第44話 メイドさんと月光浴
もっきゅもっきゅと、隣でとんでもない速さでみたらし団子が吸い込まれていく。吸引力が変わらない唯一のメイド……?
「ご主人様、もっきゅ、あのですね、もっきゅ」
「食べ終わってからでいいからさ、あと呼び方」
ごくん、と飲み込んで数秒。
月は隠れているのか、俺たちは暗闇に包まれる。
彼女は姿勢を正すと、こちらを向いて頭を下げる。
「ご主人様、今日はありがとうございました」
「なんのことかな」
「今日一日全部です。さっき母と話したところ、お見合いは全部断ってくれるとのことでした」
良かった。それなら来た甲斐があるってもんだ。心はほとんど旅行だけど。
最初は怖そうだと思ったお父様も娘思いの優しい人だとわかったし。
「気にしないで。普段メイドさんと遠出することなんてないから楽しかったよ」
「だったら良かったんですが……って、ご主人様も呼び方戻ってるじゃないですか」
「先に始めたのはそっちじゃん」
目を見合せて笑顔になる。
やっぱりこれくらいの温度感が心地いいのだ。
いつの間にか雲間から冷たくて柔らかい光が降り注ぐ。
半年前の自分に言ったら信じるだろうか、今メイドさんを雇っていて、彼女の実家でみたらし団子を食べながら月光浴しているだなんて。
……無理だよな、信じられないって。
「ときにご主人様、」
足を外へだらん、と垂らして彼女は姿勢を崩す。白い息が空を舞う。
自分が吐き出した言葉は元に戻せない、そんな当たり前のことを不意に思い出す。
「どうしたの、メイドさん」
いつものやりとりを、いつものじゃない場所で。
だから雰囲気がいつもと違っても俺は気が付かなくて。
「ご主人様は……その、結婚とかしたい、ですか?」
どこか消え入りそうな、それでいてはっきりとした、縋るようにも決意の籠ったようにも聞こえる不思議な声色が、俺の鼓膜を揺らした。
結婚。
ライフイベントの中でも大きな変化を伴うものだ。「したいしたい」とは言うものの、実際にしっかりと考えたことはなかったかもしれない。
「どうだろうね」
「ちゃんと答えてくださいよ」
腕をツン、と突かれる。
指の先から伝わる体温、湿った髪の隙間から見えるうなじに目を奪われる。
「現状に満足してるんだよなぁ」
これは紛れもない真実。家に帰ったら温かいご飯があって、食後にはデザートがあって、お風呂が沸いていて、次の日に着るシャツはシワひとつなくて、それで。
それで、朗らかで甘えたがりで、外ではクールなメイドさんがいるのだ。
これ以上何かを望むなんて贅沢以外の何ものでもない。
「ふーん、ご主人様は私がいればいいんだ」
「うん、そうだよ」
一筋の風に無言がどこかへ攫われる。実際には数秒、体感数分の時間はほんのり甘い。
季節の端に引っかかった気持ちはいつか芽吹くことがあるんだろうか。
そんな問いが頭を過ったのも一瞬、メイドさんが立ち上がる。
その仕草は奇しくも先ほどのお父様と似ていて。
「私、湯冷めしちゃったかもしれません。寝室、戻りましょうか」
差し出された手に体重をかけると、引っ張られて身体が彼女の方へ。
「あ、ごめ、」
「ご主人様、全部叶う方法があるって言ったら信じますか?」