PTTFLY
「おまたせしましたー。レモンサワーになります」
二軒目の居酒屋の席につくと、すぐに飲み物が出てきた。私は待っていましたとばかりに注文を告げた。
「PTTFLYを」
「ピーティ……え?」
店員の女は明らかに戸惑っていた。
向かいに座る友人は、すでにかなり酔っており、にやにやと笑いながら私と店員とのやり取りを眺めていた。
私はとても残念に思い、つぶやくように言う。
「ピーティーティーエフエルワイ……。やはりここでも伝わらぬか」
目の前の友人は、「伝わるかよ、そんなふうに言うの、お前だけだよ?」などと言ってくる。
とてもそうは思えない。ポテトフライ。カタカナをアルファベットに変換し、その頭文字を略してピーティーティーエフエルワイ。実に自然だ。弥生人だって思いつくような原始的発想だ。
友人は呆れたように、ついに助け舟。店員に話しかけた。
「すみませんね。こいつ変なんで。PTTFLYってのは、ポテトフライの略です」
店員は「ああ」と声を出して瞳をぐるりと巡らせてから、前のめりになって、
「えっ、略せてなくないですか? むしろ長くなってる」
もちろん私としては不愉快だ。長いから何だっていうんだ。ピーティーティーエフエルワイはピーティーティーエフエルワイの本質を表すのに最適な語だ。万国共通語になるべき言葉だ。ノーベル共通語大賞をもらうべき優れたワードなのだ。
「ピーティーティーエフエルワイ。おぼえておくように」
すると店員の女は、
「はいー、ピーティーティーエフエルワイおねがいしまーす」
厨房に向かって声をかけ、すぐに「はぁ? 何?」という不機嫌な男の声がきこえてきた。案外ノリのいい女店員だった。
私はレモンサワーを傾けた。
ジョッキを机に置こうとしたとき、隣のテーブルの中年男性から、信じられない言葉が発せられた。
「おねーちゃん。ピーティーティーエフエルワイ一つ。コンポタ味で」
私は思わず、勢いよく振り返った。
同志か?
店員は「はいー、ピーティーティーエフエルワイおねがいしまーす。コンポタぁ」と言って、厨房から「なんなんだよそれは」と言われていた。
さらに別のテーブルから、
「ピーティーティーエフエルワイお願いします」
また別のテーブルから、
「ピーティーティーエフエルワイ、こっちも。コンソメで」
次々に注文。
はじまった。思いがけず、ピーティーティーエフエルワイの輪唱。
夢でも見ているかのようだった。私が生み出した言葉が、二軒目の居酒屋で大流行している。
しかし、何だろう。私は強い違和感をおぼえた。
私の言うピーティーティーエフエルワイは、他の客が言うピーティーティーエフエルワイと同じではなかった。
何が違うのか。
わからない。
ただ一つだけ言える。
私が最も長くポテトフライのことをピーティーティーエフエルワイと言い続けてきたってことだ。
私は友人にほとんど食べる隙を与えずにピーティーティーエフエルワイを完食した。
次にやることはひとつだ。
そう、おかわりである。
「ピーティーティーエフエルワイ、追加で」
私が言ったとき、他の客もすかさず手を挙げてきた。他の客もおかわりラッシュだ。
「ピーティーティーエフエルワイ」
「ピーティーティーエフエルワイ!」
「ピーティーティーエフエルワイッ」
負けたくはない。最も多くのピーティーティーエフエルワイを注文するのは、この私であるべきなのだ。
私はピーティーティーエフエルワイをかきこんだ。
そして注文しようと思ったとき、別の席に先を越された。
「ピーティーティーエフエルワイ」
そこまではよかった。
「ピーティー」
それは略しすぎて原型を留めていなかった。
「ピ」
ついに一文字になってしまった。これで通じるはずがない。
私は事態を見守った。
普通にピーティーティーエフエルワイが出てきた。
