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○短編集、表

PTTFLY

作者: 黒十二色
掲載日:2026/03/29

「おまたせしましたー。レモンサワーになります」


 二軒目の居酒屋の席につくと、すぐに飲み物が出てきた。私は待っていましたとばかりに注文を告げた。


「PTTFLYを」


「ピーティ……え?」


 店員の女は明らかに戸惑っていた。


 向かいに座る友人は、すでにかなり酔っており、にやにやと笑いながら私と店員とのやり取りを眺めていた。


 私はとても残念に思い、つぶやくように言う。


「ピーティーティーエフエルワイ……。やはりここでも伝わらぬか」


 目の前の友人は、「伝わるかよ、そんなふうに言うの、お前だけだよ?」などと言ってくる。


 とてもそうは思えない。ポテトフライ。カタカナをアルファベットに変換し、その頭文字を略してピーティーティーエフエルワイ。実に自然だ。弥生人だって思いつくような原始的発想だ。


 友人は呆れたように、ついに助け舟。店員に話しかけた。


「すみませんね。こいつ変なんで。PTTFLYってのは、ポテトフライの略です」


 店員は「ああ」と声を出して瞳をぐるりと巡らせてから、前のめりになって、


「えっ、略せてなくないですか? むしろ長くなってる」


 もちろん私としては不愉快だ。長いから何だっていうんだ。ピーティーティーエフエルワイはピーティーティーエフエルワイの本質を表すのに最適な語だ。万国共通語になるべき言葉だ。ノーベル共通語大賞をもらうべき優れたワードなのだ。


「ピーティーティーエフエルワイ。おぼえておくように」


 すると店員の女は、


「はいー、ピーティーティーエフエルワイおねがいしまーす」


 厨房に向かって声をかけ、すぐに「はぁ? 何?」という不機嫌な男の声がきこえてきた。案外ノリのいい女店員だった。


 私はレモンサワーを傾けた。


 ジョッキを机に置こうとしたとき、隣のテーブルの中年男性から、信じられない言葉が発せられた。


「おねーちゃん。ピーティーティーエフエルワイ一つ。コンポタ味で」


 私は思わず、勢いよく振り返った。


 同志か?


