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15 催涙の狂

*********************************************


 刃を弾き返し影虎は考えた。

(そろそろ退かねえとな)

 これ以上目立つのは得策ではない。

 となると、どうやって紫呉を落ち着かせるかが問題だ。

(自分で煽っといて世話ねえな)

 苦笑して、影虎は紫呉の突きを避けた。しかし思考に耽っていた所為か動作が少しばかり遅れ、刃先が腕の皮膚を裂く。

 影虎の腕に滲む血を見やり、紫呉は笑った。小鳥を玩ぶ猫のような、虫の羽をもぐ子供のような、幼く残虐な笑顔だ。

 口上役に背を向け、影虎は懐を探った。口上役の死角に入り鋲で気を逸らし、その隙に紫呉を段外で捕獲する算段だ。

 しかし影虎が鋲を投げるその前に、段外から邪魔が入った。

 視線が突き刺さる。

 どうやら紫呉も気付いたようだ。段外へと意識を巡らし、視線の出所を探している。

 二人が視線の持ち主に気付くと同時、段上に何かが投げつけられた。

 影虎は紫呉の腕を引っ掴み段外へと跳んだ。抵抗する紫呉の頭を抱え込む。

 パン、と高く爆ぜる音がした。辺りに濛々と煙が立ち込める。

 眼球に刺すような痛みが走る。涙が滲んだ。影虎は片目を瞑り、紫呉の目元を掌で覆った。

「万民は敬礼せよ! 月の威名を讃えよ! 通り過ぎる狂騒に恒久たる安寧を愛おしむべし!」

「涙せよ! 常の平和に感涙せよ!」

 影虎は瞑った右目を眼帯で覆った。左目からひっきりなしに涙が流れる。痛みは増すばかりだ。

 くしゃみが止まらない。皮膚が焼けるようにひりつく。

「誇天か」

 紫呉が呟いた。声は穏やかだ。醒めたようだ。

「まだ目ぇ瞑っとけよ」

 咳交じりに告げる。紫呉は頷いて、口元を袖で覆った。

 煙が客席へと流れる。途端に、痛みを訴える悲鳴と咳が溢れた。

 影虎は袖で口元を押さえて段上を見上げた。涙と痛みが邪魔をするが、聴覚だけの状況判断は不安が付きまとう。片目をしばらく殺す事になろうとも、視覚判断は必要だ。

 煙幕の向こう、人影が見えた。一人は手に何かをぶら下げている。おそらくは鉈だ。

 彼は、敬礼せよと三唱し鉈を振りかぶった。何の迷いも無く、もう一人の喉元へと振り下ろす。

 血が噴き出した。

 まるで雨の様に、辺り一面にびしゃびしゃと降り注ぐ。

「溢れる血潮を月涙と為し、我らは悠久の綏寧を讃えんとす!」

 彼は鉈を振りかぶり、己の喉を裂いた。

 血を撒き散らして、どさりと倒れる。

「……愚かな玉砕ごっこだな」

 咳き込みながら、紫呉が低く吐き捨てた。影虎は苦笑して紫呉の肩を叩く。

「まだ煙は残ってる。俺が戻ってきたら消えたもんだと思え。それまで目ぇ開けんなよ」

 紫呉が頷くのを見届け、影虎は段上へと向かった。男の首に埋まった鉈を抜く。手を汚す血が不快だ。

 頬を濡らす涙を肩口で拭い、影虎は垣へと向かった。

 何だ何だと客が騒いでいる。催涙丸に目をやられた客の呻きが聞こえる。

 いずれこの煙が消えたら、客は惨状に気付くだろう。さすれば恐慌が満ちる。その際に出口が一つだと、更なる惨状が待っている。

 影虎は拾った鉈でもって垣を壊した。斬り、蹴りつけて垣を崩す。

 煙が消えるまでには、四方を囲む垣全てを壊せないだろう。しかし少しでも多く出口を確保しておく必要が有る。

 影虎は流れる涙と汗とを手の甲で拭った。手に付着した誇天の血が頬を汚す。

 誇天は二人だけではあるまい。おそらく彼らの一味がまだいるはず。

 その彼らに、武器を増やしてやる義理は無い。だから鉈を拾った。

(さて、どう来るやら)

