その聖女を追放せよ!(神様・談)
一番標高が高い村にある神殿に、ヨアナは住んでいる。
物心がついた時には聖女として、山頂に建てられた村唯一の古い神殿にいた。自分が聖女になった経緯など知らされず、また経緯を知ろうとも思わず、ヨアナは当然のように神のために神殿を清掃し、供物を供え、祈りを捧げる毎日を過ごしていた。
生まれ持っての性格なのか、それとも聖女としての資質なのか。ヨアナは今の暮らしにまったく不満はなかった。
むしろ、聖女としての自覚なんてまるでない自分を、村の人たちはとても大切にしてくれていることに感謝さえしていた。
村の人たちは、供物とされる聖なる湖の水と、新鮮な野菜とパンを毎朝運ぶのが日課だ。
それは、羊飼いの夫妻だったり、賑やかな夫人たちだったり、時には子供たちだったり。そこには必ず、ヨアナの分も添えて。
ヨアナは彼らに感謝し、一緒に神に祈りを捧げ、時には悩みや話を聞いたりもした。
村の人たちもヨアナが大好きだった。
まだ幼いヨアナが、王都の神官に連れられて来た時のことを覚えている大人は多い。神殿から毎晩聞こえるヨアナの啜り泣きに心が痛んだ。そのヨアナが十六歳になった今、ヨアナは村人の心の支えにさえなっている。
月に一度の礼拝の朝は、村人すべてが神殿に集まる。聖女信仰のあるこの村中の人たちが、今ではヨアナの親であり家族であった。
そんなある日。
深刻な顔をした村の重鎮たちが神殿を訪れた。ここ数日、天候が崩れている。彼らは聖なる湖に行くのも、この神殿に来るのも難しいと申し訳なさそうに訴えた。ヨアナは明るく笑いながら言った。
「大丈夫です! 神様は数日供物がなくてもへっちゃらです。むしろ、皆さんの安全が第一ですよ」
数時間後、村の若者たちが神殿を訪れた。皆口々に、天候が悪いため古い神殿の修理を延期したいと、申し訳なさそうに訴えた。ヨアナは笑い飛ばした。
「大丈夫よ! この天候の中で修復作業なんてしたら怪我人が出るわ。雨の日は本を読んでゆっくりしてね」
村人はヨアナに感謝し、数日分の食料を置いて山を降りて行った。ヨアナは施しに感謝して、神殿の扉を固く閉じ、雨漏りする場所に桶を置いてから、村に被害がないよう祈りを捧げた。
村人とヨアナは、こうして平和に暮らしていた。
一方。
神様は困っていた。ここ数日、腹が減って仕方がない。しかも、雨漏りがするため体が濡れて風邪をひいてしまった。
震える体を両手で摩りながら、神様は致し方がないと鳴る腹を睨みつけた。
神様は聖女になんてまったく興味を持たずに暮らしていた。
何千年という間に神託を与えたのはたった二度。
「作物が荒らされそうだから虫には気をつけようね」と「稀に見る嵐が来そうだから命を守る行動を取ってね」だけ。
その時のことが口伝として子孫に伝わり、この村に信仰をもたらしているのも、神様にはどうでもいいことだった。
そんな神様が、数百年に一度の気まぐれを起こし、鹿の姿で村に降りた時のこと。
すっかりはめを外した鹿(神様)が転んで脚を痛めた時、とても優しく介抱したのが幼い日のヨアナであった。今から考えれば、ヨアナも寂しかったのだろう。その寂しさを埋めるように、脚が治るまでの三日間、ヨアナは鹿(神様)につきっきりで看病した。
脚が治り、天に帰ろうとした神様(鹿)を「良かったね」と見送った時のヨアナの顔を神様は忘れられなかった。
良かったと心から思っているだろうヨアナの表情に、たくさんの寂しさが読み取れたのだ。
「なぜ幼い子供を一人きりで神殿になんて住ませているんだ」
怒りにも似た気持ちで吐き捨てた神様(鹿)は、自分の言葉にハッとした。あの子は聖女として連れて来られたのだ。食料調達係としか認識していなかった歴代の聖女たちも、あのように寂しい思いをしていたのだろう。そして、そうさせていたのは自分だと。
何千年ぶりの気づきに、神様は涙が止まらなくなった。そして、それから気にしてヨアナを観察するようになった。
***
そんな神様にも楽しみがあった。
ヨアナに好きな人ができたのである。相手はヨアナよりふたつ年上の青年クレイグだ。素朴で口数の少ないクレイグだが、ここ数ヶ月、年老いた信仰深い祖母の代わりに神殿の掃除を手伝いに来ていた。
「お?」
神様は、クレイグがヨアナを見る視線の熱さに気がついた。
「おお?」
神様は、クレイグと言葉を交わすヨアナの頬の赤さに気がついた。
「おおうっ!」
神様は、触れ合った手を離したくなくて俯いてしまった二人の気持ちに気がついた。
「尊いっ!」
神様は身悶えた。こんな気持ちは何百年ぶりだろう。恋愛の神に片想いした時以来だ。神様は自分に祈りを捧げた。あの二人が結ばれますように、と。
そんな二人を見守ること数ヶ月。なかなか進展しない二人にヤキモキしていた神様の耳に、ヨアナの悲しげな声が入ってきた。
「私は神に仕える身。結婚はできないのです。クレイグ様は早くいい人を見つけて下さいね」
何だと!?
