第30話 とあるメイドの想見
side:メイドさん
ほかほかの湯気を立たせながら脱衣所から出てくると、すぅすぅと規則正しい寝息が聞こえてきた。
音の主なんてわかっている、そろそろと足音をなるべくたてないよう気をつけてソファに近づくと、さっきとは違って倒れ込んで眠っているご主人様。
「慧さん、かぁ」
飴玉を口の中で転がすように彼の名前を反復する。甘い。
いつも私のことを照れさせる悪い口はこれですか。
つんっと指先で彼の頬を突くと、ソファの背もたれ側へと寝返りを打つ。あぁ、やってしまった。
彼が仕事をしている時の顔は知らないけれど、少なくとも私が知っている彼はいつも、穏やかな顔をしているのだ。
しょうがないなぁ、なんて声が聞こえてきそうだ。いつもご主人様はそうやって甘えた私のことを許してくれる。
ビジネスの、仕事の関係ってどこまでだろう。
住み込みで働く以上は、少しくらいプライベートと仕事が混ざりあったグレーゾーンが存在するのは仕方がない。
じゃあ次に問題なのは私の気持ち。
これから先どうなりたいのか。
この生活がずっと続かないことはわかっている……わかっているけど。
私がわがままを言えば彼は、いつもみたいに眉尻を下げて「しょうがないなぁ」って言ってくれるだろうか。
まだまだ小さな芽だけれど、陽の光を浴びようと出てきたこの気持ちは、知らないふりをするにはちょっと惜しくて。
彼の頭を少し持ち上げて自分の膝に乗せる。ずっしりと伝わる重さに、それでも起きない彼に、思わず頬が緩んだ。
気が付かなかったことにはもうできない小さな灯火は、丁寧に育てていつか私の中に収まりきらなくなったら、その時まで心を蝕んで燃えてくれたなら、私の口からきっと彼に伝えよう。
ふわふわの髪を撫でる。癖になる感触がどんどん手に馴染んでいく。
取り急ぎ私がすべきこと、私にできることは、実家に帰る時にあるお願いをすることだろうか。そしてあわよくば、それが私のことを1人の女性として見てもらうきっかけになってくれたら。
メイドじゃない時の私も知って欲しいだなんて、ちょっと贅沢かな。
でも住み込みメイドのお仕事だってしっかりこなしたい。そこは間違えないようにしていきたい。
美味しいご飯を作り、お部屋を綺麗に保ち、あぁ帰ってきてよかったと思える家を演出するのだ。「私がいること」がその条件に含まれるのならこれ以上はない。
さしあたっては、少しテンションが高かったせいで今は電池切れなご主人様を起こさなければ。
太ももに残る彼の熱に名残惜しさを覚えながらも、ご主人様の頭をソファへと横たえる。
服の皺を伸ばして髪を整える。それでは声をかけますか。
「おはようございます、ご主人様」