 誇天の過激派は、破天の過激派よりも厄介だ。

 反如月の破天に対し、親如月の誇天が武力を用いるとなると面倒な事になる。彼らの行動の予想をつけにくいからだ。

 誇天は如月を讃える事を主眼としている。穏便派が主だが、自死自爆を用い『如月是唯一真也』の党是を訴える過激派もいる。

 如月に対する怒り憎しみが彼らの原動力ではない。その真逆、如月に対する畏敬が彼らの源だ。

 だから厄介なのだ。敵意や殺意にはこちらも慣れている。すぐに気付く。

 しかし、誇天の輩にはそれが無い。

(面倒くせぇ)

 痛みと涙は止まらない。不鮮明な視界が実に鬱陶しい。ぐいと肩口で拭う。

 悲鳴が聞こえた。

 客が段上に気付いたようだ。

 煙も随分と薄れてきている。影虎は垣破壊を中断して、紫呉の元へ向かった。

 紫呉は影虎の気配に気がつき、薄らと目を開けた。段上を見やって嘆息する。

 それから影虎の腕を見た。刃先に裂かれた腕には血が滲んでいる。紫呉の目に、自責の色が窺えた。

 それには気付かぬフリで、影虎は鉈を肩に担ぐ。

「俺は避難経路を増やす。お前は誘導頼むぜ」

「了解で」

 す。

 最後の一文字は舌打ちに変わった。

「里の安穏を尊べ! 虚偽めいた闘争など邪道!」

 男が包丁を振り回す。客が悲鳴を上げて逃げ惑う。

 紫呉は側に落ちた打刀を拾い上げ、男に向かった。

「誘導は頼みます!」

 応と叫び、影虎は段の側の鐘を鳴らした。

「落ち着け! 垣を壊せ! 一所に集うな!」

 女性客が影虎を指差し、悲鳴を上げた。

「あ、あの人がやったのよ!」

 悲鳴が膨れ上がる。

 手には鉈。誇天の血で汚れた腕と頬。姿だけを見れば、確かに影虎が犯人だ。

「ああもう畜生! 何でも良いから散れ! まともな奴はさっさと垣を壊せ!」

 こちらに飛んできた刃物を、影虎は人差指と中指で挟んで止めた。更に増えた誇天が何やら喚いている。その誇天の男に、紫呉が当て身を食らわせた。

 煙はもう無いに等しい。影虎は刃物を捨て、眼帯を逆の目に付け替えた。

 いっそ、不鮮明な視界のままの方が有難かったか。

 鮮明な視界に跳び込んできた光景に、影虎は目を覆いたくなった。

(……こりゃあ厄介だな)

 逃げ惑う客。こけた者にも気に留めず、ただひたすらに出口を目指して駆けている。

 目をやられた客は右に左にふらふら惑い、突き飛ばされ罵られる。

 そこら中に喚く者達。手には刃物だ。

 その刃物が殺傷力の有る物なのか、それとも闘技場備え付けの刃を潰された物なのか、一見するだけでは分からない。

 果たして誇天なのか、闘士なのか。区別がつかなかった。

 落ち着けと叫ぶ影虎の声は、客の悲鳴にかき消された。そこかしこで悲鳴やら、怒声やら罵声やらが上がっている。

 捨てた刃物を拾い、影虎は垣に向かった。

 誘導どころの話では無い。とにかく出口を増やさなければ。

「くっそ……」

 紗雪達が今どうしているか気になるが、彼女達に割ける手が無い。

「さ、里の」

「あ!?」

「里の安寧を、讃えよ」

 背中に投げられた声は、明らかに口上に慣れていない。びくびくと怯えながら、少年は己の首に包丁を押し当てた。

「ああもう畜生うぜぇな! 死にたいならさっさと死ね!」

 影虎の剣幕に、少年はひっと喉を鳴らした。包丁を持つ手が震えている。

「お前が死んでも如月サマは喜びも何もしねえけどな。無駄死にだ」

 言いながら影虎は垣の破壊を続ける。馬鹿に構っている暇は無い。

 しゃくりあげながら、洟を啜る音が背後でする。鬱陶しい。

 苛々が溜まっていた影虎は、思わず少年を張り倒した。少年が落とした包丁を拾い、足元に置く。

 倒れた少年は気を失っているようだ。まあどうだって良い。馬鹿は放置するに尽きる。

「おい! その包丁貰うぞ!」

 いつの間にやら、近くで闘士が垣を壊していた。先程紫呉とやり合っていた闘士だ。

 彼は落ち着け、落ち着けと叫びながら垣の縄を切っている。

 ありがたい。

 荒んでいた心が少し凪いだ。


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