初めて聞く話に、神様は驚きのあまり王都に稲妻を落としてしまった。
「それはわかっているが……」
クレイグが唇を噛む。二人には互いの気持ちが痛いほどわかっているのだろう。隣同士に座っているのだが、触れたくても触れられない……そんな悲しくもどかしい二人を見て、神様は血が出るほど唇を噛んだ。そしてある疑問が浮かんだ。
一体、聖女が結婚できないなんて誰が言い出したのだろうか。
「お婆さんの、そのお婆さんのお婆さんの時から、聖女様は神様のものだから結婚はできないと聞いている。でも俺は……」
浮かんだ涙を隠すように俯くクレイグの言葉に、神様は顎が外れそうになるほど口をあんぐりと開けた。
——婆さんの婆さんの婆さんって誰? 聖女が神様のもの? え? ヨアナは私の嫁?
驚きと怒りで、神様は隣国に稲妻を落とした。何千歳の自分が、十六歳のヨアナを嫁に娶るなんて、とんでもない犯罪である。人間は神である私のことをとんだ変態だと思っているのか。だからヨアナは幸せになれないのか……。
神様はヨアナのために一肌脱ぐことにした。そして、神様は神として三度目の神託を授けることを決めた。
その月の礼拝も、神殿は村中の人々で賑わっていた。
穏やかに晴れた天候もあって、皆和やかにヨアナと歓談を交わしていた。そして祈りの時。いつもと同じようにヨアナが祈りを捧げ、村人たちも跪いて目を閉じた。
その時、神殿がわずかに揺れた。
村人は驚いて辺りを見渡す。クレイグがヨアナを庇おうと一歩足を踏み出した。村人の避難が先かと祈りを中断したヨアナの耳に、ガガガと突然雑音が響いた。
「キャッ!」
耳を押さえてしゃがみ込むヨアナの異変に、村人たちはクレイグを除いて誰一人動けなくなった。クレイグがヨアナを抱き起こす。
『……聖女ヨアナよ……今から神託を授ける』
ヨアナは目を見開いて、クレイグに伝えた。
「神託よ……神様が神託を授けるって」
ヨアナの言葉に、クレイグだけでなく、村人たちも驚いた。
「神託って、まさか災害が!?」
「大丈夫だ! 神託を守ればきっと大丈夫だから落ち着け!」
「静かに! ヨアナの話を聞こう」
村人たちは混乱しつつも、神託を聞くヨアナを見守った。
『……聖女を……せよ』
「申し訳ありません。よく聞こえません」
人の声ではない雑音が、ヨアナの邪魔をする。
『……聖女を……ほうせよ』
ヨアナはハッとしてクレイグを見た。その顔はみるみると青ざめていく。ヨアナは心配するクレイグから視線を村人に移した。心配そうに見ている村人たちに向かって、ヨアナは深呼吸してから口を開いた。
「神は仰った。『聖女を追放せよ』と」
「「「なんてことを!」」」
村人たちと神様は、一斉に叫んだ。
追放せよとはなんてことだと怒る村人の言葉に、神様はコクコクと頷いた。だってそんなこと言っていない。神様が言ったのは、「聖女を解放せよ」なのだから。
神様は慌てて次の神託を与えた。
『追放先は、その男、クレイグの家だ』
今度はきちんと伝わったようだ。ヨアナが困惑の色を浮かべる。
「クレイグの家に追放だって……」
クレイグは強く頷いた。伝わったとホッと胸を撫でおろす神様の耳に、クレイグの叫びが届いた。
「わかりました! 家を聖女ヨアナに明け渡します! 私は今すぐにでも出ていきます!」
違う、違うよクレイグ! 神様は地団駄を踏を踏んだ。ずっと鈍い二人を微笑ましく見ていたが、鈍いにもほどがある。神様は叫ぶように神託を与えた。
『違う。家事育児の合間に、無理のない範囲で聖女をしろと言っている』
ヨアナはますます混乱した。
「聖女である私には子供はいません……あっ! 孤児を引き取って育てろと仰っているのですね!」
『ヨアナ、落ち着いてよく聞け! 私は、その男のだな……』
意思疎通とは難しい。神様は頭を抱えた。ヨアナも訳のわからない神託に頭を悩ませている。そんなヨアナを、クレイグと村人はただただ困ったように見守っていた。神様は決意した。
『もういい! 待ってろ!』
言葉の意味を理解できないヨアナの目の前で、いつもは固く閉ざされている神殿の奥の扉がバンッと音を立てて開いた。
皆が驚いて扉を見る。そこには一頭の白い鹿が堂々と立っていた。しばらく鹿を見つめていたヨアナが、何かを思い出した。
「あなたは、あの時の鹿さん?」