 店員は「はいー、ピーティーティーエフエルワイおねがいしまーす。コンポタぁ」と言って、厨房から「なんなんだよそれは」と言われていた。


 さらに別のテーブルから、


「ピーティーティーエフエルワイお願いします」


 また別のテーブルから、


「ピーティーティーエフエルワイ、こっちも。コンソメで」


 次々に注文。


 はじまった。思いがけず、ピーティーティーエフエルワイの輪唱。


 夢でも見ているかのようだった。私が生み出した言葉が、二軒目の居酒屋で大流行している。


 しかし、何だろう。私は強い違和感をおぼえた。


 私の言うピーティーティーエフエルワイは、他の客が言うピーティーティーエフエルワイと同じではなかった。


 何が違うのか。


 わからない。


 ただ一つだけ言える。


 私が最も長くポテトフライのことをピーティーティーエフエルワイと言い続けてきたってことだ。


 私は友人にほとんど食べる隙を与えずにピーティーティーエフエルワイを完食した。


 次にやることはひとつだ。


 そう、おかわりである。


「ピーティーティーエフエルワイ、追加で」


 私が言ったとき、他の客もすかさず手を挙げてきた。他の客もおかわりラッシュだ。


「ピーティーティーエフエルワイ」

「ピーティーティーエフエルワイ!」

「ピーティーティーエフエルワイッ」


 負けたくはない。最も多くのピーティーティーエフエルワイを注文するのは、この私であるべきなのだ。


 私はピーティーティーエフエルワイをかきこんだ。


 そして注文しようと思ったとき、別の席に先を越された。


「ピーティーティーエフエルワイ」


 そこまではよかった。


「ピーティー」


 それは略しすぎて原型を留めていなかった。


「ピ」


 ついに一文字になってしまった。これで通じるはずがない。


 私は事態を見守った。


 普通にピーティーティーエフエルワイが出てきた。


 次からは、全員が「ピ」しか言わなくなった。


 店員も「ピ、おねがいしまーす」というようになり、厨房も、「ピ、一丁はいりまぁす」と威勢のいい声で返すようになった。


 ピーティーティーエフエルワイは異常な略されかたをされてしまった。


 気に入らない。


 ピーティーティーエフエルワイは私のものだ。


 他のメニューと同一の重みで注文した連中とは違う。


 やつらは同志じゃない。仲間じゃない。泥棒だ。


 本質を理解せず、言葉にただ乗りした挙句、その言葉の首をはねた盗賊だ。


 私の言うピーティーティーエフエルワイと、他の客が発するピーティーティーエフエルワイの違いは、さっきまではわからなかった。


 今はわかる。


 まちがいなく別物だ。


 上品さが違う。


 そのうえ「ピ」などと略しはじめたら野蛮そのものになる。


 格式の高いピーティーティーエフエルワイという音色を汚す暴力行為だ。


 許容できない。あまりにも。


 改札を通るときに定期券をかざすような気軽さで、ピなどと言ってほしくはない。


 私のピーティーティーエフエルワイは神聖な儀式でもあるのだ。


 私は次の手段にでることにした。他の客にも厨房にもきこえるような大声で、


「ピだとよくない! それだとピーティーティーエフエルワイだと特定できない! ピーティーティーティーピーエスと見分けがつかないぞ!」


 しかし女店員は「当店ではポテトチップス扱っておりません」などと言ってくる。


 なんだこの店は。


「つぶれればいいのに」


 私は酔った勢いで思わず口走ったのだが、そんな言葉すら、


「なるほど、ピは、確かにつぶして食うとうまいよな」

「ピをつぶして食べるんですか? 異常者ですよそれ」


 他の客に奪われた。


 しかも向かいに座る酔っぱらった友人さえもが、


「つぶして食うとは何たることか。ピは、カリカリふわふわこそ至高。すりつぶしてどうする」


 その言葉に女店員が、「カリふわ信仰は幻想。しなしなこそ真実のポテトに近く至高」などと返した。


 本物のポテトはしなしなじゃなくてほくほくだろ。生に近けりゃシャキシャキだ。


 ていうか、なんで私が会話についていけないんだよ。ピーティーティーエフエルワイの生みの親だぞ。


 こうなったら奥の手だ。自分を傷つけることになりかねないが仕方ない。もはやリスクをとらないと、歯止めがきかないだろう。私は別の角度からこのムーブメントの鎮火を試みることにした。


「待ってほしい。ポテトフライの頭文字は、『ポ』じゃないか。『ピ』にしてしまったら、じゃがいも成分が消えてしまう」


 店員は即答した。


「かしこまりました。『ポ』ですね。追加でよろしいですね。はい、じゃあ、『ピ』おねがいしまぁす!」


 厨房から「『ピ』一丁、了解ぃ」という声がきこえてきた。


「ピおかわり」

「こっちもピ」

「ピいっちょう!」

「ピおねがいします」


 飛び交う「ピ」の嵐。


 友人までもが「ピで」などと言って注文を追加した。くそが。


 私は一刻も早く店を出たかったが、出されたピーティーティーエフエルワイを食べきるまで、この店を出ることはできない。


 それでいて、ここのピーティーティーエフエルワイは憎たらしいくらい美味い。


 レモンサワーが進んだ。


  ★


 数日後、週末に同じ居酒屋に行く機会ができた。


 今回は二軒目ではなく、一軒目にこの店を選んだ。


 前回と同じ女店員が、席に案内してくれた。


 私は飲み物を頼む前に、いやむしろ席に着くまえに、人差し指を立てて言い放つ。


「PTTFLYをひとつ」


「ピーティ……えっと?」


 おぼえられていないことに、私は実に腹が立った。


「もしかして、ピのことですか?」


 そうして店員が指さした先には、壁に並べられたおすすめメニューがあった。


 その中に、でかでかと『ピ』の文字があった。


 まだシラフだったが、つぶれればいいのにと本気で思った。



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