第69話 後輩と朝の通勤路
「おはようございます、藤峰先輩」
会社の最寄り駅、エスカレーターで声をかけられる。完全オフの顔でも構わず挨拶する後輩なんて彼女しかいない。
「おはよう、東雲。あ、あけましておめでとう今年もよろしく」
「なんでそんな一息に言っちゃうんですか」
思わずといった感じで彼女の鼻から息が漏れた。
「これから無限にこの挨拶するからな」
パステルカラーのマフラーに埋もれた髪がぴょこっと動いている。歩く彼女に合わせて揺れるそれはどうにも可愛らしくて。
「あけましておめでとうございます、せっかく久しぶりにこの前会えたので、今年もよろしくお願いしますね」
小さく頭を下げる東雲。
こういうのがモテるんだなぁとおじさんくさい考えが頭を過ぎる。
「というか先輩、いつも以上に顔死んでません?」
「普段も顔が死んでるみたいな言い方やめろよ」
「……鏡いりますか?」
何だこの後輩、新年から攻撃力が高いなぁ。俺と一緒に働いていた時はもっと素直ないい子だったのに。
「先輩を煽るんじゃねぇ。新年一発目の出勤日に元気なやつなんていないだろ」
「ここにいますけど」
なるほど確かに。俺とは正反対で力が漲っている顔だ。
「いつからそんな労働ジャンキーになったんだよ」
「いやこれは仕事が楽しみってわけじゃなくて……なんでもないです!」
短く息を吐いて大きく一歩、彼女は前を行く。
空へと掻き消えた白い息は意志を持っているようで。
ならば追求するのはやめておこう。誰にだって聞かれたくないことはあるもんな。
俺なんか叩けば埃まみれだからな……。家のことを聞かれた日には終わりだ。
というかこんな時間に東雲と駅で会うの初めてなんだが。
「東雲ってこの時間だっけ」
「前まではもっと遅かったんですが、新年なので気合い入れてきました」
「社会人の鑑かよ」
そろそろ会社が見えてくる。
周りを歩く人にもちらほらと知っている顔が。
一人で出勤する時より頭を下げられる頻度が高いのは、社内でも顔の広い東雲がいるからだろう。
いつの間にか教育係の人脈を越えよって。
「シンプルに疑問なんだけど、なんでそんなに顔広いの」
「え、今突然セクハラされてます!?」
「顔は小さいって。どんな捉え方してんだ」
「ありがとうございます。いやぁ最近先輩に褒められてなかったので」
策士だ。
いや、そりゃ一緒に仕事してないどころか会うことさえ少ないんだから褒めるも何も無いだろ。
「俺がほいほい褒めると思ったら大間違いだからな」
「ほんとですか?新卒の頃はずっと褒められてた気がしますけど」
それは東雲が本当に優秀だったから。俺の何倍も。
「過去は美化されるって言うから」
「突然哲学っぽくなるのやめてください……あ、そうだそうだ。先輩に|今日言おうと思ってたことがあるんでした《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》」
スマホを取りだして俺の前で振る。まるでここを見ろと言わんばかりに。
「前に言ってた飲み会、お声かかってますよね?」
「おう、あまりにも自然に同僚から声かけられたからびっくりしたけど」
「ちゃんと来てくださいね、約束ですから」
そう言いながら歩く速度を早める彼女。やがて他の人と話しながらビルへ入っていった。
改めて彼女の人気を感じる。
まぁでも幾分心が軽くなった、ほどほどに昨年の自分を恨みながら仕事を片付けますか。
そんなことを考えながら、俺は一人会社のドアをくぐった。