鹿はジロリとヨアナを見た。そして……。
「やっと気づいたか」
鹿がしゃべった! 村人は腰を抜かさんばかりに驚いた。ヨアナだけが、鹿の声が神託の声と同じだと気がついた。
「鹿さん……神様だったのですね。足の具合はどうですか?」
「あ、その節は。おかげさまで調子はいい」
「それは良かった!」
ヨアナは満面の笑みを浮かべ、そして村人の方を向いた。
「紹介します。神様です」
まさか紹介されるとは思っていなかった神様(鹿)が、頭を下げる。村人たちも驚きながらも、つられて頭を下げた。
「神託でヨアナに言葉を伝えるのは難しい。だから来た。姿は借り物だ。皆、気にせぬように」
そう言うと、鹿(神様)はジロリとヨアナを見た。
「ヨアナ。私はお前を追放するとは言っていない」
「ですが、確かに……」
「私は、解放せよと言ったのだ!」
ヨアナは慌てて謝罪した。
「大変失礼しました。神様の声が雑音に負けてしまって……」
「雑音……私はヨアナに、そこのクレイグと暮らして子を育てよと言ったのだ!」
その時、成り行きを見守っていた村の長老が手を上げた。
「よし、話せ」
「聖女様は神様の妻なのでは?」
鹿(神様)は首をブンブンと振って怒鳴った。
「それな! 誰がそんなことを言ったんだよ!」
「婆さんの爺さんの婆さんの弟が……」
「知らんわっ!」
怒りのあまりハアハアと荒い息を吐き、神様は続けた。
「何千歳の私が、こんな小娘を娶ると本当に思っているのか? 狂っておる」
村人たちも思うところがあったのだろう。皆、気まずそうに目を逸らした。誰かがポツリと「鹿だしな」と呟いた声は、鹿の耳には届いていないようだった。
神様(鹿)はヨアナのもとにゆっくりと歩み寄った。そしてヨアナの前に立った。
「ヨアナ。お前は私のものではない」
その言葉にヨアナはショックを受けた。
「……私が、聖女失格ということでしょうか」
鹿はブンブンと首を振る。
「違うぞ、ヨアナ」
ヨアナが不安そうに鹿を見つめる。鹿はふっと鼻息を吐いた。
「聖女である前に、お前はお前だ。お前がしたいことをしながら、たまに神殿に来てくれればいい。そして、誰と暮らすかは自分で決めればいい」
そう言うと鹿は、今度はクレイグの前に立った。
「と、いう訳だ」
「はいっ!」
急に話しかけられて、クレイグは直立不動で返事をした。
「ヨアナが好きなんだろう?」
「……」
「隠さんでいい。触れた手を離したくないぐらい好きなんだろう?」
「……」
「浮かんだ涙を隠すぐらい、ヨアナが……」
「す、好きです! 俺はヨアナが大好きです!」
堪らずクレイグは大声を出した。それを聞いたヨアナの頬が、一気に赤く染まった。
クレイグは真っ赤になった自分の耳を触りながら、恨めしそうに神様(鹿)に言った。
「見ていらしたのですか?」
「キュー?」
鹿は首を傾げて鹿らしい声を上げた。村人から笑い声が上がる。
鹿は満足そうに頷くと、扉に向かって歩き出した。その後ろ姿に向かって、ヨアナが叫んだ。
「私はっ! 私は聖女を続けてもいいのでしょうか!」
鹿は足を止めると、その姿勢のままでヨアナに答えた。
「もちろんだ。無理のない範囲でな。供物は……できれば三日に一度は欲しいかな」
そう言うと、鹿は扉の向こうに姿を消した。
村人たちはヨアナとクレイグを取り囲んだ。口々にお祝いの言葉を投げかける村人たちに囲まれて、ヨアナはとても幸せそうに笑った。
一番標高が高い村にある神殿に、ヨアナは住んでいる。
物心がついた時には聖女として、山頂に建てられた村唯一の古い神殿にいた。自分が聖女になった経緯など知らされず、また経緯を知ろうとも思わず、ヨアナは当然のように神のために神殿を清掃し、供物を供え、祈りを捧げる毎日を過ごしていた。
ヨアナの隣には夫であるクレイグと、そして双子の娘がいる。
娘たちが神様の声を聞く日も近いだろうとヨアナは感じていた。
いや、泣いていた娘たちが突然、まるで誰かにあやされているように笑い出すことを考えると、すでに聞いているのかもしれない。
ガガガ……いい子にねんねしてまちゅねぇ。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
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