第37話 メイドさんと実家帰省③
「慧さん、タクシー乗りましょう」
駅に着いて外へ出たところで彼女から声がかかる。冬も深まってきたのか、吐く息が淡く白い。
普段生活していると終電を逃した時くらいしか乗らないが、ここは俺にとってアウェイだ、地元である彼女に任せよう。
寒い中歩くのもしんどいし。
「おっけー、駅出たところに止まってるかな?」
「あら、すんなり。反対しないんですね」
口に手を当てて笑う彼女、どうにも実家が近付くに連れてお嬢様みが増している気がする。
もしかしたらかがりがお嬢様だと気付いた俺が勝手に彼女の「お嬢様部分」に目がついているだけかもしれないが。
「かがりが言うってことは理由があるんでしょ?」
「えぇ、実は実家近辺は坂が多くて……。迎えを呼んでもいいですが、慧さんそういうの苦手でしょう?」
完全に把握されている。確かに突然黒塗りの車とかが来て「おかえりなさい、かがりお嬢様」とか言われたら引くかもしれない。
待てよ……。外から見れば完全に俺もそうじゃねぇか。別に平々凡々なか弱い一般市民だが、家に帰ると若い女性に「ご主人様」って呼ばれてるもんな。
これ以上考えるのはやめよう。
勝手知ったる顔の彼女について行き、適当にタクシーを捕まえて乗り込む。
ばたむっと重いドアが閉まると軽く息を吐く。
タクシー特有の匂いに程よく固い座席。
行先を伝えるのは彼女に任せる。
「なんだかずっと何かに乗ってばっかりだな」
「そうなんですよね、実家が遠いのがいけない」
音もなく広い道を進んでいく。新幹線で食べたお弁当のせいか、今頃眠くなってきた。
「メイドさんはどうして遠いところで働いてるの」
「呼び方が戻ってますよ、ご主人様」
だめだ眠気に脳が負けている。向こうに着いたら気をつけないと……。
段々まぶたが重くなってきた。
「そうですね……実家が嫌いという訳ではないのですが、もっと外の世界を見たくて」
「それで選んだのがメイドってすごいよね」
「メイドってすごいんですよ、私にとって憧れなんです……ってもう聞こえてないか」
心地良い揺れに優しい声。
自分がまさか「ご主人様」と呼ばれることに安心感を覚える日が来るなんて思ってもみなかった。
最後意識を手放す際に聞こえた声は、夢の中の彼女の声だったかもしれない。
「ゆっくりおやすみなさいませ、ご主人様。今は少しだけ、少しだけ私の恋人でいてくださいね」