第59話 メイドさんとホワイトクリスマス④
ビーフシチューの解けるような肉に、チキンの暴力的なまでの旨味に口もお腹も満足したころ、ふぅ、と短く息を吐き出す。
「いい食べっぷりでしたね〜ご主人様」
同じく向かい側で満足そうな顔をしたメイドさんが笑う。
食べている間も綺麗な姿勢を崩さない彼女は魔法かなにか使えるのだろうか。
「ほんとに全部美味しかったよ、メイドさん。準備大変だったでしょ?」
「まさか、私を誰だと思ってるんですか」
「プロのメイド」
「せいかいっ!」
お酒が入っているからか少し幼くなった彼女はかわいい。赤い頬にチキンの脂で濡れた唇、無邪気に笑うその姿には大人っぽさと幼さが同居していて、心臓を鷲掴みにされる。
だめだ、心も胃袋も掴まれたら俺はもう逃げられないじゃないか。
「ご主人様、今酔ってますか?」
「そこそこね、メイドさんはかなり酔ってそうだけど」
「えぇ〜?私は素面ですよ〜」
フォークをくるくる回しながら彼女は頬に手を当てる。
危ないからやめなさい。
「ところでところでご主人様」
「ん?」
「クリスマスと言えばケーキなわけですよ」
びしっと指を突きつけられる。そんな宣言しなくても。
でも確かに、一般的に1年のうちケーキを食べられるのは2回。誕生日とクリスマスだ。
「世の中には甘いものは別腹という言葉があります」
「そうだね、物理法則を無視してるけど」
「無粋なこと言わないでください、今日はクリスマスですよ!」
クリスマスは粋なことを言わないといけないのか。来年からは気をつけよう。
……来年もメイドさんといれたらいいな。
「そこで私、思ったんですよ。クリスマスケーキを予約するくらいなら」
「するくらいなら?」
「自分で作ってしまえと」
そう言いながら彼女はキッチンの方へてけてけと歩いていく。
少し足元が覚束無いところを見ると、やはりアルコールの海に浸かっているのだろう。
がぱっと冷蔵庫を開けて、彼女は両手で大きなお皿を持ち上げる。
……転けないか不安で冷蔵庫まで着いてきてしまった。
「見てください!自信作です!」
メイドさんはくるりと振り返って満面の笑みを浮かべた。
お皿の上には特大のケーキ。真っ白のクリームという名の海にいちごやキウイ、マスカットにブルーベリーなど色とりどりの宝石が浮かんでいる。
そのフルーツの多さはさることながら、注目すべきはその厚み。何層あるんだこれ。
まるで結婚式のファーストバイト後に参列者に配られるケーキ、え、これを今から2人で……?
「すごい、自分で作っちゃうなんて」
「でしょでしょ〜!これだったら食べ放題!」
テーブルに運ぶと早速切り分け始める。その綺麗な縞模様の断面に惚れ惚れする。
「ご主人様はどれくらい食べますか〜?」
自分のお腹と相談する。
俺の小さな六畳一間の胃袋にこんな宝石を詰め込むキャパはあるだろうか。
「甘いものは別腹という言葉があります」、頭の中のメイドさんが腕を組んで自慢げに囁く。目の前に本物がいるのに、イマジナリーメイドさんが出てくるなんて、俺も相当アルコールにやられてるな。
「お店で売ってるショートケーキくらい欲しいかな」
その言葉にメイドさんは目を見開く。
「意外と食べますね……ご主人様も甘いもの好きになりました?」
「うん、どこかの甘党なメイドさんのせいでね」
「ふふん、それは僥倖!」
うきうきで手を差し出すメイドさんからケーキを受け取る。彼女は俺の3倍くらい食べるらしい。おかしいって、ご飯も相当食べていたはずだけど……。
まさか本当に「別腹」が存在するのか?
「では改めまして」
彼女の一言に手を合わせる。
「「いただきます!」」
◆ ◇ ◆ ◇
甘さの暴力には勝てませんでした……はい、おかわりしました。
生クリームと砂糖の甘ったるさと、フルーツの酸味込みの引き締まった甘さ、同じ甘さなのにどうしてこんなにも違っていて合うのだろう。
そして驚いたのは、彼女もおかわりしていたことだ。
今は目の前で幸せそうな顔でへにょへにょになっている。
「メイドさん」
「どうしました?ご主人様、そんな改まって」
「これ、気に入ってもらえるかはわからないけど」
シックなグレーの箱をテーブルに置く。
「クリスマスプレゼント。いつもありがとう」
目を細めるメイドさん。
「いただけるんですね、メイドの私に」
「もちろん。この半年はメイドさんなしじゃ生きられなかったよ」
「そう言っていただけるとメイド冥利に尽きます」
メイド冥利……?深くは考えないでおこう。
「開けてもよろしいでしょうか?」
「……恥ずかしいからほんとは自室で開けてほし……」
そこまで言ったところで彼女は丁寧に箱を開封していく。おい、ご主人様の言葉は最後まで聞いてくれ。
中から現れたのは真っ黒で細身の手袋。腕元には黒いファーがついている。
無言で胸元に抱きしめると、彼女は柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます、大事にしますね」
大袈裟な喜び方より心のこもったその一言が自分の心に効くなんて初めて知った。
先ほど食べたケーキよりも濃厚で、羽のように軽やかで、色んな感情が見え隠れするその言葉に、思わずこちらの目頭が熱くなる。
照れくさくなってコーヒーを口にする。
熱くて痺れた舌が、ここが現実だと叫んでいる。
「ご主人様、ありがとうございます」
もう一度呟いた彼女は本当に嬉しそうで。
真っ黒な手袋をはめたメイドさんを見る。やっぱり間違ってなかった。
「どうでしょう」
いつか初めて家の扉の前に現れた時のように、彼女は優雅に一礼してみせる。
白と黒、赤い頬のコントラスト、メイド服にとても似合っていた。