選び取った先に咲く未来
誓詞の儀が終わったはずの神殿に、暗雲のような気配が広がっていた。
「……あれは……」
七海が声を震わせた。
光の中に、黒く蠢く『影』が現れる。
それは、ただの影ではなかった。
過去すべての転生で、ふたりが抱いていた 恐れ・後悔・断念の結晶。
怒りでも、悲しみでもなく――『逃げ出した心』が生み出した影だった。
「選べないなら、お前たちはまた繰り返すだけだ」
「愛など偽り。生きる意味は、すぐ崩れる」
「お前たちは、終わらせる覚悟など持っていない」
影が声を放つたび、過去の記憶が走馬灯のように流れる。
古代の神殿。炎に包まれる記憶。
戦で引き裂かれた時代、誰かを庇って倒れた命、儀式を拒んで別れた夜――。
蓮が苦しげに顔を歪める。私の腕を掴みながら口を開く。
「……あれは、俺たち自身だ。見ないふりをしてきた『弱さ』そのものだ」
私は瞳を伏せ、そっと囁く。
「でも、弱さがあるから願えた。諦めたくないと思えたのも、蓮と何度も――心を交わせたから」
その瞬間、七海の胸元で光る『護符の短剣』が淡く輝く。
淡い光がふたりを包む。
神殿の中央に、最後の『選択の台座』が現れる。
その中央には、古文書に記されていた『白い杯』があった。
『解呪の儀の最後、ふたりは魂の選択を迫られる。杯を選ぶ者は『残る者』。選ばなかった者は――この輪廻から解き放たれ、彼岸の向こうへと還る』
つまり、まだ『代償』は終わっていなかったのだ。
ひとりが残り、もうひとりはこの世界から去らねばならない――。
「そんなの……」
私の胸の奥で糸のようなものが張り詰め、軋む。
「ふたりで生きたいって、誓ったのに……またどちらかを失うなんて……」
彼はしばらく黙っていたが、目を伏せて杯に手を伸ばしかける。
「だったら、俺が――」
「……だめ!」
私は思わず叫ぶ。
「それは違う……誰かが『犠牲』になる未来じゃ、意味がない。選ぶべきは『共に生きる』ことのはず」
その時、私の目から溢れた涙がひと粒、杯の中に落ちた。
次の瞬間、光が杯を満たし、白い彼岸花が燃えるように赤く染まる。
台座に刻まれた文字が、ゆっくりと浮かび上がった。
『ふたりの想いが揃う時、選択は変わる。共に生きたいと願う心こそが、呪いを解く鍵となる』
蓮が私の手を握りしめ、強く告げる。
「これが……俺たちの答えだ」
影がふたりを取り囲むように揺らめいたが――もはやその気配は、脅威ではなかった。
私たちの前に立つ『影の自分』たちは、次第に淡くなっていく。
まるで、私たちに何かを託すかのように。
「ありがとう……そして、さよなら」
私のその言葉に、すべての影が光へと還っていった。
天井の裂け目からやわらかな白い光がさしこみ――神殿の柱が、静かに崩れていく。
この儀式のすべてが終わった証だった。
「これで……終わったの?」
「いや……始まったんだ。ようやく、俺たちの時間が」
ふたりは手を取り合い、神殿をあとにする。
外には、季節外れの――真っ赤な彼岸花畑が広がっていた。
そして、風に揺れるその中心には――一本の、白い彼岸花が咲いていた。
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季節外れの冷たい風が吹く、静かな朝。
私は、カーテン越しに差し込む光で目を覚ました。
私たちは、自分たちで家を選び引っ越した。
その小さな家には、秋になると庭に彼岸花が咲く。
隣には、眠そうに目をこする蓮の姿。
その寝癖すら愛しく思えたのは、ふたりの時間がもうすっかり『日常』になった証だった。
「おはよう、蓮」
眠そうな声で囁くと、蓮はぱっと目を開けて笑う。
「七海……やっと、君に会えたね」
私はふふっと笑いながら、言葉を返す。
「ここにいる。ずっとね」
私たちの指が絡み合い、離れることのないようにぎゅっと握り合う。
どんな転生も、どんな時代も超えて、今ここにいるこの奇跡を噛み締めながら。
「まだ、夢を見てるみたいだ。何度も、何度も、生まれ変わって探し続けて……やっと見つけたよ」
蓮の声は、嬉し涙で震えていた。
「私も。もう離さない」
私も胸がじんわりと熱くなるのを感じながら、笑顔で答える。
言葉は少なくても、全身で伝わる確かな想い。
運命に翻弄されながらも、今度こそ逃げずに繋がった絆。
ふたりで暮らすようになって、私たちの生活は変わった。
私はシフトを日勤だけにして、蓮のアトリエは日の光が差し込む明るい空間に変わった。
毎朝の朝食のテーブル、笑い合う日々の会話、買い物の帰り道に手をつなぐ。
そんな些細な日々が、かつて何度も失われてきた『願い』だったことを、私たちは知っている。
「こんな日常が、ずっと続けばいいね」
アトリエで蓮が絵筆を置き、七海の手を握りながら言った。
私は心があたたかくなり、笑顔でうなずく。
「うん、ずっと一緒にいようね」
休日、私たちは朝食を一緒に作り食べる。
今日は黄色いスクランブルエッグにトースト。そして、キャベツと人参のスープ。
ひとくち食べるたびに、ふたりでここにいる喜びが全身に広がる。
食事の後、蓮はすっと小さな彼岸花の絵をそっとテーブルに置く。
「この花みたいに、君と僕の幸せもずっと咲き続ける」
私はふっと微笑み、彼のその手を包み込んだ。
庭の白い彼岸花が風に揺れ、二人の未来を優しく祝福しているようだった。
夜、ふたりで寄り添いながら。
「ねぇ、もし私たちの生命が終わったとしても、また会えるのかな?」
私がぽつりと呟くと、蓮は真剣な眼差しで答える。
「どんな時も、どこにいても、必ず君のそばにいるよ」
それは、もはや願いではなく、固い約束だった。
私たちの距離は決して離れない。
世界が終わっても、心はずっと繋がっている。
「君がいるから、僕は強くなれる」
蓮が静かにそして呟く。その言葉に宿る意思は、しっかりとしていた。
「私も、蓮とならどんな未来でも歩いていける」
彼の言葉に、私も微笑みながら言葉を返す。
その言葉は重くもありながら、軽やかで、まるで愛そのものの温度を宿しているかのようだった。
私たちは手を取り合い、愛を確かめ合う甘く穏やかな時間を味わった。
何度も巡り会い、紡いできた物語――それは、輪廻の終わりではなく新しい始まりを紡ぎ始める音。
――白い彼岸花が静かに揺れる庭の下、二人は未来を信じて歩み出す。
これからの『未来』を選び取るために。




