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彼岸の恋文  作者: 凪砂 いる


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4/10

噛み合う記憶のピース

 ギャラリーのドアベルが鳴る、かすかな音に反応して、蓮が顔を上げた。


「……七海?」


 ふいに現れた彼の顔は、驚きと、どこか安心したような表情が浮かんでいる。

 私は、昨日の服装のままだったことも忘れていた。ただ、どうしても、急いで彼に伝えたかった。


「……話がしたくて、来ました」


 蓮は、軽くうなずいてキャンバスの前から離れる。

 ギャラリーの隅、窓際に置かれた小さなベンチへ並んで腰かけた。


「変な話に聞こえるかもしれないけど、聞いてほしいの。あの絵を見てから、夢を見始めたの」

 私は静かに声を出す。

 燃える建物、叫ぶ声、抱きしめられた温もり――そして、「お前を守る」という言葉。


「……夢の中で私は、あなたのことを知ってる気がしたの。名前は思い出せないのに、心が覚えてるみたいに」


 蓮は黙って聞いていた。

 ただ、時折、視線が揺れる。何かをこらえるように、唇を引き結んでいる。


「俺も……夢を見るんだ。君の言う夢と、似ているかもしれない」

 彼は、静かに話を続ける。

「火の中で、誰かを探している。何度も名前を呼んでる。だけど顔は思い出せない。ただ、その人だけは、なぜか……君に似てるんだ」


 言葉の間に、胸の奥が熱くなる。

 私は手を強く握りしめた。震えそうになる指先を、見せたくなかった。


「私たち……前にも、どこかで会ってたのかな」


 ぽつりとこぼしたその言葉に、蓮がゆっくりと首を振った。


「初めて会った気はしなかったよ。それなのに、どこか懐かしくて……」


 ふたりの間に、静かな沈黙が流れる。

 窓の外では、夕暮れが街を橙に染め始めていた。


 私はゆっくり立ち上がる。

「……ありがとう。話して、少し楽になった。変な話を信じてくれて」


 蓮は小さく微笑んだ。

 「変な話じゃないと思うよ。俺も、信じたいから」


 ギャラリーを出た七海の背中に、風が通り抜けた。

 どこか懐かしいような、あの言葉がまた心に残っていた。


「お前を、守る――何度でも」


 その日、私はまた夢を見た。


 しんとした夜の静寂。

 焚かれた香の煙が、白い布をまとった私の髪をなでていく。

 私は神殿の石段にひとり座り、祈りを捧げていた。


 背後では、鈴のような音。

 一面の赤い彼岸花が夜に揺れる。

 その中心に、自分はいた。


「この身を、神に。捧げます……」

 刹那、ぎゅっと掴まれるような感覚が全身をかけめぐる。

 冷たい風が、その時を告げるように私の額に触れた。

 その時、ひとりの男性が声を上げて近づいてくる。


「――ここにいてはいけない――!」


 その声。

 夢なのに、なぜか心が震える。


「あなたは、だめ……神に触れた者は、呪われる……!」


「――お前を、守る。――何度でも」


 彼と走り出した瞬間、背後で火が上がった。

 神殿が燃え、鈴の音が歪んだように聞こえる。

 誰かが叫んでいる――いや、自分だ。


 そして炎の中、手を離された瞬間――。


 私の意識は、現実に戻った。


 呼吸が止まりそうで、苦しい。

 汗をかいた手で、ぎゅっとシーツを握りしめる。


 私は意識がはっきりとしないまま夢の中で呼ばれた名前と、守るという言葉が、心の奥に深く残っているのを感じていた。

 それは、夢物語でもない、私たちの過去。


 私たちは、何度も――出会っていた。

 そして、そのたびに、彼は――私を、守ってくれていたんだ。


 胸の奥が、熱を帯びていた。


 ---


 数日後、再び訪ねたギャラリーはいつもより静かだった。

 平日の昼間、訪れる人もほとんどいない。

 私は足音を忍ばせるように中へ入った。


 前回来たとき、片隅に立てかけられていた未完成のキャンバス。

 それが、今は照明の下で展示されていた。


 キャンバスの中心に立つ、一人の女性。

 長い黒髪を風に揺らし、白装束に身を包んでいた。

 背景には、燃えるような彼岸花の群れ――そして、遠くに見える社殿。


 まるで夢で見た光景、そのままだった。


「……あれが、君なんだね」


 背後から声がした。振り返ると、蓮が立っていた。


 私は絵から目を離さずに口を開く。


「この人、私に似てるよね」

「……うん。描いてるときは、誰だかわからなかった。ただ、どうしても描きたくて……筆が止まらなかった」


 振り返ると彼の目の奥には、複雑な思いがにじんでいた。


「俺の夢の中に、いつも現れる。白い衣を着た君が、誰かに追われて。火の中を走っていて――」

 彼の声がわずかに震える。

「なのに、顔が見えなかった。ずっと。……この絵で初めて、ちゃんと見えたんだ」


 私は再び絵に視線を戻した。


 その瞬間――強烈な光と熱が、頭の中を突き抜けた。


 遥か古代――。

 神の巫女として捧げられるはずだった私は、その運命を、心の奥底で拒んでいた。


 夜明け前、神殿の奥で身を清める最中、誰かが、禁じられた扉を開いた。


「ここにいてはいけない。お前を、死なせない」


 現れたのは、山村の青年。

 神職に仕える者ではない、部外者。

 それだけで、この神域では重罪とされる存在。


「あなたは、だめ……神に触れた者は、呪われる……!」


「お前を、守る……何度でも。たとえ罰を受けても」


 手を引かれ、逃げ出した巫女。

 それは、「神の意志」に逆らう行為――。

 宿命の破綻だった。


 【神の怒り】は、神殿を火で包んだ。

 燃え広がる炎、咲き誇る赤い彼岸花。

 血のように、罪の色のように、揺れていた。


 逃げ場を失った先で、男が叫ぶ。


「お前だけでも、生きろ――!」


 その声が最後に残った。


 そして、闇に包まれる。


 意識が戻った時私はふらつき、思わず壁に手をついた。

 彼が慌てて倒れそうな私を支える。

「……見たの。私……神の巫女だった。あの人に助けられて、でも……彼は……」

「俺も見た。夢の中でずっと。君を助けようとして、何度も、何度も――火の中に消えていく姿を」


 私たちは沈黙のなか、彼岸花と巫女の絵の前に立つ。


 その時、頭に言葉のような感覚が浮かんだ。


『神に逆らった者は、永遠に引き裂かれる……! それでも愛を選んだ罪を、輪廻で贖え――』


「……私たち、罰を受けてるのかな」

「でも、出会い続けてる」


 私がぽつりと呟くと、彼はそっと頷いた。


「何度生まれ変わっても、君に会って、君を守ろうとして……けど、いつも最後には……失ってる」


 ぼんやりと絵の中の彼岸花が揺れている気がした。

 それは、季節外れに咲く、境界の花。

 【あの世】と【この世】、夢と現実、過去と今――すべての狭間で、ふたりを繋ぐ記憶の花。


 私の目が、また熱くなる。


「もう、失いたくない」

 蓮がそっと手を伸ばし、ふわりと私の手を包む。


 そうして、私たちは再び巡り合った『今』を、静かに確かめ合う。


 ――この時を、決して無駄にしないために。

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