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彼岸の恋文  作者: 凪砂 いる


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8/10

ふたつの魂が交わる時

 夜明け前、街はまだ静まり返っていた。


 私はバッグに、蓮がくれたスケッチブックと古文書の写しを入れ、そっと玄関を出た。

 空はわずかに白み始めており、遠くの山々の稜線がゆるやかに浮かび上がっている。


 待ち合わせの駅前には、すでに蓮がいた。

 大きなキャンバスを収めたケースを背に、いつものようにすっと立っている。


「……行こう」


 私は頷く。

 そして――私たちは電車とバスを乗り継ぎ、古文書に記されていた『神域』へ向かった。


 彼岸花の群生地を過ぎ、苔むした石段を登りながら、蓮がぽつりと口を開く。


「ここ……初めて来たはずなのに、何度も夢で見ている」

「私も、そう――何度も見ている場所」


 風が草木を揺らし、揃い咲いた彼岸花の花弁がゆらりと舞い上がる。

 空気が変わったのを、ふたりは同時に感じた。


 石段を登り切ると、崩れかけた祠がぽつんと立っていた。風化した木々に囲まれ、石碑の文字はほとんど読み取れない。


 だが、蓮は迷わずその前へ進み、手を触れた――その瞬間、彼がふらつき、頭を抱える。

 目は見開き、息も荒く、ただ低くつぶやく。

 

「君が――炎の中に崩れ落ちるのを見ていた。俺は、助けられなかったんだ。――やめろ……もう、やめてくれ……」

 

 膝をついた蓮の額に、私はそっと手を添える。

「――見たのね、あなたの『始まり』を」

 彼はゆっくり顔を上げる。目の奥にあるのは、悔恨を抱えた暗い色。


「何度も、何度も……守ろうとして、守れなかった。神に逆らって、罰を受けて、でも、あきらめられなかったんだ――君を」


 私の胸の奥がきゅっと痛む。

 その言葉が、あの夢の中で聞いた声と重なる。


「お前を、守る……。何度でも――」


 過去は繰り返すものじゃない。

 でも、それを選び直すことは、きっとできる――。


 神殿へ続く最後の道。両脇を彼岸花が赤い絨毯のように彩っていた。


「ずっと怖かったの。運命なんて、変えられないって思ってた。でも……」

 私は誓うように言葉を続ける。

「運命を変えるって、『誰かを救うこと』じゃなくて、『自分で未来を選び直す』ことなんだよね」


 蓮がスケッチブックを開く。

 そこには、何気なく描き溜めていた絵があった。


 古びた神殿。その前で手を取り合う男女。

 今の私たちの姿に、あまりにもよく似ていた。


 神殿の門が見えたとき、ふと風が、止まった。


 一面の彼岸花の中に、ひとつの影が立っていた。

 人のようでいて、どこか人ならざるもの。

 その姿は――蓮に似ていた。


「また来たのか」

 低く、くぐもった声がする。


「何度誓っても、お前は彼女を失う。神に逆らった罰は、終わらない」

 私が一歩、それに近づこうとした瞬間、蓮が遮る。


「やめろ。こいつは――過去の俺だ。守れなかった、選ばなかった俺自身だ」


 影の目がぎらりと揺れる。


「ならば証明しろ。【意志】が【定め】を超えられるか――」


 次の瞬間、影は一面の彼岸花の中に溶けるように消えた。


 残された静寂のなか、彼が私の手をぎゅっと握る。

 神殿の門が、静かに開かれる音がした。

 そして、彼は重い口を開いた。何かを決意したような声で。


「選ぼう。今度こそ、終わらせるために。――君と、生きる未来を」


 神殿の扉は、静かに軋む音を立てて開かれた。


 中はひんやりとした空気に満ち、外の光を拒むようにほとんどが闇に包まれていた。

 だが、一歩足を踏み入れた瞬間――私の足元に、淡く赤い光が灯る。

 彼岸花を模した文様が、床に浮かび上がっていた。


「……これは」


 蓮が手にした古文書を開く。そこにはこう記されていた。


『誓詞の地、記憶の核にして始まりの扉。ふたつの魂が交わる時、定めは新たに書き換えられん』


 文様は私たちの歩みに合わせて徐々に光を広げ、やがて神殿の奥へと導いていく。

 その先に現れたのは、円形の石の壇と、中央にある古びた祭壇だった。


 祭壇の上には、二本の杯と、赤い封蝋で閉じられた古い巻物が置かれている。

 そっと手を伸ばすと、封蝋が音もなく崩れ、巻物が開かれた。


『これは誓詞の儀。魂を交わらせることで、過去の輪廻を閉じるもの。ただし、扉を開くには――【片方が代償を負うこと】』


 その言葉に、私たちは言葉を失う。

『代償』――それは、単なる痛みではない。

 もう片方の魂を現世に縛り付けるため、一方が未来を断たれるという意味だった。


「つまり……どちらかが、生きる時間を手放すってこと?」

 私の声はかすかに震える。


 蓮は静かにうなずいた。

「だから、過去の僕たちは何度も儀式を前に、躊躇して……結局、選べなかった」


 私の中に、かつての私――古代の巫女の記憶を思い出す。

 儀式の場で、炎に包まれながら振り返った、あの哀しげな瞳。


『私たちは……また来世で。それしかできなかったの』


 その選択が、数百年にも及ぶ輪廻を生んだ。

 出会っては引き裂かれ、想いだけが残る幾度もの別れ。


 私は静かに杯を手に取る。


「じゃあ、今度こそ。私たちの手で、終わらせるしかない」


 蓮が顔を上げる。


「でも七海、代償は――」

「……その覚悟は、ふたりで決めるもの。今度はどちらかだけが背負うなんて、もうやめよう」


 私たちは向かい合い、杯を掲げる。

 杯に注がれた透明な水は、彼岸花の花弁が溶けるように赤く染まっていく。


「誓いの言葉を述べよ」


 神殿の奥から、誰のものとも知れぬ声が響いた。

 それは神か、過去の自分か。


 私はゆっくりと口を開く。

「すべての過去を知った上で――あなたと、『今』を選びます。もう逃げない。何があっても、あなたと生きる未来を諦めない」

 蓮もまた、杯を持ち上げた。

「何度も過ちを繰り返した。でも今度こそ、君を守ると、誓う。そのためには、俺を――この魂を差し出してもいい」


 ふたつの杯が触れ合った瞬間、神殿全体が光に包まれる。


 床の文様が揺れ、赤く咲き誇っていた彼岸花が、一本、白く変わった。

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