやり、三つ指をついて頭を下げた。

「……先日は、どうも、ありがとうございました。非戦闘員の洋殿の手を借りる事となったのは、こちらの……僕の不手際です。今後めったな事の無い限り、お手を煩わせる事の無いよう気をつけます」

 洋の癇に障らぬよう、慎重に言葉を選んで言った。

 よろしい、と洋は満面の笑みで大きく首肯した。銀の髪が首肯に合わせて揺れる。

 その笑みにもやりと苛立ちが湧き上がる。確かに手を煩わせたのは悪いと思っている。手を貸してくれた事も有難いと思っている。

 だがしかし。しかしだ。何だか釈然としない。素直に悪いとも有難いとも思えない。

「そうそう。先程のご質問ですが、まさかご存知ではないとはねえ? 私がわざわざ作って差し上げるまでもなく、あなたは本当に昼行灯なのですねえ」

 得意げな笑みで、洋はやれやれと首を振る。

「あなたが私に教えて頂きたいとおっしゃるのなら、教えて差し上げない事もないんですがねえ」

 ああもう本当にこの男は。

 ちらちらと期待に満ちた視線を洋は寄こす。紫呉の懇願を待ち望んでいるようだ。

「……いえ、洋殿のお時間をこれ以上頂いては申し訳ないので」

 結構ですと首を振れば、洋は慌てて手を伸ばした。

「な、ちょ、それではどうするのです。し、知らなくても良いのですか?」

「わざわざあなたに教えて頂く必要はありません」

「んな……っ」

 洋の面に朱がのぼる。握った拳がわなわなと震えていた。

 何を言おうと、何をしようと洋が紫呉を嫌っている事は変わらない。ならばこちらも遠慮する必要はない。何を言おうと何をしようと、嫌いが大嫌いになるくらいだ。大した違いではない。

 礼はもう述べた。これで貸し借りは無しだ。ならばもう下手で出る必要はない。

「洋殿?」

「な、何です」

 にこりと笑い、紫呉は洋の手を取った。

「相変わらず白い肌をされてますねえ。たまには外で遊べ外で」

「んな、な、そんなの私の勝手です!」

「洋殿を見ていると何かを思い出すんですよね……もやしと言うか苔と言うか隠花植物と言うか……」

「私は人類です!」

「菌類?」

「じ・ん・る・い!」

 ばっと手を振り払われる。

「ああもう腹立たしい! さっさとお帰りなさい!」

「眼鏡曇ってますよ」

「ああああああ小憎らしいいいい!!」

 赤い顔で洋は眼鏡を外し、出口を指し示した。

「出口はあちらです!」

「知ってますよ。それではまた」

「また来なくても結構!」

 ふんと鼻を鳴らし、洋は筆を取って鼻息荒く文机に向かった。

 洋の言う通り、紫呉は素直に出口に向かう。畑を耕していた莉功が、こちらを見て意地の悪い笑みを浮かべた。

「何かあいつ怒ってたみたいだけど?」

「ええまあ。より一層嫌われてしまったようですね」

 悲しいものです、と沈痛な面持ちで首を振る。

「嘘ばっか。この愉快犯め」

 それには答えず、紫呉は笑って手を振った。

(闘技場ね)

 物騒な響きだ。

 洋が記事を書いたのならば、もちろん由月は知っているだろう。だが特に指令は下されていない。

 ならば警戒する必要もないだろう。

 しかし、洋の書いた記事の内容が気になる。次男殿は闘技場で金を浪費して云々、というアレだ。

 自分の事が(正確には紫呉本人の事ではないが)書かれているのに、自分がその事を知らないのは、何だか愉快ではない。

(少し調べてみるか)

 一つ頷いて、紫呉は橘邸を後にした。



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