本好き達だけに通じる暗号
ある作家のファンサイトでの話なのだけど。
そこには、ほぼファン達だけで利用されているチャットルームがあってね。あ、チャットルームって最近じゃほとんど使われていない印象だけど、残っている所には残っているみたい。で、そこは利用され続けているのだって。
もちろん、今じゃ昔から利用している人達しか使っていないみたいなのだけど、そこに最近になって迷惑な奴が現れるようになったらしいのよ。常連のハンドルネームを騙ってチャットルームに入って来て、そして皆の気分が害するようなコメントをしまくる。主に卑猥な発言が多くって、話を振ってみてもその作家の事はほとんど知らないみたい。それどころか、そもそも読書を趣味にしている訳でもないみたいなのよ。
つまり、本当に単なる嫌がらせ目的でそのチャットルームに入って来ている“荒らし”なのね。
このままじゃ、ファン達は交流の場がなくなるって危機感を覚えて、パスワードを設定したのだけど、直ぐにバレちゃうみたい。一応言っておくと、内通者がいるとかじゃないっぽいわ。SNSのコミュニティで公開しているそのパスワードを見られちゃっているみたいなのよね。昔から色々な人を受け入れて来たから、とんでもない数の利用者がいるのね。きっとその内の一人がその荒らしなのじゃないかってワケ。
こっそりと古参の人達一人一人にパスワードを連絡しても良いのだけど、それだと久しぶりに顔を見せる人を締め出しちゃうからできればやりたくない。それで「何か荒らし対策ができる良い案がないか?」って相談されちゃってね。
ね、何か、良いアイデアがない? 鈴谷さん……
ある日、小牧なみだは鈴谷凛子の許を訪ねて来てそんな相談事をした。いつも通り、大学の民俗文化研究会のサークル室で鈴谷は本を読んでおり、小牧が美味しいレアチーズケーキをお土産に持参していたからという訳でもないのかもしれないが、彼女は乗り気で考えてくれていた。
チーズケーキの甘味で、脳が活性化していたのかもしれない。しばらく考え込むとこんな質問をする。
「一応、それって犯罪になると思うけど、警察には連絡をしたの?」
「多分、していないと思うけど、大事にはしたくないのじゃないかな? それに、警察がどこまで真面目にやってくれるかも分からないし」
「ふむ」と彼女は言うと、レアチーズケーキを一口食べた。考える。少しの間の後に口を開いた。
「……その“荒らし”さんは、読書好きでも何でもないのよね?」
「そう言っていたわ」
「なら、本好きにだけ通じる暗号を使えば良いのじゃないかしら?」
「本好きにだけ通じる暗号?」
小牧は首を傾げた。不可解そうにしていたが、彼女は構わずに説明をし始めた。
――。
チャットルームに入ろうとした“彼”は『パスワードが違っている』所為で弾かれて思わず笑みをこぼした。
“また、パスワードを変えたのか。無駄なのに”
と呟くと、SNSで公開されているパスワードを調べにいった。それっぽいタイトルの記事を見つけ、にやりと笑ってアクセスする。しかし、そこで手を止めたのだった。
“なんだ、これは?”
ISBN4-06-181798-1
14Pの2-1、30Pの1―11、8Pの1―2、10Pの1-4、10Pの2―7、10Pの2―3、9Pの5-1、17Pの17―3、10Pの2―3、10Pの5―19、10Pの11―22
そんな謎の文字が書かれてあったからだ。
長すぎてパスワードの入力欄には入りきらなかった。だからこれがそのままパスワードである事は有り得ない。
“だとすれば、暗号?”
だが、彼にはどう考えてもその暗号は解けなかった。歯軋りをする。チャットルームに数人が入っているのは確認してある。つまり容易に解ける暗号であるはずなのだ。
何故、自分には分からないのだろう?
「上手くいったみたいよ。今のところ、荒らしは入って来れてないって。ありがとう」
小牧なみだがそう鈴谷凛子にお礼を言った。
「そう。それは良かったわ」と彼女は返した。
「でも、いずれ気付かれちゃうのじゃない?」
「そうかもね。でも、多分、諦めると思うわよ? だって暗号を解く為には、わざわざその本を手に入れないといけないのだもの……」
ISBNという書籍を識別する為の世界共通の番号がある。つまり、それが分かれば、どの本なのか特定する事が可能なのだ。本好きならば、“ISBN”という文字を見ればピンと来るはずだ。それが分かれば後は単純。ページ数と行番号と列番号でどんな文字なのかの特定が可能。
14Pの2-1
ならば、14ページの2行目1文字目という事になる。この原理で一文字ずつ拾っていけば、パスワードが完成するのである。
本好きじゃなければ、何を意味するのか気付けないかもしれないし、もし気付けたとしてもその本を持っていなければ絶対にこの暗号は解けない。
因みにISBNで指定したその本は、そのファンコミュニティの作家のデビュー作である。ファンならほぼ確実に所持している。旧いから、今では置いてある書店は少ない。手に入れるには古本屋を漁るか、ネットで注文するしかないだろう。
「まぁねぇ、聞いた限りでは単なる嫌がらせの愉快犯みたいだから、そこまでやる根性はないでしょうね」
小牧がそう言うと、鈴谷は笑う。
「もし、まだ入って来るようだったら、その作家の別の作品を選べば良いのよ。売上げに貢献できるわ」
そう言った彼女は、ちょっとだけ意地悪そうだった。もしかしたら、本好きの彼女は本を冒涜するような輩に多少なりとも苛立っていたのかもしれない。