次からは、全員が「ピ」しか言わなくなった。
店員も「ピ、おねがいしまーす」というようになり、厨房も、「ピ、一丁はいりまぁす」と威勢のいい声で返すようになった。
ピーティーティーエフエルワイは異常な略されかたをされてしまった。
気に入らない。
ピーティーティーエフエルワイは私のものだ。
他のメニューと同一の重みで注文した連中とは違う。
やつらは同志じゃない。仲間じゃない。泥棒だ。
本質を理解せず、言葉にただ乗りした挙句、その言葉の首をはねた盗賊だ。
私の言うピーティーティーエフエルワイと、他の客が発するピーティーティーエフエルワイの違いは、さっきまではわからなかった。
今はわかる。
まちがいなく別物だ。
上品さが違う。
そのうえ「ピ」などと略しはじめたら野蛮そのものになる。
格式の高いピーティーティーエフエルワイという音色を汚す暴力行為だ。
許容できない。あまりにも。
改札を通るときに定期券をかざすような気軽さで、ピなどと言ってほしくはない。
私のピーティーティーエフエルワイは神聖な儀式でもあるのだ。
私は次の手段にでることにした。他の客にも厨房にもきこえるような大声で、
「ピだとよくない! それだとピーティーティーエフエルワイだと特定できない! ピーティーティーティーピーエスと見分けがつかないぞ!」
しかし女店員は「当店ではポテトチップス扱っておりません」などと言ってくる。
なんだこの店は。
「つぶれればいいのに」
私は酔った勢いで思わず口走ったのだが、そんな言葉すら、
「なるほど、ピは、確かにつぶして食うとうまいよな」
「ピをつぶして食べるんですか? 異常者ですよそれ」
他の客に奪われた。
しかも向かいに座る酔っぱらった友人さえもが、
「つぶして食うとは何たることか。ピは、カリカリふわふわこそ至高。すりつぶしてどうする」
その言葉に女店員が、「カリふわ信仰は幻想。しなしなこそ真実のポテトに近く至高」などと返した。
本物のポテトはしなしなじゃなくてほくほくだろ。生に近けりゃシャキシャキだ。
ていうか、なんで私が会話についていけないんだよ。ピーティーティーエフエルワイの生みの親だぞ。
こうなったら奥の手だ。自分を傷つけることになりかねないが仕方ない。もはやリスクをとらないと、歯止めがきかないだろう。私は別の角度からこのムーブメントの鎮火を試みることにした。
「待ってほしい。ポテトフライの頭文字は、『ポ』じゃないか。『ピ』にしてしまったら、じゃがいも成分が消えてしまう」
店員は即答した。
「かしこまりました。『ポ』ですね。追加でよろしいですね。はい、じゃあ、『ピ』おねがいしまぁす!」
厨房から「『ピ』一丁、了解ぃ」という声がきこえてきた。
「ピおかわり」
「こっちもピ」
「ピいっちょう!」
「ピおねがいします」
飛び交う「ピ」の嵐。
友人までもが「ピで」などと言って注文を追加した。くそが。
私は一刻も早く店を出たかったが、出されたピーティーティーエフエルワイを食べきるまで、この店を出ることはできない。
それでいて、ここのピーティーティーエフエルワイは憎たらしいくらい美味い。
レモンサワーが進んだ。
★
数日後、週末に同じ居酒屋に行く機会ができた。
今回は二軒目ではなく、一軒目にこの店を選んだ。
前回と同じ女店員が、席に案内してくれた。
私は飲み物を頼む前に、いやむしろ席に着くまえに、人差し指を立てて言い放つ。
「PTTFLYをひとつ」
「ピーティ……えっと?」
おぼえられていないことに、私は実に腹が立った。
「もしかして、ピのことですか?」
そうして店員が指さした先には、壁に並べられたおすすめメニューがあった。
その中に、でかでかと『ピ』の文字があった。
まだシラフだったが、つぶれればいいのにと本気で思った。




